「投稿作品集」 「12桜祭」

そうだ、○○へ行こう 桜蓮さま

2012/05/20(Sun) 11:02 No.1071
 「今年はもうネタ切れ。後は皆様の投稿作を楽しませていただこう」と、 ゆったり構えていたのですが、先日の瑠璃様の絵にスコーンとやられまして(笑)、 駆け込みで一作投稿させていただきます。
 というわけで、No.1012の瑠璃様の絵『水面』よりの妄想連鎖です。 勢いで書き上げましたので、粗い上に何だか 某鉄道会社(西日本)のキャッチコピーのようなお話しになってしまいましたが、 お見逃し下さいませ(笑)。

花の天蓋

桜蓮さま
2012/05/20(Sun) 11:03 No.1072
陽光の最後の一片が消え、夕闇の帳が静かに地上に降りようとしている中、彼女は水の上に張り出した桜の枝に腰掛けていた。
頭上には淡い紅色の桜花が、刻一刻と濃くなっていく闇を払い退けるように輝いている。
だが、彼女は幽玄なその情景には目もくれず、ただ爪先を濡らす水面ばかりを見つめていた。

水の中でたゆたう偽りの桜。

それを眺める横顔は、何故かひどく寂しそうで、見ているこちらの胸を締め付けた。

――いかがなされたのです。

問いかける声は、しかし口にした途端空気に溶けるように消え、自身の耳にも届かなかった。

――主上。

せめておそばに、と足を進めるが、何故か一向に近付く事が出来ない。
少女の顔が更に俯く――泣いているのだろうか。

――主上。

焦れば焦る程、景色が遠くなる。
彼女の姿が小さくなっていく。

――主上!

出ぬ声を振り絞り、三度目に叫んだ途端――目が覚めた。


あの場所には、見覚えがあった。

朝議を終え、冢宰府へと向かいながら、浩瀚は今朝見た夢を思い返す。
堯天から騎獣で一刻ばかり南下した場所にある離宮の、その一角。
樹齢五十年を超す桜が数十本、広い池に沿って並んでいる景色は、彼女のお気に入りだった。
長年打ち捨てられていた離宮の整備にもようやく手を回す余裕が出来た頃、植えられた桜だった。
当初人の背丈にも届かなかった若木が、大きく根を張り対岸を恋うように水面の上にまで太い枝を伸ばすようになると、彼女は毎年蕾がほころぶ時期に離宮を訪れ、これを愛でるようになった。
今年も離宮管理の者から開花の報を受け、数日の調整の後、昨日出立していた。

――いや。今年は無理にお勧めしたという方が正しいか。

自らの執務室で通常の業務を手際よく進めながら、浩瀚は考え続ける。

国政上、春のこの時期は決して暇ではない。
が、いつもならあらゆる困難を排し、もぎ取るように休みを確保して嬉しそうに離宮に向かう筈の少女は、なぜか今年、乗り気ではなかった。
王として安定した治世を実現させて久しい女王が、ここ数か月、どことなく気分が晴れぬ様子を見せる事に、浩瀚をはじめとした側近等は気付いていた。
離宮から開花の知らせが届いた時、彼等は暗黙の内に一致し、王に気分転換のための離宮行きを勧めたのだった。

だが、かの君を案じる気持ちは、思っていた以上に大きく浩瀚の心を占めていたらしい。
それがあの夢の正体だろう。

部下の用意した有司議の資料を淡々と確認しながら、そう分析する。

――とても、寂しそうでいらした。

夢の中で俯いていた少女の横顔を思い出し、資料を繰る手が一瞬止まる。

――今、正にあのようなお顔をなさっているのではないだろうか…。

浮かんだ考えを、一笑に付す。
夢は、見る者の心が作り出すもの。
あれは己の心配が作り出した、幻だ。
そう思う一方で、

――もし、本当にあのようにうち沈んでおられたら。

脳裏を掠めた考えに、浩瀚の手は完全に止まってしまった。

「閣下、有司議にご出席の方々がお揃いでございます」
「……今行く」

下官の呼びかけに、浩瀚は気持ちを切り替え、立ち上がった。


議事は滞りなく進んだ。

「本日の議題は以上ですね」
「ではそちらの件のみ、主上がお帰りになったら改めてご裁可を仰ぐという事で」

浩瀚の手元にある資料を差し、春官長が言った。
主上、という言葉に、あの寂しげな横顔を再び思い出した。

「……いや。こちらは離宮にお持ちして、早急にご裁可を頂いてこよう」

堂室が、ざわめいた。
その空気に、浩瀚は自分が意識せず口走った事を理解した。

「……は。いや、しかし……よろしいので?」

春官長の声に戸惑いが滲むのはもっともだった。
主上の帰還まで、せいぜいあと三日。
それが待てぬ程、急を要する件案ではない。

「……実は別件で、どうしても早くお耳に入れるべき事案が出来(しゅったい)した。ついでにこちらも見て頂く」

努めて平静を装いそう付け加えた時には、浩瀚の肚は決まっていた。

離宮に行こう。
あの桜と共におられる、主上の元へ。

己の杞憂ならそれでいい。
だがもし本当に、あの夢のように沈んでおられたのなら――。

王である彼女の憂いの全てを理解し取り除く事など、浩瀚には出来ない。
自分が駆け付けたとて、彼女に笑顔を戻せるなどと、思い上がってもいない。

――それでも。

寄り添い、共に桜を見上げる事は出来る。
うつろう水面の桜ではなく、頭上に美しく広がる、花の天蓋を。


足早に執務室へと戻りながら、浩瀚の意識は既に離宮の女王の元へと飛んでいた。
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背景画像 瑠璃さま
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