サクラ印の
ミミズのミーさま
2016/03/24(Thu) 23:53 No.122
夢を見たんだ
へぇ?どんな?
蓬莱の夢。
衝立の向こうからさざ波のように話し声が聞こえてくる。景王・赤子の朝は早い。多忙な一日の中でも、この朝餉の席だけは穏やかであった。
続きを促す女御の声には非難も叱咤もない。衝立の裏で控えているだけの自分にも優しい気配だけは伝わってきた。
私は子供だった。いつもより上等のスカートでブラウスにはフリルも付いていたよ。胸に紙でできた桜の花を飾ってね。
紙のさくら?
たぶん入学式だったんだ。背中に大きなランドセルをしていて・・・ランドセルって背負い鞄なんだけど、大きくて背に余るくらいで。手を・・・母とつないで家に帰るところで・・・
声が途絶えた。女御が何も言わず寄り添う気配がする。自分も落涙しそうになる。
何を食べたいって聞くんだ。お祝いだから好きなものをって。
なんて答えたの?
カレーライス。
かれぇらいす?
ええと、あちらでは子供から大人までみんな好きでね。お皿に白いご飯を平たく盛って上から・・・カレーをかけるんだ。ええと、茶色くてトロッとしてて美味しいんだ。
その後は好きな食べ物や甘いものの話に花が咲いて元気を取り戻した女王は次の間に移動した。そこで身支度を整えるべく有能な女史が手ぐすねを引いて待っている。
そこでは夢の話など忘れたようにふるまうのだろう。
そこでようやく衝立の陰から出た。女御や下女たちが卓を片づける前に残したものや逆によく召し上がったものを確認する。
質素を好む女王は卓いっぱいに料理を並べることを良しとはしないが、今でも卓に半分くらいは並べることにしている。主上はもっと太るべきだ。しかも今日は夢見のせいか、やや少なめだ。
「かれぇらいす、か。」
何とかなるだろうと思った。
その日の昼食に出たものを見て陽子は首をかしげた。常世に来てそれなりに経つが見たことのない料理だった。
ご飯がぺったり丸く乗っている。ホットケーキみたいな形だ。上にとろっと甘酢餡がかけてある。
食べてみるとそれなりに美味しい。
皿の横になぜか花の切り紙が添えてあるのを見て、ぼんやりと意図が見えてきた。
(カレー・・・なんだろうな。コレは)
給仕をしていた鈴にも奇妙に見えたらしい。
「あら?それなぁに?」
「カレー・・・のつもりみたいだ。」
「みたいって、かれぇじゃないの?」
「カレーはもっと具があるよ。野菜とかお肉とか。それに程度はあるけど辛いんだ。」
衝立がガタガタ音を立てた。
5日ほど経ったある日、また奇妙な料理が出た。
今度は皿にふわっと盛られたご飯の上に綺麗にスライスされた焼き肉が乗っており、素揚げされた野菜がそえられている。その上から濃厚な辛味噌のたれがかかっていた。
「これはすごく美味しい焼き肉丼だな」
陽子としては褒めたつもりなのだが衝立の向こうでは不満だったようだ。何かを落とした気配があった。
陽子は添えられた切り紙をそっと箱に仕舞った。
ひと月ほど後、陽子が甘味を堪能していると鈴が入ってきた。
「まぁ?かれぇって甘かったの?」
「ううん。ぜんぜん違うよ。甘口とか辛口があるって言ったからかもしれない。でも甘くてすごく美味しいんだ。」
「陽子の言葉が足りないのがいけないと思うけど。」
「そうかもしれない。でも、」
陽子は今回も添えられた桜の切り紙をそっとなでた。はじめはシンプルな桜の形だったものが紙に工夫を凝らしたり透かし模様が入ったりと進化を遂げている。
「私は、こうして心を砕いて寄り添ってくれようとしてくれることが有り難い。蓬莱のことを話すのを良く思う人は少ない。だから、それだけで・・・」
「いけません!」
急に衝立が声を荒げて申し立てた。
「私は主上の料理人ですぞ。あなたが真に望む味を出せなければ意味なんぞこれっぽちの有りはしないのです。お待ちくだされ、必ずたどり着いて見せます!」
だが、それから桜の切り紙はさっぱり見かけなくなってしまった。そのまま時間だけが過ぎていき・・・
ある日。陽子が午前の執務に勢を出していると、天官長が飛び込んできた。あまりに騒々しさに隣にいた浩瀚が眉をひそめるほどだった。
「主上!ご無事ですか!?」
「見ての通りだ、ひかえなさい。主上の御前である。」
冢宰の言葉にも冷静になれず、天官長は続けて叫んだ。
「大変です!厨房で謀反であります!」
謀反、という言葉に一瞬緊張が走る。しかし、どうも妙だ。
「私はピンピンしているよ。だから安心して何があったか話してほしい。」
「は、実は厨房で異臭騒ぎがありまして、私めが向かいましたところ人も煮れそうな巨大な大鍋で如何にも怪しいドロドロしたものを煮込んでいるのです。その鍋からは嗅いだこともない怪しげな臭いが発生していました。私がすぐに捨てるように申しましたところしゅ、主上に差し上げると言うではありませんか!!ど、毒です!主上を毒殺せんと企んでいるのです!!」
浩瀚が口を挟んだ。
「それは単に調理を失敗しただけなのではないか?」
「いいえ、彼らは黄医の下から様々な薬種を持ち出したことも判明したのです。間違いなく盛っているのです。それを指摘したところ厨房の若い衆が入り口を鍋釜を積み上げて封鎖しまして今、兵とにらみ合っている状況なのです。」
さすがに穏やかならない。浩瀚がそっと隣を窺ったところで陽子がぽつりと言った。
「カレー」
「は?」
「浩瀚、私は今すぐカレーライスが食べたい。コレは勅命である。」
勅命という切り札にすぐさま兵は退き、バリケードは解かれた。
そして緊張の面持ちの天官たちや兵士やらに囲まれて巨大な大鍋が台車に乗せられて執務室まで運ばれてきた。
人の中に左将軍の姿もあったが、どう見ても面白がっている。・・・一見するとすまし込んだ顔だが。
「これはまた沢山作ったな。」
陽子があきれ返っていると、料理長が答えた。両脇を兵に挟まれているが動じてはいないようだ。
「カレーは大鍋に煮込むのが一番だと聞きましたから。」
「カレーの知識はどこで得たんだ?申し訳ないが私の与えた情報では作れるとは思えない」
「たびたび下界に降りまして海客を訪ね歩きましてございます。中にはそこそこ知識のある者もいました。」
「カレー粉は常世にはないはずだが」
「香辛料の調合には手間取りましたが試作を重ね、海客たちに試食を頼みました。常世の薬種に合うものがありまして。」
そうして料理長はつぼみのついた桜の枝をそっと捧げ持った。
「長々とお待たせしました」
陽子は桜を執務室の筆立てに差し入れると、さっそく用意された皿を取り、匙をさし込んだ。だが、
「お待ちください!お毒見もなさらず口になさるおつもり・・・むぐぅ!」
なんとその匙を諫言してきた天官長の口に突っ込んだのだ。
もごもごしながら飲み込んだ天官長に陽子は
「よし。大丈夫そうだな。では私も」
「お待ちください。せめて匙はお代え下さい。」
こうして陽子はようやくカレーにありついた。
だがカレーはざっと100人前はあろうかという量だった。だから、その日は高位の官吏から下働きまで実にたくさんの人の夕食がカレーだった。
コレがきっかけで慶では人が集まるときにはカレーを食べるようになったという。