東の鳥
ミミズのミーさま
2016/04/30(Sat) 13:41 No.450
秋分を明日に控えたその日。頑丘は巧に来ていた。黄海に通じる令巽門の開門は明日の正午。今いる孟極を相棒に黄海に入ろうかと思っている。
現在の巧は王がいない。隔壁のある街は天に運を試さんとする昇山者も多く、また兵や黄海を出入りする朱氏や剛氏の類も多く活気に満ちていた。
その風景は頑丘に百年前を思い出させる。今もあの時と変わらぬ幼い姿でもって玉座に君臨する少女王。その膝元を出奔して今ここにいる。
悔いてはいない。何十年前から決めていた。百年経つ前には仙籍を返上し、朱氏にもどろうと。
「あの頑固者め」
思い出して頑丘は毒づいた。結局、大喧嘩になり籍は抜けずに出奔する羽目になった。半年ほど前の話だ。
騎獣を宿の前に降ろすとヒュッと口笛を鳴らす音がした。振り向くと赤毛の少年と背の高い男の二人連れがいる。
「綺麗な騎獣だね。見せてもらっても?」
「…見るだけならな。」
気さくに話しかける少年に隣の男は小声でたしなめる風だが少年は聞きはしない。
「見て、真っ白な背中に桃色の斑紋がある。桜みたいだ。」
「桜だと?」
確かにこいつには斑紋があったが秋に桜とは。少年は緑色の目をいたずらっぽくきらめかせて頑丘を見た。
「私が一番好きな花なんだよ。」
「こいつは売れねぇぞ。黄海に入るのに必要だからな。」
釘を刺すと少年は首をかしげて聞いてきた。
「あなたは昇山者?」
「いいや。騎獣を狩りに行くんだ。あんたこそ昇山しにきたのか?」
まさかと思ったが前例を知っているだけに聞かずにはおれない。だがやはり少年は首をふった。
「いや。私は慶だ。ここには、そう…物見遊山かな」
何を呑気な。
「空位で荒れた国に物見遊山とは良い身分だな。」
「うん。本当にそうだ。でも見てみたいと思ったんだよ。」
何を、問う。深入りするつもりもないのに聞いてしまう。
「王を求める人達と王に成らんと黄海に出る人達を。」
その目はいつしか隔壁の方を向いている。その向こうの黄海を。
「…黄海には一歩たりともなりません。」
連れの男がため息交じりに言う。それなりの坊ちゃんとお目付役と言ったところか。しっかり見張ってくれよ、何をしでかすか分かったもんじゃない…とひっそり思う。
「うん。隔壁からは出ない。その代り、あなたに黄海の話をしてもらってもいいかな?」
「俺は関係ないだろうが。」
明日のために休みたいんだが。しかし少年はくつくつと笑うばかりだ。
「お礼はするよ。私に出来ることであれば。それに見たところあなたもいい身分のようだし。」
何を言っているか分からない。身なりは勿論、霜楓宮にいたころと違う質素なものだし、出奔してからそんなこと言われたことはなかったのに。
疑問が顔に出ていたのだろう、少年は首をかしげて傍らの男を見た。
「もしかして気が付いていないのかな?」
「…かもしれません。そのような命を受けていればありえることです。」
嫌な予感が背筋を伝った。
「おい。なんのことだ。」
「いや、勝手に話さない方が良いかもしれないし。」
「やめろ。勝手に納得するな。」
話せ、と凄むと少年はあきらめたような顔で言った。
「あなたには遁甲した女怪が憑いている。見たところ麒麟じゃなさそうだし、王様だったら女怪なんかじゃなく使令をつけるだろうしワケありかな?とは思ったんだけど。」
女怪だと??女怪と言ったら麒麟の子守のことではなかったか?それが何で俺に憑いてる?
疑問で目を白黒させているうちに少年は続けて、
「確か使令は王か麒麟以外に憑いていない時には他国に入れないんだ。だからじゃないかな?」
そういう問題ではない。まったくそんな話じゃない。
「よっぽどあなたが心配だったんだな。黄海は本当に危険なところらしい。」
「その通りです。漸くお分かりいただけたようで。」
ずれた話をしながら頷きあう二人。そういう話でもないんだが。頑丘はこめかみを抑えた。
「…予定変更だ。すぐにも恭にもどる。」
「狩りはもういいの?」
「子守つけて狩りができるか!全くあの嬢ちゃんは何をしてくれる…!」
怒りでわなわなと震える頑丘を見やって少年と男は頷きあった。どうだろう?よろしいかと存じます。少年は満面の笑みで振り返った。
「もし、あなたさえ良ければウチによっていかないか?」
「は?ウチだと?」
「急ぐならウチから雲海の上を行くといい。なんなら数日泊まって疲れをとってからでもいいな。雲海の上は休息するところもないし。」
至極当たり前のようにとんでもないことを言う。そうだ、遁甲した女怪に気が付くなど常人ではあり得ない。つまり…こいつらは…
「一応確認しておくが、お前たちはどちらさんだ?」
少年はけろりと。
「言っただろう?景だって」
今度こそ顔を覆って項垂れた頑丘に主従は心配そうな顔をするのだった。
それから半年後。恭では治世百周年の祝いを迎えた。威厳と慈愛に満ちた少女王には山のように祝いの品が届いたが、本人は特に某国からの絹を気にいったらしい。
光沢のある白地に繊細な桃色の斑紋のあるその絹で作らせた着物で気にいりの新しい騎獣にまたがる主人を疲れたように見守る大僕がしばしば見られるようになった。