作品傾向にご注意下さい
自転車は春風に乗って
ネムさま
2016/04/30(Sat) 23:56 No.459
ようやく坂を上り切ると、気持ちの良い風が体を包んだ。
空はまだ一刷けの冷やかさを残しているが、道の泥濘は消え、空気は草木の芽吹く香りを含んでいる。
思わず額に感じた汗を拭うと、後ろからまた恐縮した声が掛かる。
「台輔、もう充分です。ここで降ろして下さい」
「大丈夫だよ。それにほら、もう桜並木が見えるよ」
息を弾ませながら、泰麒は自転車のペダルを思い切り踏んだ。慶国産の“自転車”は、車輪を滑らかに回しながら、風のように走る。その先には、美しい薄桃色の霞が見えてきた。
「空からここを見つけた時、絶対、李斎を連れて来てあげようと思ったんだ」
「それは本当に有難い事と感謝しておりますが… それならば、私が飛燕に台輔をお乗せした方がよろしかったのでは…」
自転車の後部座席に乗る李斎は、ますます肩を縮めている。泰麒の腰に回す左腕も遠慮がちで、先ほどの坂を上る時は、車体がむしろ不安定になり、却って怖かった。
「慶でこの自転車を頂いた時、製作者の蘭桂殿にも会ったって話したよね」
息を弾ませながら、泰麒は言う。
「蘭桂殿は、中嶋さんを後ろに乗せて、走りたかったんだって」
「桂桂…いえ、蘭桂殿が? そのために?」
「うん。それって、すごく分かる」
背後に感じる李斎の疑問符をくすぐったく思いながら、泰麒は笑う。
「だって、ずっと庇ってくれた年上の女性(ひと)を、今度は自分の力で何処かへ連れて行ってあげるのって、何だかカッコ良いじゃない。
男のロマンなんだよね」
“男のロマン”を天帝がどのように翻訳をしたかは不明である。しかし、李斎は一瞬目を丸くし、そして急にくすくす笑い出した。
昔と変わらぬ暖かな笑い声と、確かな力で回された腕の温もりを感じながら、泰麒は更に自転車の速度を上げた。満開の北の春まで、あと一息である。
早くも舞い降りてきた花びらを見上げながら、泰麒は思った。
(傲濫、もうひと押し 頼むね〜)