「投稿作品集」 「16桜祭」

桜涙 篝さま

2016/05/05(Thu) 00:38 No.488
 桜というテーマから若干かけ離れてしまい、こじつけに近いものがあります。 申し訳ございません。
 尚隆がいなくなってからのこと。

桜 涙

篝さま
2016/05/05(Thu) 00:40 No.489
 延王・崩御。

 突然のその知らせは各国はおろか、雁の民を震撼させた。
 最初は何の冗談だと笑い合って、その後妙な沈黙が続いた後、雁の民衆の感情は爆発した。
 置いて行かれたと、急に暗闇に取り残された幼子のように泣きわめき、怒りをぶつけ、途方に暮れた。

 そんな城下の騒動に比べ、六太をはじめ玄英宮の人々は極めて冷静であった。
 むしろ今までよく持ったと、いつぞや漏れ聞いた物騒な言葉に比べれば随分と平穏な終焉り方だと六太は独り言ちる。無論玉座が空になったのだから、早急に対応すべきことは山ほどあることは皆一様に分かっていた。
 それでもしかし、玄英宮の官吏達は民のように尚隆に「裏切られた」とは感じてはいなかった。それよりはむしろ「最後の最期まで格好つけおって」と揶揄する響きが強かった。
 それというのも、尚隆が何故このような行動に出たのか、その理由が一重に、隣国の女王・景王赤子、彼女の存在があったからではないか、というに他なかったからだ。

 かつて彼女が登極した折に、彼の半身である六太は耳を疑うような彼の発言を漏れ聞いていた。「きっと俺は雁を滅ぼしてみたくなる」と。
 尚隆にしてみればただの独り言のつもりで誰かに聞かれているとも思ってなかっただろう。
 だがしかし、六太は聞いてしまった。正確には彼の護衛に付けていた己の使令から聞いてしまったのだ。
 だから六太は、尚隆が陽子といわゆる男女の仲になった時には、純粋に二人の仲を祝うと同時に、彼女の存在が尚隆のその馬鹿げた考えの抑止材になってくれるのではと僅かばかりの期待があった。 
 このたびの一件に関して、尚隆の真意を知る者は誰もいなかった。陽子でさえも。しかし、彼に近しい人々は直観的に感じ取っていた。いつか必ず尚隆の朝にも終焉はあり、それを陽子に見せたくなかったのではないかと。自らの手で国を滅ばすような醜態を演じる前に、今あるものを最上のものと信じて、次代に残そうとしたのではないかと。
 全てが六太の推測でしかなかったが、いつまでもその理由を探し続ける余裕はなかった。正直な話、王を探すのにあれだけ抵抗があったのだ。尚隆だからこそ、国と民を真実欲した男だからこそ、託したのだ。
 それでも己の感情に蓋をして前を見据えようと思えるのは陽子がいるから。
 尚隆が残した大切な人。
 彼女の負担になるようなことだけは避けたかった。隣国である以上、ある程度の民は慶に流れるかもしれないが、仮朝をしっかり立て過度な負担にならないよう努める。いつか彼女は大層な事を言ってくれたが、だからと言ってそこまでは甘えられない。
 しかし、打てる手は打とうと、六太は「雁の民を頼む」と陽子に頼むために、この慶を訪れたのであった。


***

「よっ」
 通された一室で、今までのように振る舞う六太に陽子は思わずくすりと笑う。
 しかし、その傍らにあった存在は、もう無い。
 常ならば、陽子の些細な変化や押し殺した感情にも気が付いたであろう尚隆がここにはいない。
 それでも、六太は間近で陽子と対峙して、その些細な変化に気が付いた。長年、尚隆と陽子が連れ添うのを間近で見てきたからこそ分かるようなものであった。
「ようこそお越しくださいました。どうぞお寛ぎくださいね」
「よせやい。…俺が何を言いに来たのか解ってんだろう?」
「だからこそ、です。ずっと緊張続きでしたでしょうし、ここで少しでも肩の力を抜いて休んでいってください」
 国主としての貫禄だけでなく、細やかなまでの気遣いを見せる陽子に六太は感嘆のため息をつく。
「…本当にいい女になったよなあ」
「そんなしみじみと仰らないでくださいよ、恥ずかしい」
 六太に真正面から飾りのない言葉をぶつけられ、その内容に陽子は若干顔を赤らめながら、もごもごとと子どものように口を開く。その様子と先程の様子との差異に六太は軽やかな笑い声を上げる。
「お。否定はしないんだな」
「ふふ。…それで、その」
 なかなか本題を切り出さない六太に、言葉を濁しつつも陽子の方から六太が本来慶を訪れた理由を口にする。
「おう。…頼む。雁を、民を手助けしてやってほしい」
 そう言いながら、椅子に座っている状態で膝に両手をつきながら頭を下げる六太に、陽子は慌てて制止の声を上げる。
「止めてください。延麒である貴方が頭を下げていいのは次の延王だけです。勿論私にできることがあるのなら全力で取り組んでいきたいし、お助けしたい。あの人が残したものを守りたいんです」
 暫く六太は頭を上げようとしなかったが、陽子のその言葉を聞いて、ゆっくりと顔を上げ彼女の瞳を見つめる。
「…ありがとう」
「いえ、そんな。私が登極した時には、本当に、本当にお世話になりましたし、泰麒捜索の時にも大見得きってしまいましたから」
「いや、それもそうなんだが、あいつを好きでいてくれてありがとう…」
 いつも陽気な様子を見せる六太には珍しく静かな笑みを湛えながらそう言う彼に、陽子はふと言葉を漏らす。
「延台輔も、延王のこと、本当に大切に思っているんですね」
「何だそれ…気色悪いこと言うなよ」
「だって、そうでもなければ、そんな言葉出てきませんもの」
 嬉しそうにそう言う陽子に六太はぽつりと囁くように言うが、陽子はそれを聞きもらさず、きちんと受け止める。
「…『六太』って呼んでくれよ」
「え」
「『延台輔』じゃなくて、『六太』って名前で呼んでくれよ」
「『六太』くん。これでいいですか?さすがに呼び捨てには出来なくて」
「理由、訊かないのか?」
「何となくですけど、解るような気がして」
「これから先、俺の名前呼んでくれる奴が居なくなっちまう…。きっと新王は俺のこと号で呼ぶだろうし、尚隆の名残を払拭しようとして俺に字をつける気がする。俺、あいつに髪ぐしゃぐしゃにされながら名前呼ばれるの、好きだったんだよぉ…」
 幼子のように語尾を震わせながらしゃくりあげる六太の頭に手を差しのばそうとして、無礼にあたるとでも思ったのか陽子は慌てて思い止まる。そんな陽子の気配を察して、六太が視線を陽子にやれば、その瞳からは静かに涙が零れ落ちていた。
「陽子、泣いてる…」
「あ、え」
「駄目だって。手で拭ったりしたら化粧がはげちまう」
 六太は懐から慌てて手巾を取り出し、卓に乗り上げる様にして向かい合って座る陽子の目元にあてがい、その零れ落ちる涙をそっと拭い取る。そんな六太の仕草に、陽子はその日もう何度目か分からない笑みを漏らす。
「…ここ笑う場面か?」
「いいえ、いいえ。…あの人もこうしてくれたなあって。ふふ。似た者主従ですね」
「主従、か。そんな風に言ってくれるのはもうお前だけだなあ」
「私の中で延王と六太くんはいつまでも主従ですよ」
「そ、か」
 無意識のうちに弾んだ声を出してしまった己が気恥ずかしく、少々強引に話題を変える。
「なあ」
「はい」
「尚隆の奴を好きでいてくれるのは本当にありがたいけどよ、誰か別に気になる奴が出来たらそいつと一緒になってくれていいんだからな」
「そうですね。私も出来る限り王として頑張っていきたいし、長い年数が経てば気になる人の一人くらい出来るかもしれません。そうしたらあの人に詫びの言葉の一つでも入れておきます」
「ははっ。そうしてくれ」
 軽口を言うような雰囲気で冗談めかしてそう言うが、六太は陽子のその言葉が嘘だと何とはなしにそう思う。いつまでも陽子は尚隆のことを恋い慕うのだろうと。 
 そこまで互いに想いあう二人がいつしか理想の男女の姿になっていたように感じる。口には決して出さないけれど、六太は二人が仲良くしているのを見るのが好きだったのだ。
 陽子の胸中は全て六太の憶測でしかないし、先程も漠然とそう思っただけで、もしかしたらあっさりと新しい恋を見つけるかもしれない。
 それでももう少しだけ、尚隆のことを想っていてやってほしいと願う。そう願うのは自分の勝手だと解っていて、六太は己の感情もため息も一緒くたに呑み込むのだ。

「じゃあ俺は帰るな」
「あまり大したおもてなしも出来ませんで」
「いいや、景王の言質を取ったんだ。それだけで十分過ぎるくらいのおつりがくるさ」
「言質って…」
「おっと。陽子の気の変わらないうちに帰るとするか」
「もう。…ああ、そうだ。これをお返ししないと」
 陽子の目元を拭った際に、無意識のうちに手に持たせていたのか、六太の手巾が陽子の手の中にあった。返そうとするも、陽子はとある事に気づいて慌てて手を引っ込める。
「あ、駄目です…化粧で汚れてしまって。新しいものを用意させます」
「汚れって言ってもそう大したもんじゃないだろう。大丈夫だ」
「でも…」
 躊躇う陽子の手の中から手巾を取り上げれば汚れと言っても微々たるもので。それにもかかわらず申し訳なさそうにする陽子の気休めにと、六太はふと思いついたことをつらつらと述べていく。
「ああ、桜色の涙みたいだな」
「え。…ああ、目元に差していた朱が取れて付いてしまったんですね。やはり新しい物を」
「だからいいんだってば。…そうだ、お前が尚隆のために流してくれた涙、この手巾ごとあいつの墓に届けてやる。だから気にすんな、な」
 我ながら何と脈絡のないことを言っているのだと自覚はあったが半ば強引に納得させる。そんな六太の無茶ぶりに陽子は観念して、もう「新しい物を」とは言わなくなった。
「ではよろしくお願いしますね」
「おう、任された」
 そしてその場を去ろうと扉に足を向けた六太へと陽子がかけた言葉は。
「…ほんの時々でいいんです。あの方の思い出話に付き合って頂けませんか」
「仕方ないなあ。落ち着いたらまた遊びに来るな」
「はい、お待ちしてますね」

 とある男に関わった、少女と少年が二人。
 尽きせぬ思い出話に、想いを静かに紡いでいくのであった。
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