「投稿作品集」 「16桜祭」

はじめまして、葵と申します 葵さま

2016/05/18(Wed) 20:04 No.649
 はじめてお祭りに参加させていただきます。葵と申します。
 桜の咲き始めから散ってしまうまで、 百花繚乱の方々が入り乱れて御参加される桜祭の賑やかさをいつも楽しく 電信柱の影から拝見させていただいておりました。
 いつもは外から拝見させていただくだけで十分幸せだったのですが、 あれは今日のお昼休みの事、ツィッターにて未生さまより「清水の舞台からの落下について」 「ジャンプでござる」などと優しく勧めていただき、 ぷるぷるしながら、落下させていただくことに心を決めました。
 慶の人々はみんなこんな感じに異様に柔軟性が高いのではないかと 思ったところから湧いたお話ですm(__)m

陽 桜

葵さま
2016/05/18(Wed) 20:06 No.650
朝起きたら、桜になっていた。
何を言っているかわからない?ああ私もだ。よくわからん。
暁光に射られて、眩しいなと思ったのが始まりだった。なんだか変だな、と首をかしげる。だって帳に包まれた寝榻の中にまで朝陽が差し込んでくるなんてこれまでになかったことだから。せいぜい灰色に白むだけである。枕、水差し、くしゃくしゃの敷布、榻の柱の輪郭などがくっきりしだすと、ああ夜が明けたんだな、とおぼろげにわかる程度だ。
昇ったばかりの新鮮な陽はごつごつした皮で覆われた幹を舐めあげた。そのまますぐに無数の枝を這いのぼり、はちきれんばかりに膨らんだ蕾、すでに咲き綻んだ花々を照らしてほんのりと色を含ませた。薄い桃色をした、白に近い花だ。そう、私は三分咲きの桜になっていた。
びっくりして身じろぐと、花房がさやさやと揺れた。ねじれた樹皮がちょっとだけ割れてぱらぱらと欠片が散った。自分が樹木になるなんて想像したこともなかったが、いざなってみるとまあこんなものかと妙に納得した。気分はいつになく晴れやかで、頭の中は雲海のように澄み渡っている。空気は美味しいし、地面から吸い上げる水はひんやりしていてしごく旨い。
そうして朝風に吹かれながらしばらくはご機嫌に過ごしていたが、やがて小鳥が枝にやってきて囀り出す頃合いになると、そうえいば自分は王だったっけなといささか心配になった。景麒はどんな小言を言うだろう。祥瓊は、鈴は、女の子じゃなくなった私を見ても変わらず友達でいてくれるだろうか。そして浩瀚は――慶の王がよりによって桜の木になってしまったなんて、すっかり呆れてしまったりはしないだろうか。桜は今は綺麗だけれど、葉が生え出すと毛虫だらけになる。それも心配。浩瀚は毛虫は嫌いだろうか。
きょろきょろと何かを探すようにしながら回廊を小走りに行き交っていた女官の一人が、ふとこちらを振り返って、ああ、と嘆声をあげた。なんだなんだと思っているうち、蜂の巣をつついたように大量の女官がぞろぞろ出てきて、樹木になった私の幹の周囲に群がった。
「主上。こんなところにおいでになられたとは。日もすっかり昇りました、さあ、早くお身だしなみを整えなされませ」
這い上ってくる蟻を刷毛で払ってくれたり、庭師から借りて来たのだろう、柄の長い熊手で高いところでこんがらがっている枝を丁寧にほぐしたりしてくれてから、仕上げに柄杓で根元に水を撒いた。いつも髪を結ってくれる女官は、枝を結えないのがほんの少し心残りのようで、未練がましく蕾をつついたり花弁を撫でたりしてから、枝先に飾り紐をひとつちょこんと結わえて下がって行った。
入れ替わりに、祥瓊と鈴がやってきた。まったく陽子ったらもう、と祥瓊は上品に鼻を鳴らしたし、鈴はあらまあ、よりによって桜にねえと肩を竦めたけれど、それだけだった。どうして桜になってしまったのか、どうやったら戻れるのか、今後どうしたらいいのか――そんなことは全く気にもしていない様子で、さっそく手巾を広げると根元に敷きこみ、幹にもたれて座り込こむと、いつもと同じ調子で他愛ないことをべらべら喋り出した。口もなくなってしまったのに会話に参加できるかどうか危ぶんだけれど、すぐに要らぬ杞憂であることがわかった。頭で考えたことはどういう仕組みかは知らないが、枝から、花から、ほろほろと見えぬ言葉の粒となって彼女たちの耳に降り注ぐらしい。十分に話は通じたし、互いの意思疎通にこれといって支障はなかった。それを発見してからはだいぶ気が楽になって、寛いだ気分になった。
昇って行く陽がちょうど中ほどの枝に刺さる高さになると、例によって溜息をつきながら景麒が現れた。一糸乱れぬ黒衣に輝く金髪が流れくだるさまは、眺めるだけなら目の保養に適した麗しさである。喋るとイライラさせられるのが難点だが。祥瓊と鈴は台輔に拱手して下がった。それを見送りながら、さて、とおもむろに麒麟は向き直った。私も居住まいを正した。
「本日の朝議の件でございますが、この中庭で行うように手配いたしましょう。前例はございませんし、王の威容をお守りする御簾も無いのはいかがなものかと思われますが、主上がこの場を移動できぬとなれば致し方ありますまい」
「うん。……って、え?」
「はい?」
「それだけか」
「何かご不満でも?」
「いや、いいんだ」
王の威容がどうのこうの言う以前に、なんで桜なんぞになってしまったのか、まずはそこをちくちく責められるだろうと覚悟していただけに拍子抜けした。景麒は無表情なまま片眉を上げ、衣擦れの音を響かて優美に去って行った。本当に愛想の無い奴である。
また入れ替わるようにして、今度は浩瀚が現れた。
濃紫の官服をきちんと着込み、冠をつけ、腰に翡翠の帯玉を下げている。昨日と何ひとつ変わったところのないすっきりした姿だった。変わったところだらけのこっちがなんとなく気恥ずかしく、気を紛らわせるように枝を一本所在無げに揺らしてみると、はらりと一枚、ゆるんだ花弁が散った。
浩瀚は腰をかがめてその花弁を拾い上げた。掌にのせて押し戴くようにしながら、主上におかれましてはご尊顔麗しく、拝謁の誉れを賜りまして恐悦至極……などと嫌味なぐらい淡々と、いつもどおりの朝の定例文を唱えた。
「朝議はここでするんだってな」
「御意。幸い、主上の生えていらっしゃる地面は少し高めに土が盛られておりますので、檀上ほどではありませんが、皆の顔もよく見えましょう」
「そりゃまあ。あのな、浩瀚」
「御璽のことでしたらどうぞご心配なく。一番低い枝……そうですね、この辺りにでも紐で括りつけさせていただきますので、枝を揺らしていただきますれば。下官が紙を下から押し当てますので」
「うん、……じゃなくって」
「水禺刀は恐れながらこちらの幹の洞にしまわせていただきましょうか。鞘がすぐ抜けるように置き方を工夫いたしますゆえ」
「なあ浩瀚ってば」
「何か他にお気にかかる点でも?」
なんだってみんな、揃いも揃ってそんなに落ち着いているんだ。
驚愕したり、嘆いたり、ひと騒動起こしたり、何かしらそういう劇的な反応をするもんじゃないか、普通は?――女がひとり、突然桜になったというのに。
「なんでびっくりしないんだ」
さわさわと花房を下げて、男の冠の一番尖ったところ、てっぺんをそっと撫でてやる。
「一国の王が桜だなんて、おまえ、ちょっとは困ったりしないのか?」
「ならば、逆にお尋ねいたします」
朝議の議題をまとめた紙束を土の上に放りだすと、心底怪訝そうにこちらを見上げてくる。
「いったい何が困るとでも?どんなお姿であろうと、あなた様はあなた様でいらっしゃる。それに違いはありますまい。人であろうと桜であろうと」
ああ――なるほど。
何か間違っておりましょうや、と詰問されて、黙って首を――枝を――振った。
「休日にちょっと堯天に下りたりできなくなるのは、まあ不便だけどね」
「主上ならば、そのうちご自分の根を使って歩く術を開発なさるのでは?」
「かなぁ?」
疑わし気に枝を振ると、男はひっそりと笑って、どうぞ――と呟いた。
「あ?」
「どうぞ突飛なことをしでかしてください。そうして、今度こそ拙めを驚かせてやってくださいませ」
「あーあ。おまえを、いやおまえたちをびっくりさせるには、並大抵のことじゃ駄目だとわかったよ」
はるか向こうの鐘堂の方角から、朝議の集合をかける銅鑼の音がゆるやかに聞こえてくる。なあ、と私は言った。
「おまえ、毛虫は嫌いか?」
「好きか嫌いかで考えたことはございませんね」
「そっか。ならいい」
なんで桜になったのか、いつまで桜なのか、もしかしたらずっと桜のままなのか、さっぱりわからん。わからないけど――まあ、いいや。私は満足してもう一度樹皮をぱりっと鳴らしてやった。
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