「投稿作品集」 「16桜祭」

無名の若木 ミミズのミーさま

2016/05/22(Sun) 13:01 No.731
 今日で終わってしまう〜! と思ったら蘭桂がおりてきましたので投稿します。
 今年のお祭りでは沢山コメント頂いてとてもありがたく、 未生様には至らぬところもフォローしていただいて感謝感激雨あられでございます。

無名の若木

ミミズのミーさま
2016/05/22(Sun) 13:02 No.732
 太師邸の桜がほろほろと花弁を散らす頃。その太師邸の一室で蘭桂は最後の片づけをしていた。
 居候の身分で荷物なんか大してあるまいと思っていたが、ほんの小さな時分からここで暮らしていた蘭桂には思いがけず捨てられないものが多くあった。そのどれもが優しい思い出に直結している。
 蘭桂は小箱から出てきた丸い石ころを一つ手に乗せ、ほぉっとため息をついた。昔、この滑らかで真っ白な色形を陽子に自慢したことを思い出す。

「進んでおるかの?」
 穏やかな声に振り返ると遠甫がいた。目を細めてさっぱりした室内を見まわしている。
「なんとか見れる程度には片付きました。でも思った以上に物が多くて苦戦しております」
 遠甫は蘭桂をまぶしそうに眺めた。
「…いよいよじゃな」
「はい。長い間お世話になりました、老師」
 滑らかな動作で拱手する蘭桂に、遠甫は軽く頷く。明日にはここを出て瑛州の小学の寮にはいる。合格の通知を受けてから承知はしていたが改めて荷造りしていると実感が湧いてくるものであった。
 だがそれは小さな不安も呼び起こすものであった。
「老師、僕はいつか此処に…金波宮に戻って来たく思います」
 開け放たれた戸の向こうに枝をざわざわ揺らす桜の樹が見えた。あの樹を見ながら何度、花見をしたことだろう。仙である遠甫には取るに足らないことかもしれない。ましてや神なる身の上の陽子には。だが自分には…
「…小学を無事に卒業できたとて地方の小役人が関の山です。大学まで出れたとしても凌雲山の足元に届くかは保証されるものでもありません。それ以前にただ努力すれば必ず卒業できるというほど甘くはないと承知しております」
 遠甫は何も言わない。
「勿論、努力は惜しまないつもりです。あきらめるつもりもありません。ちょっとでも陽子に、みんなに恩返しが出来るなら、でも」
「蘭桂」
 さえぎられて蘭桂は姿勢を正した。
「わしも、皆も、もちろん陽子も…蘭桂に役人になってもらいたくて送り出すわけじゃないんじゃよ」
「それは…」
 思わず顔を伏せた蘭桂に遠甫は笑って、
「勿論、役人になって欲しくないというわけでもない。何でもいいんじゃ、悪いことだけしちゃならんがな」
 遠甫の後ろでほろほろと花弁が落ちる。砂時計のように。
「陽子は王じゃ。得るものは沢山あるのだろうが、失うものもまた多いんじゃよ。蓬莱の家族もまた一つ」
 蘭桂は陽子の家族になってくれたな、と言われて赤面してしまう。そんな畏れ多いこと。
「失ったものは他にも多くある。将来の可能性もまた一つ」
 蘭桂は首をかしげた。
「昔、陽子に王は結婚出来るのかと聞かれたことがある。王には無理じゃな。野合くらいなら何とでもなろうが。でもそれはその時、想う相手がいて申したことではないのじゃ」
 台輔あたりが聞いたら卒倒しそうな質問だ。
「地を耕し只人として暮らすことも、ささやかな商売で身を立たせることも、婚姻して子を成すこともすべて王には出来ぬ」
 先王はそれを望んで身を持ち崩したのであったな、と付け加えられて俯いてしまう。陽子がそうなるとも思えないが想像もしたくない。遠甫は、ほっほっと笑って付け加えた。
「勿論、王に関わらず人が一生で選べる道には限りがある。何でもかんでも引き受けられるわけではない。だからこそ」
 ひたと蘭桂を見据える。老いて尚、慧眼。
「子にはよくよく考えて選ばせたいものじゃ。役人と定めるのも一興だがいたずらに選択肢を狭めてはならんぞ」
 役人でも農夫でも、商人でも、船頭でも、馬借でも。
「この部屋は空けておこうかの。たまには実家に帰ってくるとよい」
 遠甫はそう言いおいて部屋を出ていった。
 ふわりと風に乗って花弁が部屋に舞い込んでくる。足元に落ちたその花弁を見つめて蘭桂は束の間黙っていた。年季の入った板張りの床に今年咲いたみずみずしい花弁。
「…でも、僕は陽子を傍で支えたい」
 それが陽子付きの農夫でも。そう思うと少し元気が出てきた。
 
 僕は明日から何者かになりに行く。
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