「投稿作品集」 「16桜祭」

ラストスパート ネムさま

2016/05/22(Sun) 14:19 No.737
 最終日に一作、上げさせて頂きます。
 連鎖妄想ではありませんが、つくしさんの#39「桜守」の設定と、 未生さんの#525「染井吉野」の#548のコメントから、お借りしました。 先に御礼申し上げます。

ネムさま
2016/05/22(Sun) 14:20 No.738
 歌声が聞こえる。澄んだ少女の声。二人、いや三人だろうか。
つられて李斎が顔を上げると、萌黄色の斜面。土手に点在する荊柏の茂みには、早くも白い花が咲き始めている。更に仰げば、雲一つない青空。そして空に向かい咲き誇る淡紅色の花々が、土手に沿って延々と続いていた。

 李斎は思い出す。
 あの内乱が終息した後、援助に来てくれた雁の技師たちが、ここの土手の整備も手掛け、そして桜の木々を植えていった。土手を固めるための植樹と聞き及んだが、何故桜なのか。延王曰く、
「好みだ」
 それに対して泰王は笑った。
「あの方はそれで通るのだ」
 煙に巻かれた気持ちはあったが、初めて花が咲いた春、何とはなしに納得したものだった。

 歌声が聞こえる。花のように、空へ伸びてゆく声。
 雁で代々“桜守”を務める家の者が、戴の山奥まで赴き探したと言うこの土手の桜は、雁や慶で見た桜より色が濃い目で、枝は枝垂れず空へと向かう。
 戴の桜。
 そう呼べるものが、ようやく育ちつつある。桜だけではなく、内乱で破壊され消え去ったと思われていた、様々なもの達も。


 少女達の声から李斎は思い出す。かつて助けを求め、心身共に蒙った傷を癒してくれた、金波宮の太師邸。あの邸(やかた)の内でも、明るく生き生きとした歌声が聞こえたものだった。
 一番よく歌っていた女史の美しい声に、時折女御の澄んだ声が唱和した。太師が教える童歌に、幼い桂桂の声が続く。虎嘯の俗謡に、皆で笑い転げたこともあった。その度に、李斎は思った。
― ここは 何と明るい場所なのだろう ―
 しかし、彼らと共に過ごすうちに、誰もが、幼い桂桂でさえも、深い喪失と哀しみを経験してきたことが、徐々に分かってきた。それでも彼らが歌う時、周囲は明るく生に満ちている―そう思えた。


 歌声は遠ざかりつつあった。
― いいのだろうか ―
 ふと、胸が塞いだ。この明るさを見ず、内乱の中で消えた人々、そして里のことが思い出された。彼らが最期に見たものは、何だったのだろうか、と。

 風が吹いた。俯いた視線の先に、淡紅色の花びらが通り過ぎた。
 誘われるように再び顔を上げる。周囲は春。全てのものが、静かに力強く、伸びようとしている。
 嘗て出会った人々のことが思い出された。
 様々な感情が沸き起こり、過ぎていった。そして今、人々に、そして里に、風景に対し、自分が出会えた感謝の気持ちで満ちてくることを、李斎は少なからず驚いた。


― 歌っても いいのだろうか ―

 歌声はまだ微かに聞こえてくる。戴の桜並木から、花びらが風に舞い上がる。
 胸の中から喉を通り、唇から声が沸き上がってきた。
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背景画像「MIX-B」さま
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