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独 白 (上)

「お前は俺のもの──」

 そんな言葉を口に出してしまったら、お前はきっと怒るのだろうな……。

* * *  1  * * *

「尚隆、お前、いい加減に妓楼通いは止めろよな」
 ある日、延麒六太がそう言った。延王尚隆は足を止めた。
「いきなり、なんだ?」
「お前もさ、伴侶を決めたんだから、ちょっとは大人しくしてろ。それに、あいつはミンシュシュギの国から来たんだから、きっと怒るぞ」
 六太は大真面目にそう諌言する。尚隆は思わず吹き出した。
「──それは、お前が心配することなのか?」
「おれしか心配してやる奴がいねえから、言ってるんだろうが」
 六太は尚隆を睨めつける。
「あいつは独りで淋しがってるだろうに、お前ときたら遊んでばかりだ」
 そう言って六太は遠くを見つめる。
「まるで、お前の伴侶のようだな」
 そう揶揄すると、六太は怒声を上げた。
「お前な、いい加減にしろよ! あいつには、誰も味方がいねえんだぞ。景麒はお前のこと、よく思ってねーしさ」
 確かに、景麒はよくは思っていないだろう。景麒が偽王に捕らわれている間に、既成事実を作ってしまったのだから。尚隆はぼそりと呟く。
「天啓なのだがな……」
「そんなの、誰も信じねえぞ」
 ふん、と六太は鼻を鳴らした。横目で尚隆を見る。
「お前だって信じてねえくせに」
「陽子は信じたぞ」
 軽く笑う尚隆に、六太は肩を竦める。

「あいつは、何も知らなかった。だから、お前は急いだんだろ?」

 尚隆は口許に微笑を浮かべただけで、何も言わない。六太は溜息をつく。尚隆はいつもこうだ。軽口はいくらでも叩くくせに、本音を語ろうとしない。黙っているところを見ると、きっと図星だろうと察しはつくが。
 東の国の女王に思いを馳せる。蓬莱から、何も知らずに連れてこられ、何も知らぬまま、尚隆の手に落ちた。
 彼女の迫られた選択は、究極のものだった。こちらで王となって偽王軍と戦うか、あちらに帰って遠からず死を迎えるか──。
 しかも、どちらを選んでも尚隆の手を借りなければならない。これって立派な脅迫だよな、と六太は思う。

 遠くを見つめて押し黙る六太に、尚隆はふっと微笑んだ。それから、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。六太は嫌な顔をした。
「──お前、また何か悪いこと企んでねーか?」
「いや、お前がそんなに気にするなら、行き先を慶に変えようかと思っただけだ」
 そう言って尚隆は笑った。六太は卓子から飛び降りた。
「今すぐ行けなんて、言ってねえだろうが!」
「台輔の進言、しかと承った。では、ちょっと行ってこよう。後は頼んだぞ」
「尚隆!」
 しまった、と思ったが、もう遅い。言葉どおり、尚隆はさっさと出かけてしまった。追いかけてくる官僚たちと、仕事の山に、六太は溜息をついた。

* * *  2  * * *

 簡単に旅装を済ませ、尚隆は玄英宮を後にした。六太に言われるまでもない。伴侶のことはいつも気にしている。ただ、お互いに王なのだ、毎日会えるわけではない。
 尚隆は最初からそれを分かっていた。六太が言うとおり、陽子は知らなかった。

 知っていたら、彼女は自分を選んだろうか。

 ──尚隆は自問を繰り返す。そして、首を振る。らしくないな、と。
 六太の言うことは、いちいちもっともだ。尚隆は何も知らない陽子に選ばせた。景麒を助け出す前に。誰かに知恵をつけられる前に。──王が王を伴侶に選ぶなど、前例がないから。
 確かに脅迫染みている。それでも、尚隆は陽子が欲しかった。ひと目見て、これは俺の女だ、と思った。この娘が己の運命を変える。不覚にも思った。

 天啓が下りた、と。

 天啓か、と自嘲する。陽子にはそう言ったが、尚隆自身、そんなことを信じているわけではなかった。麒麟が王を直感で選ぶと説明した。それは男が女を選ぶ、或いは女が男を選ぶのに似ている、と。陽子に分かりやすいように、そう説明しただけだ。己が王だということも、延麒に選ばれた、ただその事実を信じたに過ぎない。
 天が本当に在るのか、尚隆は疑問視していた。もちろん口に出したことはない。天の理は教条的に動く。そこに天帝の意思は感じられない。──そういうものだ、と理解して今まで五百年を凌いできた。そう、国が安定してからは、特にそうだった。深く考えると、呑まれてしまう、そんな危機感があった。
 寿命がない、という謂れのない苦痛。何もかもを壊したくなる衝動。そんなものを、凌いできた。そして降り積もる、口に出せない昏い闇。それは、王のみが知るものだ。
 王朝は興亡を繰り返す。安定した王朝も、ある日突然沈み始める。きっと、王がそんなものに呑まれてしまうのだろう。そして、尚隆はそんな闇に呑まれてやるつもりはなかった。尚隆は胎果だ。異端と言われることには慣れていた。蓬莱にいた頃もそうだった。

 蓬莱か、と遠くを見つめる。遥か昔、蓬莱で、尚隆は託された国を戦火から守れなかった。世継ぎの若とちやほやされていたというのに。
 尚隆の民は皆殺しにされた。そして、己が最後の一人となった。そうなる前にお逃げください、と臣下に勧められた。お屋形さまさえ残っていれば小松家再興も夢ではない、と。そんなことは無意味だと思った。
 民なくして生き延びて、何ができるというのか。民あってこその主、主なくとも民は生きられるのだ。民に殉じて死ぬつもりだった。
 そんな尚隆を救ったのは、浜で拾った子供──六太だった。──まだいたのか、そう思った。逃げろ、と言って路銀まで渡したはずなのに。
 しかし、もう、気にする余裕もなかった。自分は託された国を守れなかった。託されたものを民に返すことができなかった。胸を塞ぐ痛みは、身体の痛みを忘れさせるほど重かった。
 そんなとき、子供が訊いた。国がほしいか、と。──ほしい、と答えた。ならば、一国をお前にやる、子供は厳かにそう言った。そして、尚隆は雁の王となった。天意が世界を支配し、霊獣麒麟が王を選ぶ、そんな世界の、一国の王に。

 蓬莱にいたときには押しつけられた妻妾がいた。こちらに来てからは、そんなものはいらないと思った。後宮も置かなかった。女が欲しくなれば関弓に下りた。それで充分だった。
 理に触れぬ限り、好き勝手にしていいのだ。王とはそういうものだ。同じ胎果の延麒六太と力を合わせ、荒れ果てた国を立て直してきた。同じような立場の風来坊、奏の利広とたまさかに出会い、言葉を交わすのも、いい気分転換になった。
 そうやって、五百年という破格の年月を生き延びてきた。そして。尚隆はとうとうめぐり会った。己を理解できる唯一の存在、胎果の女王に。

2005.07.08.
 「僥倖」で現れる前の尚隆の「独白」です。
 「刻印」より長いのに、これも章分けしておりませんでした。 で、編集し直して壁紙も変えてみました。如何でしょうか。

2006.06.14. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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