独 白 (中)
* * * 3 * * *
鮮やかな娘だった。ひと目で景王と分かる輝きを身に纏っていた。俺の求めていた女だ、と思った。
初めて自ら望んだ女は、隣国の王と定められた女。
それを、己の伴侶に、とは、我ながら不遜なことだと思う。そして考える。
本当にこの娘を手折っていいのか、と。
王が王を伴侶に選ぶ、それはおそらく前例のないことだろう。しかし、不思議と蓬山のヌシに問い合わせようと言う気がしない。
天との賭け、己はまたそれを求めているのだろうか。
自問を繰り返す。──答えは出ない。しかも。
せっかく見つけた胎果の女王は、玉座を拒否した。蝕を起こしても蓬莱に帰りたいと願う彼女を、こちらに引き止めたかった。
そしてまた自嘲する。今の倭は、尚隆がいた頃とは全く違う。ふらりと出かけては戻ってくる六太がそれを知らせる。胎果といっても、生きた時代が違えば、同胞とはいえないかもしれない。
しかし。それでも。
せめて、こちらに残って玉座に就いてほしかった。
楽俊が玉座に就くよう説得している、と六太の使令が報告してきた。彼女は頑として受けつけない。自分は王の器ではない、己の身を守るために玉座に就くことを選ぶのは嫌だ、と。
眠れずにいた。まるで、己を拒否されたような気がしていた。迷った挙句、夜半に客庁を訪なった。本当に夜這うつもりで行ったわけではない。彼女と二人きりで会って、確かめたかった。彼女の真意を。そして、己の本心を。
広い牀の片隅に、彼女は身を縮めて眠っていた。涙の跡が残るその顔を、しばし見つめる。何も知らずにあちらから連れてこられた娘。あちらでは、幸せだったのだろうか。違和感を持たずに暮らしていたのだろうか。お前は胎果だ、本当はこちらの存在なのだ、と聞かされて、どう思ったのだろう。
つくづくと眺める。緋色の髪も、今は閉ざされている翠の瞳も、倭国では有り得ない色だ。こちらが己の世界なのだと、彼女は納得したろうか。
その頬に触れようと手を伸ばしかけ、尚隆は躊躇った。手を引いた刹那、彼女は剣を構えて起き上がった。豊かな倭国からやってきて、なかなか見事な剣の腕を見せる娘。それがどういうことか、分からぬ尚隆ではなかった。
──哀れな。
よく生き延びたものだ、と感嘆する。そして、その言葉に引かれたように、彼女の頬を伝う涙。抱き寄せる腕を拒む彼女は言った。
(延王の前で泣くわけにはいかない──)
臆することなく尚隆を見つめ返す、濡れた翠の瞳。それは勁い輝きを宿していた。己は王の器ではない、と玉座を拒否しながら、王の矜持を見せる彼女に、尚隆は心を奪われた。
尚隆は決意した。翠の瞳は尚隆の運命を映す。この娘を己の伴侶にする。前例はないが、他人の意見を容れる気はなかった。理にさえ触れなければよいのだ。とすれば。この娘に尚隆を選ばせればよい。そんな誘導には慣れている。
いきなり異国に連れてこられ、戸惑い怯えている娘。故国に帰りたいと訴えていた。しかし、お前はこちらの人間だ。そして、お前を理解し、受け入れることが出来るのは、俺だけ。真摯な説得に、娘は少しずつ心を開く。
──輝かしい娘は、尚隆の手に落ちた。
回想に沈みこんでいるうちに、高岫山が見えてきた。それが雁と慶との国境だった。国境を越えれば、そこはもう、伴侶が治める国、慶東国。常に波乱が続き、貧しい国。上空から眺めても、それは顕著だった。しかし、新王が偽王を討ち、内乱を平定し、慶は立ち直り始めている。他国に逃れていた国民が里に戻り、田畑は耕作されてきている。強い王を信頼する民の顔は、王都に近づくにつれて精彩を帯びてくる。
尚隆は微笑する。己の伴侶は、今日も慣れぬ政務に奮闘しているだろうか。王都堯天は、もうすぐだった。
* * * 4 * * *
使者らしく身なりを整えて金波宮に向かった。景王を訪ねるのは慣れていた。
景王陽子が雁国延王の助力を受けて登極したため、延王の勅使として訪問すると、すぐに外殿まで案内される。陽子も景麒も、そうやって訪れるのは尚隆本人だと承知しているので、待たされることはそうない。
程なく内殿の客殿に通された。そこには景麒が待っており、尚隆が現れるなり、人払いをした。官が全て下がり、景麒と二人きりになる。
──陽子はいない。
景麒が跪き、形式どおりに挨拶をする。そして仏頂面で言う。
「主上はおりません」
「ほう。どちらへお出かけだ?」
「──存じません」
木で鼻を括ったような答えが返ってくる。尚隆は苦笑した。想像以上に嫌われている。
「では、また出直そう」
踵を返しかけた尚隆に、景麒が溜息混じりに言う。
「お引止めしなければ、私が叱られます」
「いないものは仕方あるまい」
尚隆の素っ気ない返答に、景麒は大きく息をつき、頭を下げた。
「──主上は堯天に降りられたようです。使令をお貸しいたしますので、どうか」
「──俺に、迎えに行け、と?」
片眉を上げて問う尚隆に、景麒は鋭い視線を浴びせた。
「主上にお忍びを教えられたのは、あなたさまでは? 責任をお取りください。どちらにおられるか、見当もおつきでしょう」
「どうかな。堯天は広いぞ」
口の端に笑みを浮かべる尚隆に、景麒は溜息を落とし、目を逸らした。
「──多少の時間がかかっても、止むを得ないでしょう」
「ほう」
言外に含まれた意味を悟り、尚隆は笑った。おもむろに念押しする。
「時間がかかっても、よいのだな?」
「──多少なら、です」
景麒は目を合わせず、そう答えた。尚隆は薄く笑った。
「やれやれ。それでは迎えにまいろうか」
「──延王」
踵を返した尚隆の背を、景麒の声が追いかける。
「──せめて青鳥なりとお寄越しください。主上は……」
景麒の言葉は途中で口の中に消えた。尚隆は微笑し、振り返らずに言った。
「努力しよう」
景麒が頭を下げる気配がした。そして、驃騎、という呼びかけとともに、暗赤色の豹が現れ、尚隆の足許に消えた。
「──台輔は主上を案じておられるのです」
金波宮を出てから、景麒の使令が、申し訳なさそうにそう言った。どうか不愉快に思し召されるな、と。尚隆は笑った。
「分かっているさ。陽子は、じゃじゃ馬だからな。景麒も、さぞかし苦労していることだろうよ」
「──はい」
正直に答える使令に、尚隆はまた笑った。今回は景麒の譲歩を取りつけた。久しぶりに、ゆっくりと逢瀬を楽しめる。そう思うと心が逸った。
「早く見つけないとな」
「どちらにおられるか、心当たりがおありですか?」
「おおよそはな」
「──台輔が嘆かれるわけですね」
驃騎は溜息をつく。尚隆は楽しげに笑い、行き先を指示した。近くまで辿りつければ、主上についている班渠と連絡をつけられる、驃騎はそう言った。
この辺りでお待ちになってください、と使令は消えた。尚隆は店の壁に凭れて腕を組み、伴侶を待った。いつもなら、街の気配に合わせるが、それでは陽子が自分を見つけにくいだろう。普段の気配そのままに立っていた。
2005.07.08.
実はこのお話で初めて景麒を書きました。
「月影」で景麒を書く段階で、イメージが湧かなくて、詰まってしまいました。
ここでやっと、私の中の景麒のイメージが掴めたんです。
そんな感じで、思い出深い作品です。
で、やっぱり編集しづらい作品です。
2006.06.16. 速世未生 記