慶 賀
* * * 結 ── 喜涙 * * *
「──絶対、お前を泣かせてやる」
雁からやってきた鸞は、明朗な男の声で、一声そう鳴いた。景王陽子はまた怒りに頬を染め、拳を固く握り締めた。陽子は傍に控える冢宰を睨めつける。
「──浩瀚」
「はい」
怒気を孕んだ主の声に、冢宰浩瀚は恭しく頭を下げる。しかし、怜悧な冢宰が動じることはなかった。陽子は冷たく静かな声で続ける。
「延王の公式訪問を受けたそうだな」
「はい」
「──私は延王に会う気はないぞ」
「それは困ります、主上。今回はあの方には珍しく、非の打ち所のない訪問要請をされています。理由も申し分ありません。このように正式な訪問を拒むことは、礼儀に反します。主上が嫌だと仰っても無理でございます」
冢宰浩瀚の理路整然とした諫言に、景王陽子は渋い顔を隠さない。しかし有能な冢宰が「申し分のない理由」と判断した以上、陽子は不平を言えない立場だった。
景王陽子の胸の内とは裏腹に、隣国の王を迎える準備は着々と進んでいた。誰もが忙しそうに走り回っている。陽子はその様子を忌々しげに見つめていた。
そしてその当日がやってきた。早朝から女官たちは目を輝かせていた。彼女たちは、鮮烈な美貌を持ちながらも簡素な袍を好む主に、物足りなさを感じていたのだ。女官たちは総力を上げて美しき女王の装いを整えた。
景王陽子は約束どおり豪奢な大袞を身に纏い、この上なく不機嫌な顔で隣国の王を迎えた。延王尚隆は久しぶりに美しく着飾った女王を満足そうに眺め、おもむろに語った。
「そなたのために後宮を用意した」
「──は?」
「これから玄英宮を訪うときは、そなたの宿舎は後宮だ。景王陽子は延王尚隆の伴侶なのだから」
「──」
何気なくそう言う延王尚隆に、景王陽子は二の句が継げなかった。延王は満面に笑みを湛え、続けた。
「というわけで、今日から俺は掌客殿には行かぬ」
「はい、延王の仰せのままに」
延王の言葉を受けて冢宰浩瀚が恭しく頭を下げる。陽子は呆気に取られたままだった。
「──話が全く見えない……」
「景王陽子、今回、俺はそなたに求婚しに参ったのだ。なに、慶の方々には快い受諾を貰ったぞ」
「うそ……」
陽子は瞠目し、絶句した。陽子を見つめる官吏たちの目は、温かかった。困惑した陽子は冢宰に視線を投げる。
「どうして……」
「──主上、私は以前申し上げたことがございます。主上は人としての幸せを望んでも構わないのですよ、と。今、慶の民は、皆そう思っております。主上は国に安寧を齎してくださいました。主上は充分国に尽くしておられます。──主上、お望みを仰ってくださいませ」
冢宰浩瀚は景王陽子に優しい目を向け、そう言い切った。官吏たちは皆、等しく頷き、恭しく頭を下げた。
「──景麒……?」
景王陽子は躊躇いがちに己の半身に目を向ける。いつも無愛想な景麒が、ふわりと微笑み、頷いた。
「──私は……」
そう呟くと、大袞で正装した景王陽子は、両手で顔を覆ってしまった。延王尚隆はゆっくりと己の伴侶に歩み寄った。そして、その細い肩にそっと手を置き、悪戯っぽく笑う。
「絶対、お前を泣かせてやる、俺はそう言ったろう」
「──あなたというひとは……まったく、いつも……」
「陽子、お前の返事を、まだ聞いていないのだが?」
「──私の返事を聞く前に、全てを終わらせてしまったくせに」
「──お前は、嫌か?」
頑なに顔を上げない陽子に、尚隆は心配そうに問うた。陽子は小さくかぶりを振った。そして、微かに呟いた。
「──いいえ」
尚隆は陽子の手をそっと取り、その顔を覗きこんだ。輝かしい翠の瞳を潤ませ、陽子は尚隆に微笑を返す。そして端然と頭を上げ、晴れやかな笑顔で周りを見渡した。
「──みな、私の願いを叶えてくれて、ありがとう……」
そう告げると、景王陽子は初めて臣の前で涙を零した。その清らかな涙に、もらい泣きする官が多かったという。
2006.01.31.
小品連作「慶賀」第4話「結──喜涙」をお送りいたしました。
如何でしたでしょうか。
怒ったり泣いたりと忙しかった陽子主上。
最後はやっぱり尚隆に泣かされてしまいました。
こんな意地悪ならいいかな〜と、楽しんで書きました。
皆さまにも楽しんでいただけたら嬉しいです。
2006.01.31. 速世未生 記