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滄 海 (12)

* * *  12  * * *

 調べるべきは調べ、動かすべきは動かした。既に側近が密かに王師の準備を進めている。延王尚隆は再び待ちの姿勢に入っていた。事態が動いたのは、頑朴に潜入して帰ってから七日ほど経ったときだ。元州より使者が来朝したのだった。
 怒涛の朝議後、尚隆は私室の榻に横たわる。そして、諸官を驚愕させた奏上をしてのけながら、徹頭徹尾淡々としていた元州州宰院白沢を思い出していた。

 元州令尹からの上奏を携えた白沢は、神妙に叩頭した。白沢が頭上に掲げた書状の内容は明白だ。尚隆に面倒なことをする気はない。そんな国主の命に従い、白沢は自らの口で元州からの言を告げた。延麒は元州に滞在している、と。聞いて諸官が息を呑んだ。尚隆は、それで、と先を促す。白沢は恐れ気もなく続けた。

 即ち、王の上に上帝位を設け、元州令尹斡由をその座に就けよ、と。

 王を廃するのではなく、王の上に位を設け、実権を譲れ、という要求。大した上奏だ。いっそ清々しいとすら言える。しかも、二王は国を荒らす元と断言し、隠居を迫る物言いに、尚隆は失笑を隠さなかった。
 瞼の裏には、今なお焼け崩れた館や血に染まった海が浮かぶ。かつて、瀬戸内の小さな所領を守りきることができなかった。喪われた民に殉じることなく、月の影を潜ってやってきたのは、託される国を受け取るためだ。田舎で美姫とのんびり遊ぶためではない。
 上奏という名の恫喝に屈するつもりはなかった。この世には理があるという。麒麟に選ばれた者だけが王。即ち延麒六太が選んだ尚隆が雁州国延王だ。既に太綱は頭に書きこまれている。そのように、登極する際訪れた蓬山では不可思議なことが幾つも起きた。天があるかどうかは分からない。しかし、天の理は確かに存在しているのだ。
「俺は自分のものをくれてやるほど心広くはないのだ」
 主上、と声を上げた官を、尚隆は手を振って黙らせる。延麒を攫った元州が打つ次の手を、今の今まで待っていた。目的を明らかにした元州へ返す言葉など、疾うに決めてある。
「延麒を返せ。ならば温情を下して自刎させてやると斡由に伝えよ。あくまでも延麒を盾に事を構えるというならば、必ず捕えて天下の逆賊として馘首する」
 白沢は僅かの後、深く叩頭し、静かに受け止めた。予め答えが分かっていたというべきその態度。尚隆は立ち上がり、太刀に手をかけた。
「……白沢とやら、生きて元州に帰れると思うか」
 殺気を漲らせる国主の問いかけを、逆賊の使者として現れた男は明瞭に否定した。白沢は畳みかけるような尚隆の問いかけにも穏やかに答える。抜かれた太刀に臆せず物を言い、その結果として訪れる死を覚悟した目。気骨のある男だ。己の臣に欲しいと思うほどに。無論、本気で殺す気などなかった。王の権を誇示する尚隆にどう対峙するか知りたかっただけだ。頭を下げつつ一歩も引かぬその態度は見事であった。

 これほどの男を臣に持つ元州令尹斡由。

 そして、荒廃の中、ただひとつ保ちこたえていた元州。尚隆は元州の都頑朴を思い浮かべた。王都関弓よりも整えられていた綺麗な街。民人は口々にできた令尹を誉め、州の権を奪う王を扱き下ろしていた。懸命に生きる人々を、どうして踏み躙ることができよう。あの美しい街が、あの豊かに実る畑が、荒れ果てていく様など見たくもない――。

「――この――痴れ者が!」
 尚隆の物思いは突然の怒声により破られた。入室するなり青筋を立てて怒鳴ったのは帷湍。尚隆は軽く身体を起こして首を傾げた。見れば帷湍の後ろには朱衡も成笙もいて、皆が揃って渋い顔をしている。
 帷湍や朱衡は朝議に出席できる身分ではないが、事情をもう把握していた。成笙に聞いたのだろう。帷湍は激怒し、全軍を元州に向かわせる、と喚いた。しかし。
 元州は切れる州宰を使者に立てた。命を奪われることを覚悟した切れ者を、だ。自ら志願して来た、前途ある若者には任せられぬ、と白沢は断じた。それだけ元州には人材がいるということだ。
 もし尚隆があの場で白沢を斬れば、元州は問答無用で使者を断罪した王の非道を言い立てて民を煽る材料とするだろう。また、白沢が生きて元州に戻れば、関弓や王の様子を知ることができる。どちらに転んでも元州が損することはない。
 そして、元州は宰輔延麒の所在を明らかにした。それは、王師を頑朴に呼びこむための布石だろう。延麒を盾に取られれば、王は宮城に籠っているわけにはいかないのだ。
 元州州師の総数は表向き黒備一万二千五百。対する王師も、禁軍靖州師併せて黒備だ。勝つためには全軍を上げて頑朴を攻めなければならない。しかし、関弓を空にすれば他州が攻めてくる。今回は光州だ。既に密約は済んでいる。ならば、先手を打つより他に手はない。尚隆は激する帷湍をいなし、軽く宣した。
「光州州侯を更迭する」
 帷湍が目を見張る。が、尚隆はそれに構うことなかった。続けて光州令尹を太師にし、州宰以下州六官を内朝六官に迎えるよう命じ、成笙を左軍将軍に叙す。左軍を率いて頑朴城を包囲するよう命じると、成笙は一礼して了承を表した。しかし、帷湍は頑として引かない。
「やれやれ」
 説明が必要か、と思うとそんな言葉が漏れる。血相を変える帷湍に顔を向け、尚隆は起き上った。卓子を軽く叩き、断言する。
「まず、これだけは呑みこんでもらう。雁国八州、これは王の臣ではない」
 激していた帷湍は漸く口を閉じた。宰輔を州侯に戴く靖州以外の八州侯を任じた者は梟王だ。やっとその事実を思い出したらしい。尚隆は畳みこむ。元州は武器を調達しているが馬や車を用意してはいない。関弓に攻め上る気がないからだ。そして、元州州師左軍総数は禁軍全軍と同数。
「次に元州はどういう手に出るか」
 尚隆は言い止めて視線を巡らせる。それに応え、朱衡が口を開いた。空になった関弓を他州に突かす、内々に取引は済んでいるだろう、と。
 朱衡の同意を受けて、尚隆は己の考えを一部披露した。元州謀反の報を流し、近隣より兵卒を募り関弓を守らせる。周辺州で一万を超える軍を持つところはない。故に三万のとりあえず武装した民がいれば、他州のために博打を打つ物好きはいないだろう。
 未だ怪訝な顔をする帷湍に追い打ちをかける。尚隆には後がないのだ。尚隆を玉座から追放するのは簡単だ。宰輔延麒を殺せばいい。これにはさすがの帷湍は言葉を詰まらせた。
 宰輔を押さえた元州の思惑に乗らないためにも民を誘導しなければならない。徴兵することは簡単だろう。しかし、漸く緑が戻り始めた地を血で染める戦を起こすことに民が納得するはずはない。嫌々集う兵など、些末なことですぐに寝返る。ならば、自発的に集まるように仕向ければよい。
 そう、御年十三歳の宰輔が攫われ、捕えられていると吹聴し、同情を買うのだ。ついでに王がどれほど賢帝で、どれほど逸材であるかばら撒け、と命じると、側近たちは三者とも呆れ果てた顔を見せた。

2012.11.16.
 長編「滄海」連載第12回をお送りいたしました。 相変わらずの原作引用と捏造必至でございますが、どうぞご勘弁を。

2012.11.16.  速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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