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滄 海 (11)

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 こんな時世だからか、頑朴には旌券がなくてもすんなり入ることができた。関弓から仕事を探しに来た、と言うと、門衛は満足げに笑って頷いた。そして、尚隆が佩いている剣に目をやり、城で兵を募集している、と教えてくれた。尚隆は門衛に軽く礼を述べて頑朴の街に足を踏み入れた。
 だがしかし、尚隆は真っ直ぐに城へは向かわなかった。物見遊山の如く、辺りを見回しながらゆっくりと歩く。空から見て分かってはいたが、頑朴は関弓よりも整備された綺麗な街であった。

 活気に満ちた広途を漫ろ歩き、目星をつけて串風路へと入る。しかし、細い道沿いにも緑の柱は見当たらない。尚隆は苦笑を零し、繁盛している小さな飯屋を覗く。そして、人いきれでむっとする狭い店内で見つけた隙間に腰を下ろした。
 適当に注文をし、安酒を飲みながら周囲の話に耳を傾ける。雑多な会話が交わされていた。収穫が近い麦の刈り入れについて。州師の大規模な北への移動。近づく雨期への不安。その中で最も尚隆の気を引いたものは、声高に叫ばれる王への批判であった。
「雨期が近いってえのに、今年も漉水に堤ができないそうだぜ」
「州侯には治水の権がないのに、上奏しても王が裁可しないらしいぞ」
「裁可どころか、王は朝議にも出ないで遊んでいるとかいう噂だ」
「なんだい。なら治水の権を州に戻してくれってんだ」
 場末の飯屋ですら漉水の話でもちきりだ。尚隆は盛り上がる男たちの話に聞き耳を立てる。語り手の男は不意に声を潜めた。
「卿伯はこっそり堤を直している」
「ほんとうか」
「ほんとうだ。それより」
 業を煮やした卿伯が自治を求めて起つそうだ、と男は更に声を低める。小さな歓声が湧き起こり、人々は手を叩いた。
 どうやら、元州は本気で戦を起こそうとしているらしい。自治を求める、という大義名分は、もう市井の民にも周知されている。尚隆は人知れず溜息をついた。

 頑朴の民が苛立つ気持ちも分からなくはない。元州は数十年もの長い荒廃の時代を保ちこたえてきた。新王が即位し、世が落ち着きを取り戻せば、耐え忍んできた元州はもっと豊かになる。その期待が大きければ大きいだけ、代わり映えのなさに失望することだろう。
 雁の国土の大半は荒れ果てていた。鉱山があるわけでもなく、目立った産業もないこの国は、農畜産業にて立つより他に手立てがない。緑がなければ動物が育つこともないがゆえに、尚隆は土地の開墾に重点を置いてきたのだ。
 数少ない民を総動員し、ひたすら土地を整えた。そのための四分一令だ。開墾した土地の一部が己の物になるのなら、人は汗水垂らして努力する。他国に流れた者たちも戻ってくる。そうして少しずつ人を増やし、緑を増やしていったのだ。
 ただでさえ少ない民を減らすわけにはいかなかった。だからこそ、狡猾な官吏の首を挿げ替える代わりにその権を制限した。全体的に国の復興は進んでいる。それゆえに。
 他州より豊かだった元州は、足踏みをしているように感じられるのだろう。そして、たびたび話に上がる漉水も、周辺に人が増えたからこそ、氾濫への懸念が大きくなっているのだ。
 治水ひとつにしても、多大な問題を抱えている。土地の開墾で手一杯の民人に、夫役という負担を課すには忍びない。今年は豊作だという麦の収穫期が近づいているならば尚更のこと。今、どこに手をかけるべきか。それはいつも頭を悩ませる問題だ。それこそ、今、この時も。
 尚隆は瞑目した。男たちの会話はさらに続く。唇を緩め、再び目を開けて話を聞いた。

「腕に覚えがある者は城に行って州師に入れ、と触れが出ているぞ」
 既に多くの浮民が城に集まっている、と語り手は話を結んだ。門衛が言ったことは市井の民にも浸透しているらしい。尚隆は酒杯を持ったまま男に視線を向ける。男は尚隆に気づき、にやりと笑った。
「なんだい、兄さん。いい身体だな。腕に覚えがあるのかい」
「仕事を探しに来たものでな。関弓では駄目だったが、頑朴では拾ってもらえるかな」
 尚隆は太刀に触れながら男に笑みを返す。男はひゅうと口笛を吹いた。それからおもむろに立ち上がり、尚隆に近づく。そして、声を潜めてこう言った。
「じゃあ州師に入らねえか。実は俺も入ったばかりなんだが、城ではまだまだ兵を募集してるぜ」
「ほう、そいつは好都合だ」
 尚隆は破顔し、誘いに乗って素直に腰を上げる。礼代わりに二人分の勘定を済ませると、男は機嫌よく尚隆を先導した。激励の声をかける人々に片手を挙げて応え、二人は外に出た。

 男と連れ立って頑朴城へと向かう。道すがら、男は州師について楽しげに語ってくれた。なんでも、王師の兵卒を五十斬れば卒長、二百で旅師、討伐軍将軍の首を取れば、のちに禁軍左将軍、王の首で大司馬に抜擢されるという。
「そいつはすごい」
「そうだろう」
 やる気が出る、と男は笑みを返す。そして、元州州師は意気軒昂に訓練を繰り返している、と続けたのだった。

 州城に着くと、男は門衛に志願兵を連れてきた旨を告げ、尚隆を連れて己の上官の許へ向かう。腕を試す、と言われ、早速藁束が用意された。尚隆はそれを無造作に斬ってみせる。途端に歓声が上がり、あっさりと両司馬を与えられた。神妙な素振りを見せながらも、尚隆は内心で苦笑を零していた。
 それとなく観察する。どう見ても黒備左軍を誇る軍備とは思えない。しかも、漏れ聞こえる話を総合すると、徴兵された兵のうち三千ほどが他州に向かったらしい。その穴埋めをするため、更に浮民を徴用しているようであった。確かに、兵として集まっているのは明らかに浮民である。頑朴市民の徴兵は既に済んでいるのだろう。それでも足りなくて、王への不満を抱く者を集めているのだ。

 そんなふうに、潜入捜査は首尾よく進んだ。ほとぼりが冷めた頃、尚隆は州城を抜け出して帰途に就く。そして頑朴で得た情報を反芻した。
 不意に現れた浮民風情が両司馬を拝命できる程度の寄せ集めの軍。それが元州州師の実情だ。無理もない。現在雁国民はたかだか六十万人、禁軍ですら、靖州師と併せてようやく黒備一万二千五百人なのだ。元州師がそれ以上の数を揃えるには手当たり次第に浮民を?き集めるしかないだろう。しかも。
 三千もの兵を他州に派遣している。飯屋で聞いた話では、大量の州師が北へ向かった、とのことである。元州がどの州と手を組んだかは自ずと知れた。

 元州は、本気で戦を仕掛けてくる。

 収穫を目前にした麦畑を空から見下ろして、尚隆は重い溜息をついた。

2012.10.26.
 お久しぶりでございます。 3年振りに長編「滄海」連載第11回をお届けいたしました。 なんだか言い訳の言葉すら出てまいりません。 捏造必至でございますが、どうぞお許しくださいませ。 お楽しみいただけると嬉しく思います。

2012.10.26.  速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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