「尚陽小品」 「玄関」

艶 姿つやすがた

 陽子。

 矢も盾もたまらずに、気づけば玄英宮を飛び出していた。騎獣を駆りながら、尚隆は己の衝動に苦笑を隠せずにいた。
 雲海の上から行っても慶までは半日もの時がかかる。窓辺に突然姿を見せるのは、これが初めてではない。今宵の伴侶は、どんな貌をするだろう。尚隆は想像を巡らせた。
 胸の中の伴侶は、どうして、と翠の眼を大きく見開いて訊ねる。しかし、その問いに答えるつもりはなかった。会いたいと思う気持ちに理由などいらない。尚隆は薄く笑んだ。

 ようやく隣国に辿りついたときには、夜はかなり更けていた。宮城はしんと寝静まり、伴侶の堂室にも既に灯りはない。
 尚隆は騎獣を広い露台に下ろし、静かに臥室の大きな窓を開けた。ゆっくりと牀榻に歩み寄り、牀の帳を開く。薄闇の中で、伴侶の身動ぐ音がした。微かな音でも目を覚ます武断の女王は、もう己の伴侶の気配に気付いただろうか。笑みを湛えた尚隆がそっと衾褥に忍びこむと、細い腕が伸ばされた。
 そのまま温かな身体を引き寄せる。華奢な腕がゆっくりと首に回された。愛しい女を胸に抱き、尚隆はその名を密やかに呼ぶ。しかし──。

 返しはない。

 そして、首に絡められた腕から、力が抜けていく。尚隆に身を預けた伴侶は、すぐに軽い寝息を立て始めた。己の胸に閉じこめたはずの伴侶は、呆気なく夢と眠りに奪われてしまった。尚隆は深い溜息をついた。
 腕の中の温もりを存分に味わいたい気持ちが募る。このまま半開きの朱唇に口づけたなら、伴侶は甘く応えてくれるだろう。しかし、無邪気に眠る女王の寝顔を眺めると、そんな邪な想いに後ろめたささえ感じる。そう、景王陽子は、こんなに無防備な姿を曝すほど、尚隆に気を許しているのだ。
 尚隆は諦めて目を閉じた。すると、伴侶の身体の温かさがますます際立った。胸に押しつけられた柔らかな膨らみと、芳しい髪の香りも、闇の中で伴侶の存在を誇示する。この状態で、眠れるだろうか。尚隆は苦笑する。

 ──眠れるはずがない。

 再び目を開けて、伴侶の寝顔を見つめた。仄かに笑みを浮かべ、安らいだ顔を見せる伴侶は可愛らしかった。尚隆はそっと伴侶の頭を撫でる。幸せな夢を見ているのなら、覗いてみたい。そんな想いを籠めて。
 眠れる伴侶を起こさぬように、ゆっくりと起き上がる。牀を降りて、帳を開け、枕許に腰掛けた。それから、尚隆は伴侶の目覚めを待った。己の我慢強さに少々驚きながら。

 空が少しずつ白みはじめる。伴侶の麗しい寝顔も、緋色の長い髪も、よく見えるようになってきた。薄い光を受け、睫毛が微かに動く。尚隆は笑みを浮かべて翠の宝玉が現れる様を見守った。
 伴侶は目を開く。まだ焦点の合わない翠玉の双眸が、何かを探す。そして、探し物を見つけられなかった伴侶は、ゆっくりと身を起こした。衾をよけた伴侶のその姿に、尚隆は思わず釘付けになった。
 しどけなく羽織られた夜着の胸許から双丘の谷間が、乱れた裾からはすんなりと伸びた脚が覗き、尚隆の目を楽しませた。じっくりと女王の寝起きの艶姿を鑑賞してから、尚隆はおもむろに口を開いた。
「──眼福だな」
 伴侶の肩が大きく跳ねた。朦朧としていた眼が焦点を結び、慌てたように声の主を探す。
尚隆なおたか……!」
 尚隆はもう我慢しなかった。頬を染めて声を上げる伴侶の唇を封じ、きつく抱きしめる。伴侶は狼狽え、微かに喘いだ。そのまま牀に押し倒して見つめると、翠の瞳が潤んでいた。

「──夢だと思ってた……」

 微かな囁きとともに、華奢な腕が首に絡められる。尚隆は低く笑い、さらりと本音を返した。
「お前を夢にさらわれて、俺は大変な目にあったぞ」
 訝しげに見開かれた翠玉の瞳に笑みを送り、尚隆は伴侶の朱唇を味わう。散々待たされた後の口づけは、常にも増して甘美であった。

「──今度は、俺が夢を見せてもらう番だ」

 耳許で囁くと、耳朶がほんのりと朱に染まる。尚隆はにやりと笑い、羞じらう伴侶のしなやかな身体を存分に堪能した。

2008.06.15.
 短編、というには悩ましい長さの「艶姿」をお送りいたしました。 オマケ拍手其の二百十四「閨の中の夢現」の尚隆視点でございます。
 本来、「艶姿」は「あですがた」と読みますが、今回は敢えて「つやすがた」でございます。 色々な行き違いの末にいただいたKさまのイラストが元ネタでございます(笑)。 Kさま、ありがとうございました!
 (その「つやすがた」、サイトアップいたしました!  こちらからどうぞ! 2008.07.04.追記)
 金曜アップのつもりが日曜日になってしまったのは、「恥ずかしいから」だと思います……。 お気に召していただけると嬉しいです。

2008.06.15. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
「尚陽小品」 「玄関」