黄 昏 (12)
* * * 23 * * *
雁州国に戻った延王尚隆は、早速泰麒捜索の手を打つ。空位の芳と巧を除く七カ国の王に、延王の親書として鸞を飛ばした。
常世最長命の奏南国宗王には、最初から詳細を説明した。泰麒は鳴蝕を起こして行方不明になったのだ。崑崙か蓬莱に流された可能性が高い。麒麟をその二国に派遣したい旨、捜索の具体案をも示した。
様々な反応が返ってきた。舜と柳は、色好い返事を寄越さなかった。奏と漣からは、積極的な応えがあった。恭と才からは、慎重な答えが返ってきた。そして範からは──。
尚隆は範からの返答に眉根を寄せた。いつもの如く、回りくどく分かりにくいその応え。苛々と首を振る尚隆に、六太が訝しげに問う。
「どうした、尚隆」
「どうもこうもない。あやつときたら……」
「範の御仁かよ」
渋面の尚隆に六太はしたり顔で頷く。尚隆は顔を顰めたまま話を続けた。
「宗王からは積極的なご回答をいただいた。蓬莱出身の胎果に蓬莱を任せて、誼の深い恭や才とともに崑崙を捜す、と。雁と慶、それに漣。そして──」
「不本意ながら範も一緒、というわけだ。お前が渋い顔をするわけだな」
言わずもがなの事実に、六太は軽く笑う。尚隆は憮然とし、答えを避けた。それくらい、氾王呉藍滌とは相性が悪いのだ。くつくつと笑いながら、六太は先を促す。
「それで、手筈は?」
「──氾麟と廉麟を雁に寄越してもらう。景麒と陽子にも来てもらわないとな。その前に──」
尚隆はそこで一度言葉を切った。それから、大きく息を吸い、先を続ける。
「他国と共同で事に当たることが可能かどうか、玄君にお伺いを立てる」
他国には干渉しないのが常世の掟だ。数カ国が協力することは、天の摂理に反するかもしれない。それは、事を起こす前に明確にしなければならないことであった。
「確かにな。理に抵触するかもしれない」
六太は腕を組み、大きく頷いた。そんな六太に尚隆は真顔で命じた。
「お前は、蓬山に陽子も一緒に連れて行け」
「──陽子を、蓬山に?」
六太は意外そうに首を傾げる。それは当然の反応かもしれない。慶が安定するまで理の仕組みを陽子に教えるつもりはない。尚隆は常々六太にそう言っていたのだから。六太の問いに、尚隆は明確に答えた。度し難い女王を納得させるためには必要なことなのだ。
「陽子は、こう決まっているから、と説明しただけでは納得しない。──天に対する疑問を持ち始めている。理の仕組みを、きちんとを教えておいたほうがよかろう」
「そうかもな。お前、今回は、陽子にやられっぱなしだもんなぁ」
尚隆を揶揄しながら、六太は苦笑する。先日の会議で見せられた、景王陽子の見事な国主ぶりを思い出したのだろう。尚隆は嫌な顔をしてそっぽを向いた。
「余計なお世話だ」
「師匠が師匠なんだから、しょうがねえだろ」
六太はそう言うと大きく笑った。確かに、景王陽子に官との駆け引きの仕方を教えたのは尚隆だ。が、その技で、己がやりこめられるとは思いもしなかった。
「俺は残って漣や範と話を詰める。お前は陽子と蓬山に行って、玄君にお伺いを立ててこい。そして、帰りは奏に寄って宗王に詳細を伝えろ」
六太の軽口を無視して、尚隆は説明を続けた。六太は顔を引き締める。
「分かった」
「──それから、陽子の反応を見逃すな。玄君の話を聞いて、何を思うか……。陽子はもともと玉座を厭っていた。天意を信じられなくなったら、己が玉座に座る意味を見失うやもしれぬ」
「尚隆……」
尚隆が陽子に寄せる想いの強さを感じたのか、六太は口を閉ざした。尚隆はにやりと笑い、軽く言った。
「陽子が今回の発起人ということで、自覚を持たせなくてはな」
「──言っとく」
たまに可愛気を見せたと思ったら、すぐこれだ。そう言いたげに、六太は肩を竦めて苦笑した。
* * * 24 * * *
「ようこそ金波宮へいらせられました。さあどうぞ」
金波宮禁門に到着した延麒六太に、門を守る兵卒が叩頭して言った。六太は驚きつつも騶虞の手綱を駆け寄ったその門卒に渡す。
「へえ……お前、気が利くなぁ。名は何てんだ?」
「凱之、と申します」
「覚えとこう」
金の髪を持つものは、この常世では麒麟のみ。しかし、身元を問い質すこともしない目端の利く門卒に笑みを送り、六太は禁門を潜った。
そのまま真っ直ぐ正寝の陽子の許へと向かう。陽子の驚く顔を想像して、六太はにんまりと笑った。
「……今回も突然のお越しですね。よくここまで」
はたして陽子は軽く溜息をついた。六太はにっと笑って気の利く門卒の話をした。呆れる陽子に、六太は本題を伝える。陽子の顔がたちまち真面目になり、六太の説明に頷いた。
そんな陽子も、話が蓬山行きに至ると怪訝な顔を見せた。前例のないことは蓬山のヌシに訊かなければいけない。そう告げる六太に、陽子は戸惑いながらも従った。
蓬山で待つ碧霞玄君玉葉を見つけ、陽子は驚いたようだった。行けば分かる、と言った六太の言葉に納得して頷く。そして、六太が紹介したい、と言っただけで、陽子を景王と断じた玄君に、更に驚いていた。
六太が玄君と話している間、陽子は終始無言だった。六太との打ち合わせを終え、玄君が立ち去った後、陽子は戸惑い気味に問うてきた。
「これは……どういうことなんだ?」
何をどう問うていいか、という風情の陽子に、六太は明確に答えた。陽子は釈然としない、と言うように口籠りながら、更に問う。納得できないことは、とことん突き詰めないと気が済まないように見えた。尚隆の言うとおりだ、と六太は苦笑する。
「何故玄君が答えを知っているんだ?」
その問いを聞いて、六太は、ああ、そうか、と溜息をひとつついた。陽子は、この世には天の定めた摂理があるということを、呑み込んでいないのだ。
六太は覿面の罪を例に挙げて陽子に説明した。陽子は懐疑的に問う。条理を定めたのはいったい誰か、と。
分かるもんか、六太は軽く答える。そう、六太や尚隆に分かることは、世界には条理があるということだけなのだ。それに背けば罪に当たり、罰が下されることになる。
陽子は鋭く問うた。その行為を罪と認めたのは誰か、罰を下したのは何か、誰かがいるはずだ、と。そうとは限らない、と六太は答える。登極で天勅を受けるとき、頭の中に知らなかったはずの条理が書き込まれる。そのとき、身体に条理が仕込まれる、とも考えられる。それで、天の条理に背いたときに、あらかじめ定められた報いが発動するのだろう。
仕込むべく用意したのは誰なのか、と女王は眉根を寄せた。さてなあ、と六太は宙を仰いだ。人に訊かれたら、勿論、それは天帝なのだ、と答える。しかし、景王陽子相手に、そんな空々しいことは言えない。六太は実際に天帝に会った者など知らない。そう正直に答えると、陽子も頷いた。
天帝がいるかどうかは知らないが、世界には条理がある。それに背けば罰が発動する。行動の是非は問題ではない。天綱の文言に触れたか触れないか、それだけの自動的なものなのだ。
六太は説明をそう締めくくった。陽子は軽く身震いした。六太は陽子が不思議に思っているだろうことを補足した。景王陽子の助力をするために、雁の王師は国境を越えた。それが何故、覿面の罪にあたらないかを。
天はある。神は人と接触しない。ただし、蓬山は天の一部であり、碧霞玄君は天と人とを繋ぐ唯一の窓口である。玄君が、天の意向を答えてくれる。
六太は己が知り得る全ての真実を、陽子に包み隠さず述べた。それは、臣下には聞かせることができない、王と宰輔のみが知る極意であった。陽子は奇妙な顔をして黙した。
「諸国が一致して泰麒を捜索する、これは天の条理に反しない」
翌日、碧霞玄君玉葉はそう告げた。玄君と六太は問答を繰り返す。それはあたかも曖昧な条理に明確な線引きをする行為のようだった。玄君は、一晩でその条理に対する解釈と前例を調べ上げ、答えを与えている。
六太は陽子の奇妙な沈黙を胸に留めた。尚隆と六太がかつて持った、天に対する疑問を、陽子は持ち始めている。そして、それをただ丸呑みすることをできずにいる。六太はそういう印象を持った。
何故、妖魔がいるのか。何故、王には寿命がないのか。何故、生命は樹木から誕生し、何をもって麒麟は王を選ぶのか。
今まで当然として受け止めてきたことをひっくり返されるような違和感。そんなものを、陽子は改めて感じているのだろう。
「玄君の言っていることは分かったな?」
六太の問いに、陽子は頷いた。分かった、と言いつつ物問いたげな様子を見せる。しかし、陽子は言葉を発することができないようだった。
胸に抱く疑問は、景王陽子が己で解決しなければならないことを、延麒六太は知っている。そんな陽子に、尚隆からの指示を待て、と告げて六太は奏へと向かった。
2006.09.28.
詰まりに詰まった長編「黄昏」連載第12回を、なんとかお届けできました。
これを仕上げるために、私は他のお話を幾つ書いたのでしょう──?
新展開でございます。妄想はこれからどんどん深まります。
何卒よろしくお付き合いくださいませ。
2006.09.29. 速世未生 記