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黄 昏 (13)

* * *  25  * * *

 延麒六太が慶国経由で蓬山に旅立った後、延王尚隆は漣や範と話を詰めた。泰麒とは誼があったという漣は、廉麟を雁に派遣することに異議を唱えなかった。一方、氾麟を寄越すことになっていた範は、ある日を境に、突然連絡が取れなくなった。
 諸国が一致協力してひとつのことに当たるという、前例のない壮大な事業。その内の一国と連絡が取れなくなるなど、出端から躓いたようなものだ。とことん相性の悪い氾王を思い浮かべた尚隆は、卓子に頬杖をつき、大きく嘆息した。

 気紛れな範国主従の所在は、この際後回しでいい。ともかく、六太の帰国と廉麟の訪問を待たねばならない。全ての手を打ち終わり、待ちの態勢に入った尚隆は、徒然に思いを巡らせる。
 白雉が落ちてもいないのに、妖魔が跋扈し天変地異で荒れ果て、膠着した戴の国。それは、五百年の治世を敷く延王尚隆でさえ、初めて見る形だった。

 天命に縛られる王は、民を虐げれば失道する。しかし、仙を任命する王も宰輔も行方が知れず、寿命のない官吏が国を蹂躙するとは。自ら滅びることのない僭主の出現は、ある意味、最悪の状態だ。戴の民が一致団結して僭主を討ち取らねば、事態は収拾がつかないだろう。
 今の戴に、外からできることはない。尚隆が静観を決めこんだのは、そんな思いからだった。泰王泰麒ともに助けを求めてはこなかった。覿面の罪がある限り、荒民受け入れの他にできることはない。しかし──。

(ここで慶を守り、戴を見捨てることが王の義務なら、私は玉座なんかいらない)

 隣国の若き女王の真摯な叫びは、延王尚隆の胸を抉った。尚隆と六太は、泰果は生っていないか、と何度も蓬山に問うていた。麒麟である六太には、泰麒の存命を知るための確認であっただろう。しかし、王である尚隆にとって、それは──泰麒の死を確認するための作業であった。

 新たな麒麟が生まれて王を選定しなければ、戴の混乱は収まらない。延王尚隆は、施政者の立場からそう見ていた。内情を調べて救済方法を考えろ、と諫言する延麒六太をやり過ごし、放置してきた。
 今でもそれを悪いことだとは思っていない。延王尚隆は雁の国主であって、戴の国主ではないのだから。生まれ育った蓬莱と違い、こちらの世界は他国への干渉を許さない。そう、己の国が他国に滅ぼされることを懸念することなく暮らしていけるのだ。しかし。

 戴国将軍李斎の嘆願を容れた景王陽子の行動は、尚隆に忘れていたものを思い出させた。──それは、人を思いやる心。
 他国に干渉しないということは、協力もしないということだ。独立を尊び、不羈を促すあまりに忘れがちな、人と人が助けあうということ。
 荒れた国を立て直し、落ち着かせた後に、王が必ず壁にぶち当たる問題点、荒民対策。自国が豊かになればなるほど、傾いた国から荒民が押し寄せる。それは、延王尚隆が治める雁も、恐らく最長命国である奏も同じであろう。
 まだ落ち着かぬ国を統治する景王陽子は、己が斃れた後のことまで語った。

 王がいない国の民を救済する前例を作りたい、と。

 延王尚隆をも論破した清廉な女王──。純粋で烈しい景王陽子は、己の意志を曲げることはない。
 王の存在しない国からやってきた胎果の女王は、己と民を同列に考える。そして、己の身を無邪気に危険に曝す。己が国にとって唯一無二の尊い存在であることを、全く理解していないから。
 そんな陽子を、物知らぬ胎果の小娘、と侮る者は多いだろう。しかし、その師匠である太師遠甫が示唆したように、陽子は豊かな蓬莱で高い教育を受けている。
 あちらとこちらの違いに戸惑っていた景王陽子は、街に降りてその相違を受けとめた。そして、あちらの良さをこちらに取り入れようとしている。その画期的な考えは、延王尚隆をも動かしたのだ。

 胎果の女王は、天意の現れ。

 ──天は、胎果を集めて、常世の何を変えたいのか。

 何気なく呟かれた延麒六太の言葉が、再び尚隆の胸を過る。天意を信じぬ尚隆に天啓を感じさせた娘は、いったい何を具現するのか。胎果の女王を中心に、新しい風が吹く。
 延王尚隆は、鮮やかな紅の女王を思い浮かべ、微笑する。落ち着かぬ国を抱えながら、景王陽子は己を頼る者を当然のように受け入れる。そして、今の己にできる限りのことをしようとひたむきに努力する。その姿は、周囲のものを動かす力を持つ。そんな、清麗で意志強き女王。

 蓬山に向かった陽子は、碧霞玄君の言葉に何を思うだろう。常世は理に縛られている。天の摂理は教条的に動く。そこに天帝の意思は感じられない。
 それでも、天はある。しかし、神は人に接触しない。天と人を結ぶ唯一の窓口である蓬山。その主である碧霞玄君は、条理を解釈し前例を調べ上げる。そして、王と宰輔が望む答え──天の意向を伝えてくれる。陽子は、それを疑問に思うだろうか。かつて、尚隆や六太がそう思ったように。
 心に持つ疑問を己で解決し、このまま健やかに伸びていってほしい。王を誘う昏い闇に捉えられることなく。延王尚隆は心底そう思うのだった。

* * *  26  * * *

 やがて、慶東国経由で蓬山に赴き、その足で奏南国に向かった六太が帰国した。執務室に現れた六太は、書卓に頬杖をつく尚隆を、怪訝な顔で眺めた。

「何やってんだ、尚隆」
「──範からの連絡が途絶えた」
「相変わらず、気紛れな御仁だなぁ」
「それはまあいい。玄君は何と言った?」

 憮然と答える尚隆に、六太も呆れ顔だった。そのまま卓子に座りこみ、足をぶらつかせる六太に、尚隆は報告を促す。

「泰麒捜索を諸国が一致してやることについては、天の摂理には反しないそうだ」
「それから?」
「新たな官位を増やして虚海を渡る人員を増やすことはできない。それから、今、蓬山には塙果がある。女仙を借りることもできない」
「──ふむ」

 六太は玄君と打ち合わせた事柄を、事細かに説明した。尚隆はそれを聞いて大きく頷き、理解を示す。

「胎果でない者は、例え麒麟だろうと、あちらで確固たる存在を保てないのだからな。州侯に虚海を渡れと言うわけにもいかぬだろう」
「そういうことだな」

 六太もそう答えて頷いた。実際、蓬莱に主を捜しに出掛けた景麒でさえ、己の姿を保つのに苦労したという。景麒が人の形をまともに取れたのは、結局、陽子が傍にいたときだけだったのだ。神獣麒麟でさえそうなのだ。ただの仙では大して戦力にはならないだろう。尚隆は重ねて問うた。

「──陽子はどうだった?」
「確かに、陽子は天に対する疑問を持ち始めているようだな」
 六太はそう言って苦笑した。どう問うていいのか分からない、といった風情だった。陽子の奇妙な沈黙を、六太はそんなふうに語った。
「──お前の言うとおり、納得できないことは、とことん訊きたがる。おれに分かることは説明したけどな」

 全てを仕込んだのは誰なのか、と陽子は鋭く問うた。六太は尚隆にそう告げた。天帝がそれだ、などという空々しいことを、景王である陽子には言えない。天帝を見たことがある者など知らない。率直にそう語った六太の言葉に陽子は頷いた、と。尚隆は大きな肩を竦めて苦笑する。

「──陽子には補足が必要かもしれぬな。それから、宗王は何と?」
「玄君の言葉と戴の現状を伝えたら、全面的に協力すると言ってくれた」

 奏も独自に戴を調べようとしていたらしい、六太はそう語る。その役目を担っている風来坊を思い、尚隆は笑みを浮かべた。
 なんにせよ、大国奏の協力はありがたいことだった。それから、六太は思い出したように付け加えた。

「──ああ、それからな、風来坊の第二太子が国にいたぞ」
「卓郎君が?」
「なんでも、荒民対策の責任者になったとかで」
「──ほう。風来坊も、とうとう大きな仕事を押しつけられたか」

 卓郎君利広の深い溜息が聞こえるような気がして、尚隆はにやりと笑った。奏では王后と第一太子が王の補佐をし、公主は官立の医院の長として国を助けている。第二太子は大きな看板を背負わず、諸国をふらふらと旅していた。己は情報収集担当なのだ、と嘯きながら。
 その後、範の官吏からの書簡が届いた。連絡が取れない氾王からの返答を諦めた尚隆は、範の国府に問い合わせをしていたのだ。その書簡を検めた六太は眉根を寄せた。

「おい、範の御仁と小姐ねえちゃん、どうやら慶にいるらしぞ」
「──勝手なことを」
 どこまでも気紛れな範国主従に、尚隆は苛立たしげに首を振った。復興途中の慶の国庫に負担をかけぬために、わざわざ雁に来るよう指定したというのに。
「仕方ねえな。あの御仁を動かすのは、もう無理だ。おれたちも慶に行くしかねえだろ」
 嘆息した六太に、尚隆は憮然として黙す。六太は肩を竦め、下官に鸞を用意させた。禁門の上で待て、と一言告げ、尚隆は鸞を景王陽子に飛ばした。そして、廉麟の到着を待ち、尚隆と六太は雲海の上から慶へと向かった。

2006.10.06.
 大変お待たせいたしました! 長編「黄昏」連載第13回をなんとかお届けできました。 今回は、色々な面子が様々なことを好き勝手に語り、私は頭が痛くなりました……。 その内、御題にでもできたらいいなと思います。
 次は恐らく慶のお話になるでしょう。 皆さまお待ち兼ね(?)のあの方々がご登場(の予定)。

2006.10.06. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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