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えぐれさま「9万打記念リクエスト」

甘 夜 (下)

* * *  3  * * *

 夜半に女王の私室を訪った。伴侶は榻に居心地悪そうに腰かけていた。そして、卓子の上には酒と酒肴が用意されている。
 尚隆に気づくと、伴侶はぎこちない笑みを見せて立ち上がる。それを見て、尚隆は思わず独り言のように感想を述べた。
「──珍しいな」
「女史と女御の心尽くしですよ」
 少し不機嫌にそう言うと、伴侶は顔を逸らした。尚隆は低く笑う。珍しいのはもてなしの用意が施されたことだけではないのだ。しかし、尚隆は敢えてそれを口にしなかった。恐らく、それこそが伴侶の機嫌を損ねているのだろうから。
 女王が身に纏う夜着は、見慣れた簡素なものではなかった。伴侶を迎える女に相応しい衣装として着替えさせられたことが察せられる優雅な羅衫であった。
 諌める側近と渋る女王との間で交わされた会話を想像すると、可笑しさが込み上げる。しかし、尚隆は難なくそれを隠した。
「──残念だな」
 わざとらしく嘆息すると、伴侶は無言で目を戻した。その視線を捉え、尚隆は声を落として続けた。
「どうやら、俺は歓迎されていないらしい」
「そんなこと……!」
 ない、と呟き、伴侶は頬を染めて俯く。すると、いつもと違う豪奢な組紐の房飾りが涼やかな音を立て、伴侶はますます顔を赤くした。
「お前の瞳のようだな」
 尚隆は房飾りにつけられた翡翠に手を伸ばす。それだけで、伴侶は細い肩を大きく震わせた。構わずに小振りの石を手に取り、そっと口づける。そして、大きく見開かれた翠玉の瞳の横に並べて見比べた。伴侶は息を呑み、動きを止めた。

「──お、おかしくはない?」
 やがて、伴侶は目を伏せ、頬を朱に染めたまま、そう訊いた。里の乙女のようなその様は、麗しき女王を歳相応の可愛らしい娘に見せる。尚隆は笑みを湛え、率直な感想を伝えた。
「よく似合っている」
「ほんとうに……?」
「ほんとうだ」
 おずおずと顔を上げる伴侶に、尚隆は翠の瞳を覗きこみ、おもむろに答えた。伴侶の顔がほんのりと喜色に輝く。そして、伴侶は尚隆の胸に頬を寄せ、恥ずかしげに言い訳した。
「──鈴と祥瓊に叱られたんだ、もう少しまともな恰好をしなさいって……」
 やはり、と胸で呟いて、尚隆は微笑した。女王を厭う慶の民を憚ってか、伴侶は殊更に女であることを意識しないようにしていた。簡素な官服を好み、街に下りるときにも男装する女王の娘らしい装いは、尚隆の目を充分に楽しませた。

「──せっかくお酒を用意したのに、おもてなしが遅くなってごめんなさい」

 伴侶は鮮やかに笑み、尚隆を榻に誘った。甲斐甲斐しく酌をする伴侶に、昼に見せた王の威厳はない。ぶっきらぼうな言動を止めない武断の女王のこの姿を独り占めしている、と思うと、尚隆は存外によい気分になった。
「酒などなくても酔えるぞ──お前に」
 そっと細い肩を抱き寄せる。目を見張って顔を上げる伴侶を見下ろして、尚隆は笑みを送った。桜色に頬を染めた伴侶は、羞じらいつつも笑みを返す。
「なんだか……緊張する」
「そうか?」
 尚隆は、そのまま伴侶をふわりと抱きしめた。そして、初々しくも可愛らしい伴侶が緊張を解くまで、ゆったりと待ち続けた。
 やがて、小さな溜息とともに伴侶は力を抜いた。尚隆は華奢な身体を抱く腕に力を籠め、瑞々しい朱唇に己の唇を重ねた。
 何度も口づけを交わす。羞じらう乙女が女の貌を見せ始めたとき、尚隆は微笑して伴侶を抱き上げた。少し震えている朱唇にもう一度口づけを落とし、尚隆は伴侶を臥室へと運んだ。

「──俺はもう充分に我慢をしただろう?」

 華奢な身体に覆い被さり、尚隆は柔らかな耳朶にそっと囁く。そして、小さく息を呑む伴侶の羅衫に、ゆっくりと手を伸ばした。

* * *  4  * * *

 愛しい伴侶と過ごす甘い夜。尚隆は、潤んだ瞳を覗きこみ、想いを籠めて緋色の髪を梳いた。瑞々しい唇を味わい、滑らかな肌をなぞる。その度にあえかな喘ぎ声を上げる伴侶を、尚隆は熱く抱きしめた。
 たまさかの逢瀬だからこそ、このひとときが惜しい。尚隆は、力尽きた伴侶が眠りに就いても、そのしなやかな身体を離すことはなかった。

「──尚隆なおたか
 物憂げな伴侶の声で目が覚めた。外はもう白みかけていた。伴侶はいつものように尚隆が夜明け前に堂室を出る、と思っているようだった。
 尚隆はにやりと笑い、見上げる伴侶に熱く口づける。目を見張る伴侶の抵抗を封じ、尚隆は華奢な身体を愛撫する。伴侶は小さく声を上げた。
尚隆なおたか!」
 抗議する伴侶の目を見据え、尚隆は人の悪い笑みを返す。そして、伴侶の反応を楽しみにしつつ断じた。

「──此度は、朝まで俺に付きあってもらう」

「──!」
 伴侶は零れ落ちそうなほど瞠目して絶句する。思ったとおりの反応に、尚隆はくつくつと笑った。そして、ますます目を見開く伴侶の耳許に囁く。
「お前の側近は了承しておるぞ」
「──どういうこと?」
「今日は、誰もお前を起こしに来ない」
 朝議を休ませることはできないがな、と続けると、伴侶は真っ赤な顔をして押し黙った。
 そう、いつも夜半に伴侶の堂室を訪ね、夜が白む前に掌客殿に戻る。それが女王の恋を案じる景麒の最大限の譲歩であった。
「──いったい何をしたの?」
 伴侶は頬を染めたまま尤もな質問をする。尚隆はそれには答えず、景麒とのやりとりを反芻した。

(景麒、頼みがある)
 女王の執務室よりも先に宰輔の執務室を訪ね、尚隆は開口一番にそう言った。景麒は眉根を寄せ、黙して尚隆を見返す。主の伴侶の殊勝なようで尊大な口調に、警戒心を隠すことはなかった。それに頓着せず、尚隆は話を続けた。
(明日の朝、陽子を起こさぬよう手配をしてくれぬか)
(──それはできかねます)
(何故だ? 世話をする女御は、陽子の友だと思ったが)
(──掌客殿を担当する者が不審に思いましょう)
(放埓な隣国の王は酒が過ぎて寝ているので放っておけ、とでも命ずればよいだろう?)
(そんなわけにはまいりません)
(──そうか。邪魔をしたな)
(延王、まさか……)
(たまには事前に了承を取り付けようと思ったのだが、無駄足だったようだな)
(──次回はございませんよ)
(憶えておこう)
 景麒は即座に言外の意味を悟ったらしい。深い溜息をつき、そう念を押す。尚隆はにやりと笑い、軽く片手を挙げて感謝を示した。

 景麒が許さなければ、実力行使するつもりだった。それで困るのは誰なのか、景麒が最もよく知っている。
 勿論、何度も使える手ではない。まだ落ち着かぬ国を背負う女王を窮地に落とす気もない。が、一度くらい後朝の別れを気にせずに済む甘夜があってもよいだろう。実際、伴侶の友たちは尚隆のためにもてなしの用意をしてくれていた。
 顛末を知らない伴侶は、にやにやと笑う尚隆を疑わしそうに見つめる。尚隆は唇を緩めて応えを返した。
「野暮な質問をするのだな」
 夜は短いのだぞ、と続け、尚隆はくつくつと笑った。そのまま、まだ物問いたげな半開きの朱唇に己の唇を重ねる。伴侶は躊躇いがちに抗った。
「でも……」

「皆、お前を案じている。今日だけは、臣たちの好意に甘えないか?」

 尚隆は翠の瞳を捉え、優しく囁いた。伴侶は小さく息を呑む。そう、鈴が、祥瓊が、浩瀚が、生真面目な女王のために配慮してくれている。女王の恋を案じる景麒も、此度は折れた。
 うん、と小さく呟いて、景王陽子はふわりと笑う。尚隆は笑みを返して伴侶を抱き寄せる。伴侶はもう抗わなかった。

 ふたりきりの甘い夜は、まだ終わらない──。

2009.01.15.
 えぐれさまによる「9万打記念リクエスト」でございます。
 まずはお詫びを。1年半近くもお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
 「黄昏」余話限定の中でのお題は、「『夢幻夜話』中一番LOVELOVEな話」 でございました。
 ご、ごめんなさい! 連作「慶賀」より前でらぶらぶなお話というのは、私にとって かなり敷居の高いものでございました。 「甘く甘く」と唱え、書けば書くほど長くなり、とうとう20枚ものお話に……。 その割りに中身がなくて申し訳ないです〜。
 それでも、なんとか仕上げることができました。 お気に召していただけると幸いです。
 (余談ですが、短編「裏話」@連作「残月」はこの「甘夜」の裏話でございました。 併せてお楽しみいただけると嬉しいです)

2009.01.15. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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