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謀 事はかりごと (1)

* * *  1  * * *

 私室に戻ると鸞が届いていた。その尾羽の色を見やり、延王尚隆は唇を緩める。鸞は他国の王からの親書。差出人は慶東国の王である麗しき伴侶だ。
 遠路を三日かけて飛び、伴侶からの便りを運んできた鸞に労いの銀の粒を与える。鸞は愛しい女の声で鳴き出した。

「ご無沙汰しております。お訊きしたいことができましたので、ついでの際にでもこちらにお寄りください」

 それだけを告げて、鸞は口を閉じた。尚隆は眉根を寄せる。久しぶりに聞く伴侶の声が、こうも無愛想で事務的なものだとは思わなかった。ぶっきらぼうなのはいつものことだが、もう少しなんとかならないか。
 少し旋毛を曲げた尚隆は、小さく嘆息する。もう一度、鸞が運んだ声を聞いてみた。鸞は景王陽子の事務的な声を繰り返すのみ。
「全く。ついでとは何事だ。会いに来て、とでも言えば可愛いものを……」
 そう毒づいた尚隆は、己の伴侶にそう言わせることが如何に大変かをよく知っている。三度同じ言葉を聞いているうちに、良いことを思いついた。尚隆は、にやりと唇を歪め、鸞に向けて語りかける。
「訊きたいことがあるならば、雁まで来るがよかろう。遅れるなよ」
 日時を勝手に指定し、笑い含みに締めくくる。それから下官を呼び、至急鸞を放すように申しつけた。さて、伴侶はどう出るか。麗しき女王の蹙め面を思い浮かべ、尚隆はひとり悦に入った。

 尚隆を頼って登極した年若き伴侶は、いつしか強かな女王へと成長していた。勿論それは喜ばしいことだ。が、物事に動じない女王は、少し面白味に欠けている。生真面目なのは政務だけでよい。そんなふうに思うことが多いせいか、尚隆はつい伴侶を揶揄ってしまうのだ。
 無論、難癖をつける度に隣国の女王は深い溜息をつく。そうして適度に尚隆の言い分を聞きつつ軽く流してしまう。それが続くとどうにも面白くなくて、最近は伴侶が困るようなことばかりしている尚隆であった。

 事の発端は何だっただろう。尚隆は少し考える。ああ、あの時はお忍びでやってきた伴侶を、六太が妓楼まで連れてきたのだった。
「お楽しみのところ申し訳ないですね」
 妓楼には良い思い出がないはずの伴侶が、苦笑を浮かべつつも冷静な様子で尚隆の前に現れた。興を覚えて素直に帰り支度をしたところ、妓楼の女将に耳打ちされたのだ。
「風漢さま、あの方を呼んでくだされば、花娘たちの士気ももてなしの質も上がりますわ」
 女将に笑みを返してその場は終わらせたが、その申し出は尚隆の気を引いた。

 次の機会は、用事があってやってきた伴侶を妓楼に呼びつけた。再び六太とともに現れた伴侶は、花娘たちの大歓声に迎えられたのだ。
「まあ、なんて凛々しいお方でしょう!」
「どうぞこちらへお越しくださいませ」
 辞退しようとした伴侶は、花娘たちに腕を取られて尚隆の隣に坐らされた。そのまま妓たちの歓待を受け、熱い視線を一身に浴びたのだ。
「いや、私は……」
 困ったように応対するその様は如何にも初々しく、花娘たちの心を擽ったらしい。そして、久々に見せるその困り顔は、尚隆が見ても可愛らしかった。
 結局その日、いつも頑なに男装を通す伴侶を女だと見抜いた者はいなかった。百戦錬磨の花娘たちをも欺きとおす実力を持つ男装の麗人。それは、尚隆を大いに楽しませたのだった。

 それからというもの、尚隆は何かと理由を作っては伴侶を雁に呼び寄せた。生真面目な女王は、溜息をつきながらも律儀に玄英宮を訪ねてくる。口喧しい宰輔や冢宰が国主を送り出すこと自体、慶東国が安定している証拠だ。
 伴侶の登極当時を思い起こす。あの頃は、何かと障害が多かった。伴侶が国を空けることなど、おさおさできなかったのだ。尚隆が多少調子に乗っても仕方ないことだろう。
 そんなわけで、最近あの妓楼を常宿にしているのは、花娘の質云々よりも、伴侶の困惑や女将の対応が面白いからかもしれない。
「退屈する暇はない」
 尚隆はそうひとりごち、くつくつと笑った。

* * *  2  * * *

「陽子を呼んだぞ」
 尚隆がそう告げると、六太はにやりと笑った。
「今度はどんな難癖つけて呼びつけたんだ?」
「人聞きの悪いことを言う。訊きたいことがあると言うで、それなら来い、と返しただけだ」
「ほんとよく言うよな。玄英宮で聞く気なんかさらさらないくせに」
 六太は穿ったことを言ってのけた。確かに、ここ最近は陽子を呼びつけておきながら、玄英宮にいた例がない。が、尚隆はにやりと笑っただけで返事をしなかった。
 その六太が城を抜け出した。陽子がやってくると城に詰め切りになるから、その前に遊んでおこうという肚は知れている。尚隆は思ったとおりのその行動にほくそ笑んだ。

 そして隣国から賓客がやってくる当日になった。尚隆は六太が帰ったことを確認して直ぐに玄英宮を出奔した。側近は慌てふためいて宰輔だけでも確保しようと躍起になるだろう。それでこそこの先が面白い。
 尚隆はそのまま関弓をそぞろ歩き、日暮れを待って常宿へと向かった。女将は満面の笑みを以て尚隆を迎え入れた。
 一番よい房室を借り受け、いるだけの花娘を集めさせる。賑やかな宴が始まった。だが尚隆は、やがて現れるだろう隣国の女王の尊顔を想像して楽しんでいた。

「夕餉の刻限でございます」
 席を外していた女将が姿を見せた。お運びしてよろしいですね、と念を押され、尚隆は片眉を上げて訊ねた。
「今宵は迎えが一人で来るはずだが」
「どなたもお見えになっておりませんよ」
 女将は不思議そうに目を見開いてそう答えた。そんなはずはないのだが、と胸で呟く。六太を置き去りにしてきたのだ。側近連中が六太までを自由にさせるわけがない。伴侶の気性ならば、事情を察して一人で来るだろう。眉根を寄せていると、女将が艶やかに笑った。
「お迎えはまだのようですから、夕餉をお楽しみくださいませ」
 重ねてそう言い、女将は手を叩く。それを合図に新たな花娘が数人、膳を捧げ持って現れた。上客を離すまいとする女将の気配りが可笑しくも微笑ましく、尚隆は花娘たちに視線を送った。
 最後尾を歩くひとりの花娘が尚隆の目を引いた。陶器のように白い肌、濡れたように光る黒い髪。物慣れぬ風情が初々しい若い妓だ。膳を置いたその娘は、微かに笑みを見せて拱手した。束の間、目が合う。その、美しい翠の瞳。
「──こちらへ」
 尚隆は頭を下げた娘に声をかける。俯く娘は気づかない。隣に坐る花娘に促され、娘は漸く顔を上げた。もう一度、娘と視線を合わせて手招くと、後ろに立つ女将が声を上げた。
「ヒスイ、お召しですよ。こちらへいらっしゃい」
 女将に促され、娘は目を見張っていた。口許を手で覆った娘は、小さく首を振って懇願するように女将を見つめる。突然の指名に怖気るその様子が可愛らしい。尚隆は笑みを湛えて女将を見上げた。
「ほう、ヒスイというのか」
「ええ、翡翠のような美しい瞳をしておりますのよ。どうぞお近くでご覧くださいませ」
 女将はにっこりと笑んで答える。視線を戻すと、狼狽えた娘が隣の花娘に重ねて促されているところだった。やがて娘は観念したように立ち上がった。

 覚束ない足取りで娘は歩き出す。尚隆の手前で立ち止まり、控え目に拱手する娘の手は細かく震えていた。尚隆は娘をじっくりと観察する。少し高めの身長、華奢だが適度に筋肉のついたしなやかな肢体、そして、何よりも輝かしい翠玉の瞳。尚隆はゆっくりと唇を緩めた。
 手を伸ばし、娘を近くに引き寄せる。息を呑みながらも、娘はそんな無体な扱いに声を上げることすらない。頤をゆっくりと掬い上げると、美しい翠の宝玉が見つめ返す。それは、何事にも動じない、女王の勁い瞳。

「──そんな恰好で何をしておるのだ?」

 低く笑って翠玉の瞳を覗きこむ。黒い鬘と厚化粧を施された白い肌の景王陽子は、虚を衝かれたように何度も瞬きを繰り返す。尚隆は驚く女王のその様子すら楽しんだ。

「──あなたを迎えに来ただけのはずだったのですが」

 他の誰とも間違えようのないまばゆい輝きを放つ女王は、苦笑を浮かべて応えを返した。

2011.09.25.
 中編「謀事」第1回をお届けいたしました。 中編「戯事」@夜話(本館)連作「戯事」の尚隆視点でございます。
 恐らく3回ほどで終わると思います。 中身の薄いお話ではございますが、しばらくお付き合いくださいませ。

2011.09.27. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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