「続」 「連作戯事」 「玄関」

戯 事ざれごと (1)

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 予定通りに禁門に辿り着いた時から、玄英宮は不穏な空気を醸していた。門卒はいつも以上に畏まり、閽人こんじんは叩頭して国主ではなく宰輔の執務室へ進むよう告げる。景王陽子は眉根を寄せて官吏たちに頷き返し、宮城に足を踏み入れた。
「何やら物々しい雰囲気ですね」
「──予想はつくけれど」
 足許から聞こえる使令の声に端的に答え、陽子はいつものようにひとりで回廊を歩く。宰輔の執務室に近づくにつれて、回廊に佇む侍官の数が増えている。次々に頭を下げるその官吏たちが、陽子の予想の正しさを裏付けていた。

 見慣れた延麒六太の執務室の前には、常にはいない小臣が立っている。それは護衛のためなのか、はたまた牽制のためなのか。この様子ではきっと後者に違いない。そう思い、陽子は小さく息をつく。賓客である景王を認めると、小臣は恭しく扉を開けた。
「──尚隆ならいないぜ」
 中に入った途端、堂室の主の不機嫌な声が響いた。予想通りの答えながら、改めて聞かされるとどっと疲れが出る。陽子は肩を落とし、深い溜息をついた。
「またですか?」
「申し訳もございません」
 国主と宰輔の側近が、拱手して陽子を迎え、陳謝した。そして、苦笑を湛えて説明する。

 国主延王は、出奔していた宰輔が帰城すると同時に城を出たのだ、と。

 陽子は腕を組み、堆く積まれた書簡に埋もれている六太を睨めつける。
「──まったく。あなたたちは私の仕事をとことん邪魔するおつもりですね」
「そんなこと、あるわけねえだろ。おれは、お前が来る前に、ちゃんと戻ってきたんだからな!」
 六太は唾を飛ばして言い立てる。それは、賓客到来時に不在の国主に対するあからさまな非難だった。そんな弁解を聞き、陽子は再び深い溜息をつく。それから、眉根を寄せて問いかけた。
「で、延王はどちらに?」
「案内してやる」
 陽子の一言に、六太は嬉しげに筆を置く。喜び勇んで立ち上がる六太を、目付役の側近がにっこりと笑って止めた。
「それには及びません、台輔。居場所だけを教えてくだされば結構ですよ。後は私どもでなんとかいたしますから」
「お前らが行ったって、あの莫迦は戻らねえぞ!」
 だからおれが陽子と行く、と六太は言い張る。そして、それを阻止する気が漲る官吏との睨み合いが始まった。陽子は大きく嘆息する。そして、二人の間に割って入った。
「分かりました。場所を教えてください。私が行ってきます」
 賓客に使いをさせるわけには、と言い立てる官吏に片手を挙げて、陽子は六太に尚隆の居場所を聞く。六太は大真面目にそれに答えた。思った通りの場所を告げられて、陽子はまたも大きな溜息をつく。官吏は肩身が狭そうに頭を下げた。
「ほんとに一人で行くのか?」
「──延麒。今、この状態では、私が一人で行くしかないでしょう?」
 未練がましい六太の問いに、陽子は大きく肩を竦める。延麒六太の側近は恐縮気味に拱手したが、宰輔を貸し出すとは言わない。書卓に積まれた書簡を見つめ、陽子は深く嘆息した。
「あいつなあ、絶対調子に乗ってるぜ」
 そんな陽子の気も知らず、書卓に頬杖をついた六太は楽しげに笑う。台輔、と言を阻む側近の声などどこ吹く風で。
「お前に迎えに来てほしいんだ」
「──まったく」
 陽子は憎々しげに舌打ちした。気楽に己の考えを述べる六太に思い切り蹙め面を返す。これでは訪問する日時を決める意味がない。というか、教えてほしくば雁まで来い、と日時を指定して呼びつけたのは、尚隆ではなかったか。
 陽子が助言を求めると、最近の尚隆はいつもこんな調子なのだ。故に、六太にそう言われても仕方ないと分かっている。だが、やはり気分はあまりよろしくない。時間を作るために、景麒の厭味を乗り越え、浩瀚が差し出す案件の山を片付けてきた。やっとの思いで辿りついてみれば、呼びつけた本人は不在なのだから。
「やっぱり私の仕事を邪魔したいわけなんだ」
「それは、あの莫迦だけだぞ。おれは違うからな」 
 念のため言っておく、と続け、六太はいかにも楽しげに笑う。台輔、とまた側近が諫める声を上げた。陽子はそっぽを向き、踵を返した。延麒六太はにやりと笑い、片手を挙げる。
「健闘を祈る」
「それ、私が戻るまでに片付けておいてくださいね」
 積まれた書簡に指を突きつけてそう言い放ち、景王陽子はお気楽な宰輔に殊更慇懃に頭を下げる。肩を聳やかして執務室を出る陽子を、無論そうさせます、という側近の力強い声が送ったのだった。

 陽子は玄英宮の回廊を歩きながら思案する。ここ数回、六太とともに尚隆を迎えに行く度に、状況が悪くなっているような気がする。しかも、今日は、初めて一人で赴くのだ。
 そこはかとなく謀の臭いがする。対策を練ってから出向かなければ拙いかもしれない。
「──まったく」
 我が伴侶はいったい何を考えているのか。退屈凌ぎの悪戯事なら幾つでも思いつく、ほんとうに質の悪い御仁だ。そして、下手に出るとつけ上がる。
 尚隆は、陽子を怒らせたり困らせたりしては楽しむ。そんな尚隆のほくそ笑む顔が、まざまざと胸を過って消えた。
 次第に頭に血が昇るのを感じ、陽子はゆっくりと首を振る。冷静にならなければならない。でなければ、またいいように遊ばれてしまう。
「いつもながら困った人だな」
 陽子は深く嘆息し、苦笑した。

2009.07.31.
 中編「戯事」第1回をお届けいたしました。 拍手連載していた「国主は不在」「国主の捜索」「国主の思惑」「慶主の溜息」を 纏めたものでございます。
 書いている内に、例の如くどんどん延びていくので、拍手連載は諦めました。 中身の薄いお話ではございますが、しばらくお付き合いくださいませ。

2009.07.31. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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