扉の向こうへ(五緒さま)
「投稿小説」 「08桜祭」 「玄関」 


やっと参加できました。 五緒さま

2008/03/26(Wed) 21:49 No.13

 昨年のお祭には桜の画像を数点投稿したものの、肝心の話のほうが大遅刻をして、 不完全燃焼ぎみでした。




扉 の 向 こ う へ

作 ・ 五緒さま
2008/03/26(Wed) 21:52 No.14

 少し低めの声で蓬莱の歌を歌う陽子。
 艶やかな花の情景を歌ったものなのに、愁いを帯びた歌声は僕に、蓋をしていた想いを呼び起こした。 


 片付いてやけに広く感じる僕の房室に、祥瓊が陽子の伝言を携えてやってきた。
 簡素な託に、陽子とどんな約束をしたの、と問う祥瓊。僕はにこりと笑み、蓬莱で有名な猿の仕草を真似、両手で口を覆った。その仕草を見た祥瓊は、ふふ、と小さく笑い、内緒なのね。残念だわ、と肩を竦めた。
 僕は笑いの滲む声で、けれど、表情は真面目さを保って、主上から緘口令を下されましたから、と返すと、祥瓊はますます笑みを深め、主上から下された命ならば破るわけにはいかないわね、とそれ以上は約束について触れることなく、房室を出て行った。


 数日前、ひょっこりと僕の房室へやってきた陽子。新しい生活を始める僕に、お祝いがしたいが何か欲しいものはないか、と訊ねてきた。
 何か欲しいもの……と考えを廻らせてはみたものの、これといって思い浮かぶ物はなかった。そこで僕は物ではなく、して欲しいことがあるのだけど、と遠慮がちに望みを口にのせた。蓬莱の春を象徴する桜の歌をもう一度聞かせて欲しいと。
 一瞬、驚いたような顔つきを陽子は見せたが、すぐに優しい笑みへと変わり、近いうちに時間を作って歌ってくれることを約束してくれた。

 
 そして今。そんな僕のために忙しい政務の合間を縫って、陽子が歌ってくれている。
 流れてくる歌声に耳を傾けながらも、毎年この時期になるとこの庭院の桜の木の側で、一人、静かに旋律を口ずさむ陽子の姿を思い浮かべる。それは決まっていつも早い時刻で、陽子の堂室に飾る花を探す役目を頂いていた僕は、その光景を何度か目にしたことがあった。
 ひっそりとした庭院から聞こえてくる旋律の美しさと、慈しむように桜に触れる陽子の姿はいつも声をかけるのを躊躇わせ、僕は物陰に隠れて息を潜めそっと見ているしかなかった。

 桜が植えられてから何度目かの春。太師邸で寛いでいた陽子に、僕は思い切って訊ねた。陽子が桜を見ながら口ずさんでいるのは蓬莱の歌なの、と。意外なことを訊かれたというような表情で問い返す陽子に、桜が咲くと時々木の側にいる姿を見かけていたことを話し、隠れて見ていたことを謝った。
 陽子は俯いた僕の頭に手を置いて優しく撫でながら、あの旋律には二種類の歌詞があること教えてくれた。そして、今と同じように旋律に歌詞を載せて歌ってくれたのだった。


 歌の余韻に包まれしばらくの間、僕と陽子は無言で桜を眺めていた。
 静けさが漂う庭院に風が吹き、さわさわと優しく梢を揺らす。そのささやかな音を拾った僕は、目の前に置いている茶器をひろげ、お茶を淹れた。陽子に声をかけようとして桜のほうを見ると、ちょうどこちらに振り向いた陽子と視線が合った。軽く茶杯を持ち上げお茶が入ったことを陽子に告げると、今いくよ、と声がかかり、こちらに戻ってきた。刹那、その視線の先に桜を映して。
 
 陽子の登極を祝い雁国から贈られた桜の木は、まだひょろりとして歌詞に出てくるような情景には程遠いけれど、次に僕がここに戻ってきた時には、伸びやかに枝を広げた姿に変わっていることだろう。


 僕の我侭を聞いてくれてありがとう。陽子。
 新しい扉を開く不安はあったけれど、この桜を支えに扉の向こうへ歩みを進めることができそうだよ。



* * *  五緒さまの後書き  * * *
2008/03/26(Wed) 21:54 No.15

 ある歌をキーに蘭桂の前でその歌を歌う陽子、という話を書こうと思っていたのに、 なぜだか春の定番ネタ「別れ」がメインになってしまいました。おかしいなぁ。
 相も変わらずだれかの視点からしか話をかけませんが、少しでも楽しんでいただけますように。

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