花ぞ散りぬる 壱
作 ・ リコさま
2009/05/14(Thu) 00:58 No.346
凶報は青鳥によりもたらされた。
いつものように澄ました珠晶の声が聞こえるのかと思いきやその声は切迫し、心持ち早口だった。核心から入ったことが事態の深刻さを告げている。
「利広、供麒は不逞の輩にさらわれたわ。供麒の命が惜しくば退位をしろと要求している。私は天帝に認められし王、下賤で野蛮な要求に応じることは断じてできない。やっとここまできた国がまた妖魔に襲われ荒廃していく様を想像すると莫迦な奴らに腹がたつわ。二度と妖魔に襲わない国にしたかったのに…… 悔しい」
利広の心の蔵が早鐘を打つ。顔からは血の気が引いていた。
彼女とのつき合いは王になる前から始まっている。その類希な人柄に惹かれ、陰になり陽になり力を貸していた。ここ数年は良き師を得たと多少疎遠にはなっていたが、次々と新しい政を打ち出し、国は活気づき、冨み、この奏も追い抜く勢いであった。それなのに、何故?
白雉は…… まだ鳴いていない。
間に合ってくれ、と、逸る心を抑え急ぎすう虞に騎乗した。
―― 蓬莱
男の周りには間断なく銃声がしている。四方八方で立ちこめる煙と血の匂い。
…… もうおしまいだ。これ以上この国に自分の居場所はない。日の本を強く、豊かにすることだけを考え生きてきた。志を一つにした友も、大きな目をくりくりさせて話すあの可憐な女性も己の信じる道のために心を鬼にして切り捨てた。それは古よりの心を捨て海の向こうの猿真似をするためだったのか。おいは何のために多くの血を流した? 殿、申し訳ない。殿の理想とした国を作ることができないままおそばに参ります。
男は虚空に向かい深々とお辞儀をし、ゆったりとした動作で刀を浄める。懐紙で浄めた刃先は生け贄の血を待つかのように鈍色に光る。
つり目がちの男が介錯のため刀を天にかざし、まさに刃先が腹に突き刺さる寸で、耳をつんざく爆発音が轟いた。続いて白く立ち込める煙、首筋を掠める不快な生暖かい風。
思わず手から落とした刀を拾おうとした時、彼の敬愛する師の姿はなくなっていた。
それから数年後……
供王珠晶は久しぶりに心が満たされていた。つい、さきほどの出来事を思い返し余韻に浸る。頑丘に似た男の面差しが目に蘇り自然と笑みが出る。
始まりは「近頃緯州で海客の師が主宰する私塾が有名だそうにございます」、と女官の噂だった。家宰に尋ねると、蓬莱独特の武道を取り入れ心身を鍛え、礼節を重んじ、智・徳・体の調和のとれた優秀な人材を輩出していると言う。
珠晶は好奇心が強い。海客とはどのような人物か、蓬莱の武道とはどんなものなのか知りたくなった。知りたいとなるといてもたってもいられない。早々に連れてくるように命じた。
「よくきてくれました。今日はじっくりとその方の話を聞きたい。直答を許すゆえ質問に答えなさい」
男は少女王に向かい深々と頭を下げた。
「面をあげなさい。早速だけど、そなたの塾では多くの子が寝起きしていると聞くが暮らし向きは大変でないか?」
「そのようなことはございません。食べるものは近所の方や親御さんが差し入れてくれます」
風体に似合わない優しい声は意外だった。話し方は風体のとおり堂々として頑とした強さを感じる。
「塾生にはどんなことを教えるの?」
「よく君に仕え親を大事にすること、他人に対して恵み慈しみの心を持つこと、己に負けないこと、この3つにございます。あとは塾生達が互いのふれあいの中で切磋琢磨しながら成長していきます」
…… そうだわ。誰かに似ていると思ったら頑丘に似ている。懐かしい香りがするのはそのせいかしら。
…… 畏れ多いことだが主上は姫様に似ておられる。何事にも興味を示し知りたがるところ、大きな目をくりくりさせ話すところがそっくりだ。
それぞれの大切な人に似ていることがお互いに共感を呼んだ。
「恭が栄えるためにはどうしたら良いのかしら?」
「国が栄えるためには、」
王はすっかり話しに聞き入っている。それだけこの男には人を惹きつける力がある。
「まずは己を知ることです。この国の良いところは何か、悪いところは何か。歴史を知り自分達で考える。それさえ解ればあとは簡単にございます。良きところを伸ばし、悪しきところを改める。たとえば隣国に素晴らしい国があったとする。しかし素晴らしいからとただ真似をしても国にはそれぞれの歴史と風土があるので無理にございます。かえって国が弱体化する悲惨な結果を招くでしょう」
「うーん、難しすぎてよくわからない」
口をとがらせた少女を見て男は愛しそうに微笑んだ。王はその父親のような笑顔につられ普段は決して人前では見せない打ち解けた様子を見せている。
「人のことも、国のことも策略を用いたり猿真似をしてはなりません。どんなに険しくとも、遠回りでも真心を尽くし正しい道を歩けば必ず成功します」
「うーん、そうねぇ。だけどそうは言っても正しい道が何かわからないのが常人なのよ。もしかしたら、あなたがこの国に流されてきたのは偶然じゃなく必然だったのかもしれないわね。その方、名は何と言う?」
「隆盛、にございます」
「りゅうせい、と申すのか。その方に頼みがある。私はまだ一人で政を行うには未熟な身。私のそばにいて私に知っていることを教えてくれないか」
珠晶の胸に不安がよぎる。以前、頑丘にもこうして頼んだ。しかし彼は承知してくれなかった。この人は……
「もったいないお言葉にございます」
王の顔は満面の笑みとなる。これが二人の出会いだった。
珠晶の見込んだとおり隆盛は有能でほんの数年で恭州国はめざましい発展を遂げた。
隆盛は今までの十二国の管理組織を改め新たな組織を構築した。職務権限も大幅に入替え、優秀な人材を積極的に登用した。各地を入念に調査し盛んだった林業はそのままに、農業に適した地域は開拓し、川沿いに面し船で大量輸送が可能な地域は商いの地とし特別な通行手形で人の出入りを自由にした。
収入を増やす努力の一方、役人を減らし支出を減らす努力も怠らなかった。出を軽くした分、税も軽くしたので民衆は豊かになり、その豊かさが新たな活気とやる気を生んだ。
しかし、一方では旧態依然とし時代についていけなかった官もいる。利権をとりあげられた官の一部に不満がくすぶり徒党を組み抵抗していた。珠晶は対抗措置として隆盛を「太師」に任じ抑え込もうとした。
隆盛に会う前の珠晶は王宮での生活に嫌気がさしていた。
王宮では悠久の時が流れる。民の幸せを考えれば王の交代は避けねばならない。気の遠くなりそうな終わりなき旅を続けることが王の責務だ。
代わり映えのない毎日、景色、人々。
初めはやることがたくさんある。理想もある。しかしいくら王と言えど自分の理想通りの国を一人で作ることはできない。気が遠くなりそうな大きな三角形の頂点に王が存在する。頂点とはその形の通り何と座りにくい不安定な場所か。
自分の立場に気がついた時、王は常世のつらさを味わう。永遠の命の代償が生きる実感のない日々。それが幼くして王となった珠晶ならなおさらだろう。王に対する尊敬や気遣いがあっても自分に向ける暖かい愛情がない。そしてあの気性。
この毎日は違う! と、心の中で叫んでも何人にも気取られてはいけない。責任感と王の自覚だけが彼女を支えた。
珠晶はその遠大な退屈な暮らしの中で頑丘に似たあの男に会った……
「命は永遠でないからこそ面白い」と、珠晶の再三の願いを退け黄朱としてその生を全うした。死を聞いた珠晶はどんな気持ちだったのか。そして頑丘と似た男に出会えた時はどんなに嬉しかったことか。
珠晶のことを考えると胸が痛い。今は亡き頑丘の分も友としてできるだけのことをしようと決意をした。