花ぞ散りぬる 弐
作 ・ リコさま
2009/05/14(Thu) 01:01 No.347
恭州国、霜楓宮
王宮は生活音のない世界だ。時々静けさがたまらなく嫌になることがある。普通なら目を瞑って耳を澄ませば様々な音が聞こえる。隣で煮炊きをする音、子供が泣く声、楽しそうな笑い声。様々な音の中に自分も生きている安心感がある。
しかしここには遠慮がちのわずかな音しかない。供麒がさらわれ国が危機に瀕しているのに何事もないかのように静かに同じ時間が流れていく。
…… 隆盛は無事なのか。
珠晶の苛々は募る。太師は反対勢力の拠点を洗い出しほぼ供麒の監禁場所を特定したと報告した。
「おいが行きもす」
おい、と倭言葉がでるのは心の焦りか。
「政に不満があるなら何も国をひっくり返す必要はなか。おいの身と引き替えに台輔を自由にするよう突きつけてやりもんそ」
警護の兵を連れていくように説得したが敵陣に乗り込むには一人で、それも丸腰でないといけない、と聞き入れなかった。
あれから半月は経っている。隆盛はどうしているのか。王と言いながら何もできない自分が悔しい。
珠晶の焦りが極みに達しようとした時、利広は霜楓宮に着いた。
そのやつれかたに利広は驚いた。どんな苦難があろうといつも毅然とし、挫けない強さで頑丘も、自分も王はこの娘だと認めざるえなかったあの珠晶が。
「隆盛は、供麒の居場所がわかったと単身乗り込んだきり連絡もないの」
「居場所はどこだと言ってた?」
「聞いてない……」
しかし、おかしくはないか? 何故隆盛は供麒の居場所がすぐにわかったのだろう。ちょっと調べたくらいですぐにわかるほどの杜撰な計画だったのか。それにしてはあまりに事は重大ではないか。
「聞いてないなら調べるしかないな。太師は誰に調査をさせていた?」
「私はまかせきりで…… わからない…… 隆盛は麒麟が浚われた噂が広がっては人心を惑わすから内密にしておこうと。王宮でも事情を知っている者は限られているわ」
「そうか。では私から内密に家宰に事情を聞いても構わないか?」
疲れている珠晶を労わるように優しく問いかける。
「家宰は何も知らない。官は隆盛のことを認めていなかったの。いつ足を掬ってやろうかと手ぐすねを引いていた。だから……」
「そうなのか……」
珠晶の部屋を辞し、女官を捕まえ話を聞く。
「主上はお元気がないな」
「太師がおいでにならないのでお寂しいのでしょう。いつも太師をおそばにおいておられましたので」
「だから官はよく思っていなかったのか?」
女官は顔色一つ変えずに淀みなく言葉を継ぐ。
「表のことは存じませんが主上におかれましては太師にお会いなされて変わりました。太師がおいでになる前は急に激されたり、女官に当たられたりして付いている者が戸惑うこともしばしありました。登極したもののまだ幼い御方でいらっしゃいますゆえ……」
家宰にも話を聞く。
「主上におかれましては一時期は政のすべてにご意見を述べられ政務が遅々として進まないことがありました。我らも困っていたのですが、隆盛様が間にたつようになってからは滞りがなくなりました。太師は蓬莱での経験をもとに恭を豊かにする策を次々と打ち出し恭を導いてくれました」
まるで太師が目の前にいるかのように両の手を胸元で合わせ礼をする。
「しかし太師はどちらへ行かれたのでしょう。こんなに留守にされると困ります。台輔のお姿も見えませんし、主上は何やら御体調が優れぬご様子。我らもどうして良いのかほとほと困っております。何かご存知でございましょうか?」
今の恭はこういう事態なのだ。本来なら麒麟の次に信頼すべき家宰の言に悪意さえ感じる。
先帝亡き後、王不在の二七年を動かしてきた家宰や官達は新王の即位を歓迎しなかった。
が、これは恭に限ったことではない。いつの時代でも、どの国でも新王と官の間には相克がある。新王が前の王朝にかかわりを持ち、利を一つにするなら相克は少ない。が、たとえば胎果だったり、里で普通に暮らす者だったりするとそれが顕著だ。官は王に何ができる、と心の中で莫迦にする。
それでどれだけの王が道を誤ったことか。素早く自分の体制を構築できれば王朝は第一の危機を乗り越える。しかし、まだ幼く支えてくれる後ろ盾を持たない珠晶には難しかったに違いない。それでも王がいない国のつらさはよく熟知しているゆえに何もできない境遇を甘受していたのだろう。そんな時に、隆盛を得て統治権を王の手に取り戻した。飛躍的な進歩を遂げる国を見るのはどれだけ嬉しかったことか。
まさに円熟期を迎える直前の事件。
一刻も早く太師と供麒を探さなくては……
しばらく考え込んでいた利広は何事か思いついたようにおもむろに顔をあげ、再びすう虞に騎乗し空を駈けた。