花ぞ散りぬる 終章
作 ・ リコさま
2009/05/14(Thu) 01:07 No.351
「おまえは誰だ?」
再び顔をあげ、問いかけた男は隆盛ではなかった。
年は隆盛より若い。若いがやせこけた頬に、窪んだ目が異様な光を帯びまるで幽鬼のようだ。
この世のものとは思えない凄まじさに利広は無意識に後ずさったが珠晶は胸を張り堂々と言い放った。
「私は供王珠晶。人に名を尋ねるなら自分が先に名乗りなさい」
「ほぉう。恭州国、王にあられるか。私は代王」
「代王!?」
紳士的に礼を尽くした態度と意外な名に驚く。男は片頬だけ微かに笑み、昔語りを始めた。
―― その昔、私の国には黒麒麟がいた。代麟は翠の黒髪に翠の目、頬はほんのり桜色で桜の精のような美しさだった。彼女に見つめられると誰もが天にも昇るような気持ちになる。どんな偏屈者の心でも溶かす穏やかさと暖かさを持つ反面、可憐な容貌に似合わず気が強くて度胸があってな。饕餮を使令に持つ凄腕の黒麒麟だった。
前王が崩御してから卵果が実るまで十年以上かかった国は妖魔と天災によりひどく荒れていた。心も荒れがちになる暮らしの中で唯一、民の希望を繋いだのは麒麟の誕生だった。待ちに待った麒麟旗が上がった時人々はどれだけ喜んだか。国中の主だった者は我先にと昇山したが、誰も彼女をひざまづかせることはできなかった。2年たっても、3年たっても王は現れない。国の惨状を知っている代麟は王を探すことこそ自分の使命、と国に下り、主を探し歩いたのだ。あの勇気と強さは誰でも真似できるものではない。
こうして私は代麟に見つけられた。即位の時、人々は国に王を授けた桜の精を称えたものだ。
男は昔を懐かしむように目を細め、自分の記憶を旅している。
今までの暗い目は消え、遠くを見つめる目から穏やかな光が溢れていた。
『桜花』
私は私を選んでくれたこの世でもっとも魅惑的な桜の精に「桜花(おうか)」と字を下した。極北の雪に閉ざされたこの国で桜は春を告げる希望の花。共に手を携え民のために努力することを誓った。
だが、理想と志だけで国を動かすことはできない。前王朝からの生き残りで王なき時代に国を動かした百戦錬磨の官は好き勝手なことをやり続けた。賄賂、税の搾取、略奪。私腹を肥やすことなら何でもやったさ。
私はあいつらを許せなかった。そうだろう? この世は天帝が創られた秩序ある世界だ。許して良いはずがない。一網打尽にすべく丹念に調査を続け私は機会を窺った……
先ほどまでの穏和な様子は消え、顔に険しさが浮かぶ。男の怨が礫のように降り注ぐ。
王なら何でもできると信じていた私は思い上がっていたのかもしれない。追いつめられた人がどんな行動に出るか、まだ若い私には考えが及ばなかった。そうなんだ。あいつらは民を逆利用した。悪いのは王、と徹底的に民を煽動した。己の悪事も王の仕業とし、いまだ妖魔が闊歩するのも王の統治が悪いから天意がないと吹聴した。国を守るためには民が立たねばならないと食料と武器を配り各地に配下を送り込んだ。中には正義がどこにあるか知っている官もいた。だが、力ある者に逆らうことはできず……
私は王なのに孤立無援となった。味方は桜花しかいない。桜花は新しい王を選ぶことを拒否した。するとあいつらは恫喝するように民を全土で蜂起させた。民は群衆となり王打倒の赤い旗を掲げ鴻基に幾千、幾万と集まってくる。
王師で迎え撃つことも考えたさ。だが、相手は民だ。彼らを殺せば私は虐殺の王として後世にまで名を残してしまう。それに王の指示通り王師が動くのかもわからない……
私の苦悩を察した桜花は自分に任せてほしいと言った。民が集まっているこの時こそ直接対話ができる絶好の機会。麒麟の言うことなら民も聞くだろう、本当の悪はどちらか示してくると。即位の折りのあの日の熱狂した民をお信じ下さい、と微笑み翠の黒髪をなびかせ私の前を去った……
それが彼女の最後の姿だった。あいつらに煽動された民は単なる暴徒…… 暴徒は、、民意の具現である麒麟を、、麒麟を殺した。桜花の死を告げにきたあいつは笑いながら言ったさ。
「麒麟など捨身木のある限りいくらでも代わりは生まれる。我らはまた、新しい麒麟に新しい王を選んでもらえば良い」
何てことだ! 麒麟を手にかけたなど、そんな歴史が今まであったか? 何で天帝はこんな悪事をお許しになるんだ!
怒りが沸々とこみあげる。そうだ。こんな不条理が許されて良いはずがない。天帝が愚かな者共に罰を与えないなら、私が代わりにやらなければならない! そうしなかったら一人殺された桜花があまりにかわいそうではないか。桜花が味わった恐怖、絶望を同じようにあいつらと民に味あわせてやるっ!
限られた時間の中で私は一生懸命考えた。どうすれば残りの時間でより効果的に復讐ができるのか……
そうだ。もし、麒麟が生まれなかったらどうだ。桜花の代わりがいなければ誰も王を選ぶことができない。永久に希望が持てない無間の闇で妖魔に食い尽くされる恐怖を味わえば良い。その時になって桜花を殺したことを悔やんでも遅い! よし、これなら正義を見殺しにし、悪を容認した天帝にも復讐できる! 見てろ! おまえの創った世界など壊してくれるぞ!
そこからあとに起きた出来事は利広も珠晶も知っている。捨身木を焼き、女仙を斬った代王の話は十二国で知らない者はいない。二人の目には逃げまどう女仙の姿が見えた。
泣いて許しを乞う者、黙って斬られる者、捨身木を必死に守ろうとする者。
血に染まる泰山は目の前の光景ではない。自分の想像する世界だ。なのに血生臭い匂いがたちこめ、息苦しくなり、嗚咽がこみあげる。
わーっはは。愚かな民よ、一人残らず死んでしまえ! 不条理な世を創りだした天帝よ、思い知れ!
絶叫と共に男の姿は消えた。あとにはどす黒い邪気が形を成す獣の姿が浮かび途轍もない怨を感じる。
「おまえ、代麟の使令だった饕餮なのか? 伝説の妖魔にこんなところでお目にかかるとは幸か不幸か……」
利広は、か細い手首をつかみ珠晶を庇うように自分の背にまわそうとした。が、珠晶はするりと腕をすり抜け妖魔の前に立ち、身につけている短剣を抜いた。
「おまえが饕餮か! 答えよ。恭州国太師隆盛に取り憑いたのはおまえか! おまえを斬って隆盛を取り戻してやるっ」
―― 恭州国、国主、珠晶よ。斬ってはならぬ。斬れば代王の怨が饕餮より溢れこの地を覆うぞ。良いか。妾の言は天の意思と思うて聞くのじゃ。
供麒を失道のように見せかけ、今回のことを仕組んだのは妾。もし、そなたがここまでこられぬ愚王なら供麒は失道、王も滅びてもらおうと思うていた。しかし、そなたは期待通りここにきた。そなたの問いには答えぬ。よく話を聞きその胸に刻み付けよ。
珠晶は虚空を睨み身じろぎもしない。怖がるどころかひどく怒っている。
…… やはりこいつはただの小娘ではない。
命さえ危うい時なのに利広は喜んでいた。やはり珠晶はこうでなくては。
しかし、己を妾と呼ぶのは碧霞玄君ともうお一方のみ。玄君とは面識があるからわかる。この抑揚のない無機質な話し方は違う……
―― 歴史は繰り返す。この十二国も遠い昔には未来の倭より優れた文明が存在していた。しかし文明の進歩は危うい。愚かな人間は人を救うべき叡智で互いを殺す武器を作ったり、享楽や怠惰な生活のために自然を破壊した。何が大切なことなのかも気づかず、天帝の再三にわたる警告も気づかず自ら滅びていった。そのあと世界には静寂が訪れ天帝は新たに十二国を創られた。それはそなたも知ってのとおり。
珠晶は大きくうなづく。
―― 天帝に選ばれし供王よ。そなたは隆盛を通し、十二国に倭の文明を取り入れた。その文明は一見民に幸をもたらしたように見えるが堕文明への扉を開けただけじゃ。その進歩はやがては再び十二国を滅ぼすことを天帝はお見通しだ。十二国は天帝の創りし国。天帝の望まない文明の進歩も、新たなる秩序も必要ない。今のままで十分じゃ。
「そんな…… そしたら民は……」
―― 今一度言う。よく憶えておきなさい。民の幸せや文明の進歩は天意ではない。天帝がお創りになられた秩序と世界をそのまま守ることが天意であり王のすべきこと。王だとて新しい秩序や文明を作ることは許されない。だから一人の王が突出しないように一国ではなく十二国を配し、他国への介入を禁じたのだ。
首筋をなま暖かい不快な風が掠めていく。話に夢中で気がつかなかったが、いつのまにか空気が淀み体が重く感じる。
―― そろそろ行かねばならぬ。饕餮は再び調伏できる麒麟が現れるまで妾が洞窟に閉じこめておく。
「お待ち下さい! 隆盛は? あの者に罪はございません! 罪があると言うなら私が受けるべきこと。この命と引き替えに隆盛をお返しください! せめて倭に戻し……」
そのあとの言葉は黒い霧により遮られた。一寸先は闇、とはこのような世界か。視界がまるできかない。
「ごぉーっ」「ごぉーっ」
暗闇の先から饕餮のうなり声が聞こえてくる。その声と呼応するように、怨をまとった強風が容赦なく吹きつける。風は龍が踊るようにとぐろを巻きながら上へ、上へと向かう。利広は巻き込まれないように足を踏ん張り必死に珠晶の手を握る。
手を離さないように声をかけたくてもあまりの強風に声を出せない。
「うおーっ」「うおーっ」
饕餮は強風に抗うように雄叫びをあげ踏ん張っている。が、その抵抗をあざ笑うかのように風はますます勢いを強める。
…… このままでは龍の風に饕餮もろとも飲み込まれてしまう。脱出したくとも風は一歩たりとも動くことを禁じている。
「利広!」
利広は珠晶に引っ張られ体が動いた。こんな小さくか細い体のどこに天の強風に抗う力があるのか驚く。
「風の中心に飛び込むわよ」
そんな無茶な! と思った瞬間に体は珠晶の強い力にひきづられた。
「ぎゃー」
饕餮の最後の悲鳴を残し風は砂塵を空中に巻き上げ、木をなぎ倒し、渦を描きながら天へと上っていく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
龍の風が天に昇ったあとは禍々しさは消え、秋らしい真っ青な空が広がっていた。
こうして饕餮は黄海の洞窟に封じ込められた。このあと戴極国黒麒麟により傲濫として解放されるまで約百年の歳月を洞窟の中で過ごす。
二人は頬を撫でる穏やかな風で目を覚ました。風に舞うように桜の花びらがひらひらと舞い降りてくる。
「さくら?」
「代麟の花…… こんな時期に何故? 王を案じて花を咲かせたのかしら?」
桜の花びらは大地を桜色に染めていく。代王の心に降り注ぐように。
…… 隆盛の故郷に桜と名のつく小さな島があると聞いた。「薩摩のもんなら誰でん桜島が懐かしか」と目を細めていたっけ。どんな島なのかもう訊ねることもできない…… もう一度桜島を見せてあげたかった…… もっとそばにいてもらいたかった。本当は私が罰を受けなければならなかったのに。ごめんなさい……
「太師は、きっと喜んでいるだろうな。主上が無事お戻りになられ何よりです、と絶対に言う。この季節はずれの桜は隆盛が咲かせたのかもしれない」
「卓朗君は供王頑張れと仰せにございますね」
悲しみと切なさをこらえ笑んだ珠晶の肩に散りゆく花びらが舞い落ちた。
普白四八年、初冬。宰輔拉致される。更に失道の気配あり。供王珠晶、捕らえられし宰輔を探し失道寸前に救い出す。