花ぞ散りぬる 伍
作 ・ リコさま
2009/05/14(Thu) 01:06 No.350
昭彰の教えてくれた地はすぐにわかった。
林業が国の大勢を占める恭州国ではこうした造りの小屋をよく見かける。山に入る者の休息のために小屋が建ち、木材を置いておく広大な空き地がある。裏手の林は冬の長い眠りにつく準備のため、色とりどりの葉を蓄えていた。
小屋の脇の道を登り、山の中腹にさしかかったところにその場に相応しくない町の宿屋のような建物が建っていた。
「供麒は絶対、ここにいるわ」
珠晶の低い声にうなづき、監禁している人物に悟られないようにそっと扉を開ける。
鍵はかかっていない。少し開いた隙間から様子を窺う。監視人の姿はとりあえず見えない。利広が注意深く辺りを見渡している横をすり抜け珠晶は建物の中に無防備に入った。
危険が待っているかもしれないのに!
後を追う利広をよそに珠晶はまるで供麒の居場所がわかっているかのようにまっすぐに進む。階段を見つけ一気に駆け上がり、三つある扉の真ん中を躊躇わずに開けた。
中は光を入れる窓もない真っ暗な空間だった。どこかに空気孔があるのか微かに空気が揺れる。その部屋が広いのか、狭いのかもわからない。
「供麒、迎えにきたわ」
珠晶は小さな声で呼びかけて暗闇の中を目が見えるように進んでいく。
…… 主上
「供麒! 無事で良かった! でも、誰が私の僕にこんなひどいことを。許さないっ」
「いきなり血に酔い…… 体が動かなくなり…… 霊力を封じられました」
足を繋がれ横たわる僕の鬣を柔らかな手つきで撫でる。
「良かったわ。無事で。あなたを探して太師がきたはずだけど、隆盛はどこ?」
大きな目をくるくる回し恰幅の良い隆盛の姿を探す。
「太師は私を助けにきてくれました。恭州国麒麟に失道の気配があると知らせる者がいたので心配したと。台輔がご無事で良かったと私を気遣い……」
質問の答えを最後まで聞くのがもどかしそうに言葉を遮る。もう物言いがいつもの主従に戻っている。笑ってはいけない場面だが利広はつい、口の端で笑ってしまった。
「そうよ。それで心配したのよ。でもおかしいわ。あなた、どう見ても元気で失道した麒麟には見えないじゃない」
「主上、そのようなおっしゃりようはあまりにございます。誰が失道などと」
涙目になった供麒を気にもかけずに口を挟む。
「宗麟が言ったのよ。彼女の勘が外れたことはないわ」
「そのように言われても…… 私は霊力を封じられた以外は……」
「もしかしたら、誰かが仕組んだ?」
また供麒の話を最後まで聞かずに話し出す。
「失道を装う、ことができるのか?」
「そうね…… 残念ながら、できると考えた方が自然だわ。最初に供麒を拘束した。そして次に隆盛に注進しおびき寄せた。最後におびき寄せたかったのは…… こうしてはいられないっ 隆盛を探さなくてはっ」
利広は慌てて珠晶の腕を掴む。
「ちょっと待て。これはただ事ではないぞ。こんなことが一介の官にできるわけないだろう。家宰にしたってできないはずだ。これ以上進むのはあまりに危険。私達の想像できない恐ろしいことが待ち受けている予感がする」
「そうです。主上、ここでお戻り下さい。もし、御身に何かあっては」
「あんたってば……」
語尾をあげ、ふぅ、と大きく息を吐きだす。
こんなあとは、いつも…… 平手が飛んでくる!
次の動作が想像でき、思わず下を向いたのは哀れな僕の習性だ。それを見た珠晶は大きくため息をついた。
「あんたってばホント何もわかっていないのね。最後におびき寄せたかったのは隆盛じゃなく私よ。わかるでしょ。どんな危険があろうと恭の恩人である太師を置いて逃げ帰るなんてできないのよ。あなたなら太師を見捨てることができるの? その涙の塊が詰まった慈悲の頭でよーく考えてみてよ」
「……」
黙りこんだ僕の手をとり王は労るように優しく言った。
「大丈夫、心配はいらないわ。あなたは自分の王を信じ待っていてちょうだい。帰ったらすぐに沓を拾わせてあげるから。さぁ利広、行きましょ」
「え? 私?」
珠晶は笑顔でうなづきもうさっさと歩き始めている。
「そうか。そうだよな。私も行くんだよな」
……もう少し憂いを帯びた女性らしい珠晶を見たかった気もするが仕方ない。
片手を挙げ心配しないで待っていてくれ、と供麒に目配せをしてあとを追った。
二人は片っ端からひとつひとつの扉を開け隆盛の姿を探す。ここの階には何もない。次は下の階。五つ、六つ、、まだ何もない。
「ここ」
珠晶の指す先には地下に続く階段があった。壁をつたって下りていくと七つ目の扉がある。そこは異様な空気が漂っていた。
この扉を開ける勇気があるか? と、挑発しているようでもある。さすがに手で開けるのはためらわれた。利広は凶々しさを振り払うように思いっきり蹴飛ばす。勢いづいた体は前につんのめり無様に尻をついた。
ばつが悪そうに立ち上がると、珠晶は口をあんぐりと開けたまま目の前に広がる風景を呆けたように見つめていた。
…… ここは、どこだ。こんなに美しい場所は未だかつて見たことがない。
王宮よりも、蓬山よりも遙かに美しい。神が宿り精霊が住む場所とはこんなところか。
木々は緑の葉を蓄え、泉が涌き、色とりどりの花が咲き、真っ青な空に対比するように地の色が映える。
「禍々しいまでの美しさ……」
珠晶は利広が口にした言葉にぎょっとする。
確かにここの美しさは無機質な冷たさを感じる。生を拒否しているような……
不吉な思いが広がっていく。
「隆盛、どこ? 隆盛!」
珠晶は呼び続ける。
「隆盛、ここにいるんでしょ。返事をして」
「珠晶、あそこに人がいる! あれは、太師じゃないか!」
利広の示す指の先には美しい風景に似つかわしくないどす黒い邪気が漂っていた。あまりのおどろおどろしさに珠晶の足が止まる。
「どうした。隆盛を助けたいんじゃなかったのか? 珠晶が怖いなら私もここで戻るよ。供麒を救えたのだからもうそれで良い」
…… 利広ったら。
投げられた言葉の裏に力強い励ましを感じる。珠晶の性格を知り尽くした言葉だった。感謝しながら竦みそうになる足を一歩踏み出す。
「主上! こちらへきてはなりません!」
「隆盛!」
「もはや私を動かしているのは私の心ではありません。早く私が私である間にお立ち去り下さい!」
隆盛の様子は尋常ではない。何かが取り憑いているのか? 妖魔? いや、今まで人に取り憑いたり転変した妖魔はないはず……
「おのれ、何故おいが死ななくてはいけない。おいは『もののふ』の居場所を守りたかっただけだ。回天のためにどれだけの『もののふ』が血を流し、志に殉じたことか。必要でなくなったら切って捨てるのか。志士は、何のために戦ったんだ!」
隆盛の体から力が抜け、頭がガクッと垂れた。駆け寄ろうとした珠晶の手を利広がつかむ。
ダメだ。悪気がどんどん増している。今よりもっと恐ろしいことが起こる……
「逃げよう!」
「いやよ! 手を放して!」