曲 水
作 ・ 五緒さま
2010/04/02(Fri) 05:57 No.310
父のものを整理していて見つけた、大きくてあまり厚みのない荷物。
卓の上に置き麻紐を解き油紙を開くとまた麻紐が掛かった薄い板が2枚入っていて、上の板の右下には父の達筆な字で『赤楽○○年 春 吉日』と書かれていた。
その年に何があったのだろうとしばらく思いを巡らせ、ふいに思い出した出来事に指先が震えた。
いうことを利かない指を何とか動かし、板に掛かっていた紐を解く。
退かした板の下から現れたのは「よいこのぬりえ」だった。
―― 父さん。
鮮やかに色が残るぬりえは私も忘れていた記憶を呼び起こす。
あの時の私はその日里でなにが起こっているのか分からないほど小さな子どもだった。
父に連れられてきた店の入口で周りの大人たちが皆晴れやかな笑顔で大径を行き交っているのを眺め、夕餉がご馳走だったことに喜び、父から渡されたぬりえに一生懸命色を塗ったものだ。
私なりに考えて色を塗ったぬりえを父に渡ししばらく経った頃、父が私を呼んで掌に小さな包みを載せてくれた。
何だろうと首を傾げていると、王様からのごほうびだよ、と言いながら大きな掌で私の頭を撫でてくれた。私は嬉しさのあまり周りの大人たちに、おうさまからもらったの、と包みを見せて廻り、しばらくはどこへ行くにもその包みを持って行ったものだった。
しかしそれは偽りだと知ったのは、結婚後久々に戻った里で遇った友人との会話からだった。
あの時の私と同じ年の子を持つ身としては、父の取った行動が理解でき、感謝の念が起こったものだ。
卓の上に私のぬりえと姉のぬりえを広げる。
てっきり2枚だと思っていたぬりえはもう一枚あった。
丁寧に塗られたそれは絵心のあった父のものだろうか。私達の前では終ぞ塗っている姿を見なかったのだけど。
何を思ってぬりえを買い塗ったのだろうか。父の塗り絵にそっと触れ、その時の父を想像してみる。ひょっとして案外父も周りの雰囲気に乗り易い性質だったのかも知れないと思うと、くすりと笑みが漏れた。
いつまでも眺めていたいけれど、そうもいかない。明日はここを発つのだから。
3枚のぬりえを重ねて板に乗せる。今度はもちろん父のぬりえを一番上にして。そして書付のある板を置いて麻紐を掛け、油紙で包み直しまた麻紐を掛けた。
胸の内でそっと父に感謝の言葉を述べて、その包みを持って帰る荷物の中へと仕舞った。