桜 の 隧 道
作 ・ griffonさま
2010/04/11(Sun) 01:50 No.433
白圭宮の裾野にある禁軍兵営の辺りから禁門に向けて、桜色の回廊が伸びていた。
驕王の御世に、時の左将軍が延王より賜った桜の木を植えたものだ。騎獣が並んで通るには少し狭いほどの間隔で、二列にならんだその桜は、戴の短い春を高らかに宣言するように、満開となっていた。
天馬がその回廊の上空を、ゆっくりとした速度で二度輪を描くと速度を上げながら降下した。稜線すれすれにまで降下した天馬は、桜の間をすり抜け始めた。両の翼を大きく開くと、気脈に乗る事を止めた。
普通、妖魔や騎獣などの空を飛べるものは、蓬莱の物理法則である「揚力」に頼って飛んでいるわけではない。空気そのものの力の流れである気脈を捉えて飛ぶ。だからこそ、翼のないものでも空を行くことが出来るのだが、妖鳥の類や天馬など翼のあるものは、気脈の他にも揚力を使って飛ぶことも出来る。ただ、気脈に乗ることをやめてしまうと、騎乗する人も風を切る事となる。
騎乗した者は、天馬の頸に伏せるようにし、上目遣いでその先を睨みつける。軽く結わえただけの赤茶の髪が強く靡き、その髪の下の背中には、十才ほどの子供がしがみついていた。
桜の回廊を気脈に乗らずにすり抜け始めると、桜の花弁が舞い上がり舞い落ち、天馬を中心にした円筒を描いて渦を捲き、その後方にも尾を引く。
暫くそうして桜の花弁の中を潜った天馬は、ゆっくりと桜の回廊から高度をあげ、また気脈に載る。騎乗した者達は、強い気流から免れ、大きく息をした。
「覚えておられますか?」
赤茶の髪を軽く結わえただけの女性が、天馬の横に付けた趨虞の上の少年に声をかけた。
「ちょうどこんな風に、あの時も桜が満開でしたね」
趨虞の上の少年は、こちらでは珍しい短く切り揃えた黒髪を、左手で撫で上げた。
「あの時は、申し訳ありませんでした。桜の花弁の渦を潜る楽しみを、台輔にもお伝えしたくて。でもまさか……」
「ごめんなさい。あの時李斎の背中にしがみついて泣いちゃったから。後で驍宗さまに叱られませんでしたか?」
李斎は、眉を顰めて曖昧な笑顔を向けた。
「たっぷり叱られました」
「ごめんなさい」
「いえ、台輔が怖がるような事をしてしまった、私が悪いのですから」
「ちがうんです」
「は?」
「怖かったんじゃないんですよ」
「……」
「李斎があんまり楽しそうに桜の隧道の話をするものだから、どうしても見たいとおねだりしたのは僕ですから。ただ……折角綺麗に咲いているのに、僕の我侭で散らせてしまったことが、悲しかったんです。」
静かに花弁を風に乗せている桜の回廊に、二人は視線を戻した。
―了―