桜の下にて
作 ・ けろこさま
2010/04/21(Wed) 22:05 No.605
桜の季節になると男は、宮城の奥深くにある桜の大木の元で過ごした。
かつては恋人と二人で過ごした桜の下で、いま、男は独り、酒杯を手に桜を眺めていた。
時折舞い落ちる花弁に優しく目をやる姿は、賢帝と呼ばれるものではなく、ただ花を愛でる一人の男にすぎなかった。
少年は、男の眼が桜ではなく、別なものを見ていることを知っていた。
「――六太か」
男は桜を眺めたまま、少年に声をかけた。
「どうした、お前がここに来るのは珍しいな」
「尚隆、慶から今までの助力に対する謝礼の使者が来たぞ。ようやっと慶も落ち着いたそうだ」
「そうか」
尚隆は桜から視線を外し、六太をついと見据えた。
その表情は、先ほどと打って変わってどのような感情も見つけることが出来ないものだった。
「では、そろそろ約束を果たしてもらうとしよう」
「!? それは陽子との約束だろ!」
「違うな。非公式とはいえ、慶国の王と雁国の王の約束だ。代が変わろうと、王と王が交わした約には変わりはない」
「どうせ永遠なぞありはしない。ここで終わってもよいではないか」
「――本気で言っているのか?」
六太は尚隆の真意を探るように問い返した。
「むろん。――そうだな、全てを終わらせるのも良いかもしれんな」
尚隆は六太を見据えたまま、自嘲するように語り続けた。
「恋に溺れ、恋人の後を追って国を滅ぼした王というのもなかなか一興だな」
「――そんなこと出来もしない癖に……」
「考えたことはあるぞ」
「それでも踏みとどまった。お前は自分の手でこの国を滅ぼすことなんかできねえよ」
六太の言に尚隆の片眉がわずかだが動き、それを見止めた六太は更に言い募った。
「お前にとって国は自分の命以上のものだ。何があってもそれを捨て去ることなんかできない!」
言い募るうちに感情が高ぶったのか、涙をあふれさせながら六太は怒鳴るように続けた。
「わかっている! お前を必要としている者がいる限り、お前は王を辞めたりしない! どんなに男として苦しくても辛くても、王としてしか生きられない! お前は王であることを辞めることなんて出来やしないんだ!!」
意外な指摘に、尚隆は瞠目した。
あふれる涙で視界をぼやけさせながらそれでも、驚く尚隆を見詰めたまま六太は言を継いだ。
「だから、だから……!」
――悧角!
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何の前触れもなく白雉が二声を鳴いたことに慌てて主従を捜しに来た官吏たちが見たものは、桜の大木の元に穏やかに微笑み横たわる、延王だった男と、その足元にうずくまるように眠る延宰補と呼ばれた少年、二人の姿だった。
満開の桜からは、まるで抱きしめるかのように花弁が二人に降り注いでいた――