春 雪
夕日さま
2011/03/22(Tue) 21:50 No.37
月光に照らされて白く輝くその花は、まるで雪のようだった。
政務が終わり、官邸へと帰ろうとしていた浩瀚はふと足を止めた。
庭園にずらりと並ぶ桜は満開で、夜闇の中で雪のような花びらを咲かせて
散らすこの花は、主の言う通り美しいものだと思った。
桜を金波宮に植えることを提案したのは主だった。
その花が蓬らいで特別な意味を持つと聞いた時、主がもう二度と帰れぬ故郷を捨てきれないでいることを哀れに思った。
だから、それで慰めとなるなら、とその提案に頷いたのだ。
宰輔も渋い顔をしていたが、反対することはなかった。
そうして、主のためと植えられた桜は毎年美しく咲き誇って散ることを繰り返し、
今や、春に桜の開花を待つことは金波宮の者たちの楽しみとなっていた。
―正直、これほどまでとは思わなかった
浩瀚はそう心の中で思いながら桜の木を惚れ惚れと見つめた。
と、視界の隅に人の姿が映り、浩瀚は視線を転じた。
真っ先に目に入ったのは赤い髪の少女で、その傍らには金の鬣の青年がいた。
少女は、青年に向かって何か言っているようだが、その声はここまで聞こえてこない。
と、不意に少女がその場にしゃがみこみ、再び立ち上がると同時に両手を上にあげた。
何を、と訝った一瞬後、雪の花が二人に降り注いだ。
青年が、幾分慌てたように後ずさった。
少女は笑いながら何か言って、歩き始める。
からかうような言葉でも投げかけたのだろう。
青年は肩を落とし、少女についていく。
が数歩もいかないうちに少女を呼び止める。
立ち止まった少女に短く何か言うと、赤い髪に手を伸ばして何かを摘みとるような仕草をした。
白い手から、一片の花が風に乗り、ひらりひらりと揺れながら落ちていく。
少女は青年を見上げ、その袖をぐいっと引っ張った。
青年は渋々といった風に頷き、少女の前に跪く。
少女は、青年の鬣についた花びらを除いているのだろう、真剣な顔で金糸を手にしている。
この主従の姿を見つめながら、不思議なものだと浩瀚は思う。
浩瀚から見れば子供のように若い彼らが国と民とを背負い、そしてお互いの命をも背負っているのだ。
二人を縛りつけるものは、恐らく、血縁などより余程強い。
だが、二人にとってはそれが呪縛ではなく、絆であってほしい、と浩瀚は願ってきた。
そしてその若さ故か、不器用な生真面目さ故か、ことあるごとに衝突する二人を密かに案じていた。
―だが
と浩瀚は一人苦笑する。
―いらぬ心配だったようだ
青年が立ち上がり、二人は再び歩き出す。
やがて赤と金が夜闇の向こうに消え、ざあっと強い風が吹いた。
思わず目を閉じて再び目を開けると、沢山の雪花が風に散った。