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桜   酒 2

空さま

* * *  第二節 夕暮れ  * * *

2011/03/30(Wed) 22:10 No.207

 昼の宴は和やかに過ぎた。陽子と景麒、尚隆と延麒の四人はよく笑いしゃべった。いや、言葉数だけ数えれば、景麒はほかの三人に比べて随分少なかったが、普段の彼と比べたら、かなり頑張ったと言えるだろう。
日が傾き、あたりが赤く染まってくる。小さな灯りが桜の木の何カ所かにともり、たいそう風情があった。昼の宴はお開きになろうとしていた。
尚隆は陽子に、
「今夜、二人で話がしたい。景王だけに見せたいものがあるのだが、どうだ?」
と、切り出した。
「はい、わかっています。先日の鸞(らん)で、何か面白いものができたとか?」
「その通りだ。多分、そなたの気にいると思うが」
「本当ですか! それは楽しみです。台輔は何か御存じなの?」
「ああ、知ってるさ。尚隆のやつ、ずいぶんこだわって冬官に作らせていたからな」
「何でしょう?では、私の部屋でよろしいですか?」
「もちろん、かまわんさ」
「では、用意させますので、少しお待ちください」
「ああ」
こうして主人と主賓は、暫し休憩にはいったのだ。

同じころ、ここは、内殿からごく近くにある大僕や射士が出入りをする兵舎である。内殿を警護する兵たちは、これから交替で、皆それぞれの部署について寝ずの番をするはずだ。今夜は延王延麒と言う賓客を迎えているからだ。その、ほぼ空になった兵舎で男が二人話をしていた。慶国の左将軍と冢宰である。
「浩瀚様、本当にいいんですか?」
「もちろんだとも、何か問題でもあるのか? 桓たい」
「慶の主上が、慶の男以外の男を相手にされるなんて、俺はちょっと不満ですよ」
「おいおい、延王は主上に話があるとおっしゃっていたのだぞ」
「なら、なぜ二人だけなんですか!?」
「まあそういうな」
「何をのんきなことを言っているんですか、浩瀚様は!」
「じゃあ、お前が主上のお相手をするか? だから、今夜は延王のお相手はできませんと?」
「い、いやそれはなんとも……」
「歯切れが悪いな」
「浩瀚様は意地悪だなあ」
「そうか?」
「なんで延王ならいいんですか」
「まず、出自はこれ以上ないほど明確で、こちらで調べる必要がない」
「そりゃそうだ、雁国の国主ですからね」
「実年齢はともかく、見た目の年かっこうは実にお似合いだ」
「まあ、そういうこともあるでしょ」
「人間性も悪くない」
「五百年を超す大国を支えてきていますからね」
「身分は申し分ない」
「当たり前ですよ、これ以上は無いってくらいだ」
「さらに、我が国の困窮する財政の中で、後宮を開く必要のない相手だ」
「はあ?」
「さらにお二人で何をするにも、費用はほとんど雁国持ちなるだろう」
「いや、それは無いと思いますよ」
「そうか?」
「うちの主上は自分のことは自分でやりそうです」
「どちらにしろ、私に異存は無い」
「本当にそう思っているんですか?」
「なにしろ、うちの主上には長い時を国主として納めていただくのだからな」
「あれ? ひょっとして浩瀚様は、延王と何かあっても長続きしないと踏んでいますか?」
「そんなことは一言も言っておらんよ」
「はいはい、解りました。では、夜の警護はお任せください」
「ああ、宜しく頼む」
「それにしても、延王は今夜主上と何をなさるんでしょうね」
「さて、それはわからんな」
「主上は大丈夫ですかね」
「うちの主上は大概の事には動じないと思うが?」
「一応男と女のことですから」
「まあ、大事は無いだろう」
「どうして浩瀚様はそう落ち着いていられるんですか?」
「桓たいこそ、いったい何がそんなに心配なんだ」
「いや、その……」
同じような問答が、一晩中続くのだろうか?

* * *  第三節 宵闇  * * *

 それからしばらくして、あたりは真っ暗になり、完全に夜の帳が下りた。そのころ、陽子は延王を私室に招いていた。延王からぜひ見せたいものがあると言われていたからだ。
「これなんだが」
尚隆が卓の上に置いたのは、一本の酒瓶であった。
「お酒……? ですか」
「そうだ、まずは注いでみようか」
部屋は行燈の明かりで比較的明るい。
尚隆は自分の懐から白磁の酒器を二つ出して、一方に酒を注いだ。びっくりするほどはっきりとした香りが陽子の部屋に広がる。
「延王、これは桜、ですか?」
「そうだ、珍しいだろう。この部屋の明かりでは見えにくいかもしれないが、ちょっと中の酒の色を見ていてくれ」
尚隆がそういうので、陽子は酒器の中を見つめる。それは、琥珀色をしていた。尚隆はさらに懐から紙包みを取り出す。小さく五角形に折りたたんだ紙。陽子は、大昔に蓬莱で、それもドラマか何かで見た、医者の出す粉薬の包みに似ていると思った。その記憶通り、尚隆が包みを開くと白い粉が入っていた。それを粉の入ったまま尚隆は三角に折り直し、角先からその器に向かって粉を少しだけ落とした。するとどうだろう、みるみる酒の色が桜色に変わっていくのだ。
「え、どうして?!すごい! 延王すごいですね」
「ああ、雁の工房で先ごろできたばかりの酒だ。まだこれしかないのだそうだ」
桜の香りがさらにきつくなったような気がする。さっきの薬のせいだろうか?
「これは、花弁から作るんですか?」
「いや、幹から作るようだ」
「木の幹からですか?」
へえ、すごいや。陽子はしきりに感心している。
「飲んでみるか?」
「そんな貴重な物を、私なんかが飲んでよいのですか?」
「もちろんだとも」

 酒、それは尚隆にとっては、暫し心の解放を約束する美味な飲料であった。しかし、陽子は今まであまり、いやほとんど酒を飲まなかった。どうやら、酒精には弱いらしいと感じていたからだ。正直、陽子はまだおいしいと思える酒に出会ってはいない。それに飲めば次の日の執務に支障が出る。真面目な陽子は、無理して酒を飲もうなどと思うことは無かったのだ。もちろん、飲まなくてはいられないと言うような心理状態に、そばにいる者がしなかったのだが。
 つまり、飲み方が良く解らなかったのだ。桜餅のような香りのするお酒、一口含んでみた。甘みのある喉越しの良い液体だ。陽子は、
「延王、とても美味しいです。これなら飲めそう」
にっこり微笑んで、さらにこくこくと飲んでしまった。
「そんなに一度に飲んで大丈夫か?」
延王は、心配そうに見つめている。
「え、はい、おいしいですよ」
そう言って、陽子は、ふう、と大きなため息をついた。
「今夜は、暑いですね」
すべての血管が、頭に血液を送っているような気がした。褐色の肌でもはっきり分かるくらい、顔が赤くなる。
「はあ、なんだか胸がどきどきします。あ、頭の中が真っ白に……」
陽子は、目を閉じると、姿勢を保てずその場に崩れてしまった。
「おやおや、景王は酒には弱いと見える」
笑って抱き起こそうと席を立った尚隆の前に、大きな犬の頭が表れた。
「延王、失礼をいたしました。主上にはしばし休息を」

穏やかに笑っていた尚隆は、突然真顔になり鋭い気を放つ。
「景麒の使令か」
「是」
「俺を監視していたのか」
「……」
外から誰かが入ってきた。
「主上!」
「陽子!!」
景麒と延麒である。

「お前たち!」
尚隆は、思わず大きな声を出したが、すぐに表情を戻し、
「お前らな……」
と言って頭を抱え、大きなため息をついた。気を取り直した尚隆は、
「景王は酒に弱いらしいな」
と、景麒に向かって尋ねていた。
「はい、まだたしなむこともされていませんでした」
「そうか」
「そうかじゃねえや! 尚隆!お前他人(ひと)の国に来てまで何やってんだよ!! おい、景麒! 陽子を介抱しろよ!!」
「もちろん、誰か!」

すぐに祥瓊と鈴が部屋に入ってきて、班渠の背に陽子を乗せると、少し離れている寝室まで連れて行った。

「桜の強い香りがいたします」
陽子の去った部屋で、景麒がつぶやく。
「ああ、この酒の香りだ」
「尚隆、おまえ強い酒を陽子に勧めたのか」
「いや、景王がこんなに酒に弱いとは思わなかったのだ。それは本当だぞ」
「申し訳ございません。せっかくいただいたのに、お相手をするべき主上は酔いが回ってしまいました」
「いや、まあよい。まだこの一瓶しかできていなくてな。あとで冷たい良水とでも割って楽しめば良い。桜好きの景王に差し上げよう」
「ありがたき幸せ」
そこへ、下官が二人の賓客が泊まる寝室の用意が整ったことを知らせに来た。
「ご案内いたします」
景麒は二人と共に陽子の私室を出て行った。

* * *  終節  * * *

 翌朝、延王と延麒は自国に戻って行った。
 陽子は、それを知ってがっかりしたが、桜酒は大変気に入ってそのあと薄めて少しずつ飲んだ。明るい太陽のもとで白磁の器に入れてみると、琥珀色に輝く酒の美しさが良くわかった。尚隆は白い粉も置いて行ったようだが、それはどうやらふくらし粉らしかった。少し入れると、さっと桜色に変わるのだ。そうすると、なぜか桜の香りが強くなり、より一層この酒を引き立てる。
 陽子の思いの中に、桜とこの酒だけでなく、桜酒を持ってきた者が存在をしているかどうかは、陽子本人にしかわからないことだ。しかしながら、今年の景王は、満開の桜だけでなく、その下で飲む桜酒も大いに楽しんだと言う。

おわり

あとがき 空さま

2011/03/30(Wed) 22:17 No.208

 やたら長いです。 なのに内容が無いよう(涙)
 このネタは実は五年くらい前から温めていたのですが、 どうしても浩陽だと、はなしがうまくできなくて、困っていました。 そこで延王に助けてもらいました。 この話は、空のいつもの話とは全く別の話になります。
 時系列はあえて書きませんでした。 でも、陽子さんが景王になってからそれほど経っていません。
 色の変わる桜酒は、五年くらい前確かにあったのですが、今は調べても出てきません。 はやらなかったのかなあ??
 重層(ふくらし粉)を入れて色が変わるのは作り話です。 桜の木の幹から作ったというのもねつ造です。 ネタばれになるので注意書きにはしませんでした。すみません。

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