一月違いの春
ネムさま
2011/04/09(Sat) 12:14 No.315
― お酒、飲みました ―
鸞の嘴から弾けるように出た声の明るさに、景麒の固い口元が思わずほころんだ。
目を転じれば、窓のすぐ外に作られた藤棚から白い花房がゆったりと揺れている。その先の新緑、さらに先の青空へ景麒は思いを馳せる。
陽子が延王から貰った桜の酒で酔いつぶれた話をした時だった。
「いいなぁ」
愚痴をこぼしたつもりの景麒は、泰麒の思わぬ反応に驚いた。景麒の反応に気が付いた泰麒は、照れながら言う。
「蓬莱では、お酒は二十歳からでないと飲めないことになっているんです。でもそれで言うと、僕はこのままの姿ですから、一生飲めないのかな、なんて思っちゃって」
それなら十六のままの主こそ飲んではいけないのでは、と景麒は思うのだが、泰麒はそのまま外の満開の桜に目をやった。
「昔家族でお花見に行った時、透明のコップ酒を水と間違えて飲もうとして、祖母や父にすごく怒られたことがありました。落ち込んでいたら、父が珍しく慰めてくれたんです。
僕が二十歳になったら、一緒に桜の下でお酒を飲もうって」
子供に酒を飲ませてはいけないという常識は常世にもあるが、法律で年齢制限は設けられていない。“二十歳になったら息子と酒を”という、蓬莱の父親のロマンを景麒が知るはずも無い。
それでも、泰麒の呟くような言葉に胸が痛んだ。
「僕は子供のままで、戴もまだ冬のままだ。桜の下でゆっくりお酒なんか飲める日が来るんでしょうか」
乱の折の助力への礼に来朝し、翌日には戴へ帰らなければならない泰麒のため、景麒は主の元へ赴いた。
「高里君から便りが来たって?」
仕事の合間らしく走ってきた陽子が息せき切って尋ねるのに、景麒は珍しく微笑みながら、鸞に銀の粒を与えた。
― お酒、飲みました ―
繰り返される明るい言葉に、陽子も顔一面に笑みを咲かせる。
一月前、突如己の麒麟から酒を懇願され仰天した陽子だが、事情を聞くとすぐに貴重な酒一瓶を泰麒に渡した。
― 戴で最初の桜が咲いたら、その下で泰王とこのお酒を飲むんだよ ―
その後の“どうせ蓬莱でも皆二十歳前に飲んでるんだから”という陽子のトンデモ発言に景麒が過敏に反応している間も、泰麒はじっと酒瓶を見つめていたが、やがて小さな礼と共に頷いた。
「戴で桜が咲いたんだね」
「はい」
「…よくやったな、景麒」
いきなりの誉め言葉に景麒は目を見開き、主を見る。陽子はただ笑う。
荒れた友の国へ何かしてやりたいと思う。しかし国を甦らせるのは、その土地に住む人々であり、遠くの者が出来ることは限られている。
― それでも想っている、祈っているってことを、景麒は伝えられたんだ ―
「あぁ、私もまた桜のお酒を飲みたいよ」
陽子が思い切り伸びをしながら言うと、景麒はまた顔を顰めた。
「こちらの桜は散り終わっています」
「花見の花は桜だけじゃない」
「桜のお酒に合いません」
それなら藤やツツジで酒を造ると陽子が言い、景麒が盛大な溜息を吐いた。
遥か北の国でも、明るい空の下で王と麒麟が連れ立ち、話しているだろう。
― 了 ―