金波宮でお茶しよう!〜ブタイウラ編
饒筆さま
2011/04/19(Tue) 10:50 No.551
主上(と書いて愛玩動物と読む)が不在の金波宮は、実に静かだ。仕事も捗る。が、なんとも物足りない。
浩瀚は絶えず筆を走らせながら、冷徹に言い放った。
「却下」
「な! ちょっと、頼みますよ!」
桓タイ(と書いて手下と読む)が声を荒げる。
「揚河の堤ですよ。去年も決壊寸前だったじゃないですか。あと一卒追加しないと、納期に間に合いませんって! あいつら過労死寸前なんですから」
「足りない人夫は徴募すればいいだろう。荒民を使えば、安く上がって一石二鳥だ」
「今更、工事の質を落とせませんよ。それに、徴募には時間も手間もかかります」
「それは監督者の腕の見せ所ではないか? それなりの給金は払っているんだ。キリキリ働かせろ」
浩瀚は一歩も引かずに睨み上げる。桓タイが大きく息を吐いた。
「最近、どうしてそんなに財政(さいふ)のヒモが固いんです? この前老師も愚痴っていましたよ、歳費(こずかい)が無いって」
「それは件の迷惑料を差し引いたんだ。自業自得だろう」
「なるほど。兵糧攻めにしましたか」
桓タイがほろ苦く笑った。ちょっとした悪戯心で女王と冢宰の艶聞を捏造した代償は、ずいぶん高くついたようだ。ちなみに、彼自身は連夜の合コン開催を祥瓊に告げ口され、散々な目に遭っている。
(「だーかーら、俺が遊んでいるんじゃなくて、淋しい部下たちに彼女を紹介してあげただけだってば☆」「この、大嘘つきッ!」バチーン!!)
「でも、また仕返しされても知りませんよ。そのときの老師、『慶東国美少女図鑑』を買い損ねたって、それはそれは拗ねておいででしたし」
「・・・あの方は・・・一体何を読んでいるんだ・・・」
さすがの浩瀚も項垂れる。時折、弟子入りしたことを無性に後悔する。
「女性の趣味に関しては、浩瀚様だって人のコト言えな・・・」
「私が、何だ?」
にっこり。
桓タイは骨の髄まで凍りついた。ギギギ、と首を鳴らし、あさってを向く。
「そ、そそ、そういえば、財政緊縮の話でしたよね・・・」
下手クソな話題転換に呆れながら、浩瀚は仕方なく乗ってやる。我ながら寛大だ。
「雁国からの借財を完済したいのだ。恩義ある大国とはいえ、いつまでも後盾(ぱとろん)面されるのは癪だからな」
「おや? 貴方が体面を気になさるとは思えませんね。何か、あるんでしょう?」
常に実を取る男がにやりと笑う。
「まあな」
そのとき。
バタン! 一陣の風が吹き込み、開け放たれた窓が鳴った。白い花片が床に散る。桓タイは咄嗟に抜刀して立ちはだかったが、窓の向こうでは咲き誇る桜が艶然とその細腕を揺らしただけだった。
浩瀚は窓枠に突き立った鷹羽を確認し、平然と制す。
「心配するな。私の飼い犬だ。不作法な奴でな」
桓タイは尚も窓外を睨みつける。そして、何事も無かったように書類を納めている浩瀚へ向き直った。
「何度でも申し上げますが、くれぐれも用心してくださいよ。御身は・・・」
「わかっている」
「わかっていたら、もっと護衛を増やしてください!」
「それより、おまえ、そろそろ主上と合流した方がいいんじゃないか。少しは顔を出さないと、麗しの女史殿にまた叱られるぞ」
「あ。・・・しまった、そうでした。参ったな。釣った魚にも餌をやらないと」
「ただ餌を与えて甘やかしてはならんぞ。きちんと餌付けして、役に立つ芸を仕込むんだ」
「・・・見習いたいのはヤマヤマですが、私には到底マネできませんよ」
桓タイが頭を振り振り退出する。
浩瀚は中庭の桜に眼を留めた。
桜花を見る度に、思い出す声がある。
――今更、そなたの話など聞きとうない!!
薄紅の嵐の中を、憤然と立ち去る青の女王。それを追う台輔の痛々しい背中。
「主上!」己の声はもはや届かない。
――最初から、麦州を捨てて予王のお側に仕えていれば。
あんな結末にはしなかった。
言い訳ならある。気弱な女王は臣を恐れ、謁見すらままならなかった。膝に縋る領民たちを捨て去れなかった。
だが、それが何だ? 私は死力を尽くして予王に仕えたと言えるのか?
怯惰の王だと失望し距離を置いたのは誰だ?
王が王として立てなかった為に、どれだけの血が流れ、国が荒れたか。
己の浅慮と高慢が許せない。
桜花を見る度に、私は私を弾劾する。
「入れ」
痩身の男が窓から跳び込み、音もなく隅に控えた。「文をお持ちしました」
浩瀚が頷く。男は懐の文を書卓に置き、また下がる。
その内容は言い訳がましく冗長で、文字はいささか震えていた。要約するとこうなる。
――ご依頼の目録(りすと)は女を介し、慶国を訪問する若者に預けました。後生ですから、このようなご依頼は今回限りに・・・いや、もう無理です! 朝士が身辺をうろついているんです。マジでヤバいです。どうか、もう、カンベンしてください!!
「なんだ。もう嗅ぎつかれたのか。使えないな」
我が身可愛さに祖国を売った野郎に、同情の余地は無い。
(というか、売らせたのは貴方でし・・・うわっ誰だ?! ・・・フガッ!・・・)
「この者の身辺から手を引き、横領の罪を密告してやれ。ま、こちらが明かさなくても雁の朝士なら洗い出すだろうが。よいか、慶に繋がる物証は塵ひとつ残すな。本人もよく脅しておけよ。例の愛人が大切なら口を割るな、と」
「は」
男が姿を消す。浩瀚はやれやれと椅子に身を預ける。
「回収に出向かなければなるまい」
彼は目録を預けられた若者――楽俊を思い浮かべた。才も人格も、そして運も申し分の無い、恵まれた青年だ。だが、それだけに気迫が足りぬ。男子たるもの、己の牙(前歯か?)を自ら丸めてしまってどうする? 彼の本気が見てみたい。
――思い切り凹ませてみるか。
人の悪い微笑が洩れる。さてどうなるか。実に楽しみだ。
かくして数刻後――
慶東国の冢宰閣下が自らその目的を十二分に果たしたことは、言うまでもない。
藍色の空に、淡い月が昇った。金波宮に明かりが灯る。
春の休日を堪能した女王は、まっすぐ積翠台の執務机に向かった。
さあ主上、始めましょうか。
緑の双眸が正面から浩瀚を射抜く。彼は如才ない笑みを刷く。
「まず、新しい商売の話から聞こう。建州の鉄鉱山からだ。埋蔵量調査は済んだのか」
「ほぼ。そちら黒の文箱に報告書がございます。戴国から招いた技師に依れば、今後百年は枯渇しないそうです。雁の南部より巨大な鉱床が連なっているのではないか、と申しておりました」
「そうか。じゃあ大っぴらに売りさばいても大丈夫だな。で、範国は何を提供してくれるんだ?」
「最新の製錬技術と製錬所を二基。もちろん建設費用から技術指導まであちら持ちで」
「太っ腹だな。それだけ、うちの値に期待しているってことか」
「ええ。向こう十年間、雁の鉄鉱石の半値でいいと申しましたから」
「半値?! それは安すぎないか?!」
陽子が眼を剥く。
「圧倒的な安価には理由があるのですよ」
浩瀚が身を乗り出した。
「ひとつは、投資を呼び込むための撒き餌です。鉄鉱石を産する国は少ない。それなりの投資をすれば半値で買えるとあれば、飛びつく国も豪商も多いでしょう。借財には利子が付きますが、投資は危険性(りすく)も相手が背負います。何の負担も無い資金を我が国に流入させたいのです」
「なるほど。必要な金は金持ちからふんだくれ、というのはおまえの名言だったな」
「ええ。貧乏人からコツコツ集めるより効率的ですからね」
景麒がこっそり溜め息をつく。王と冢宰の会話というより、金融ヤクザの会話だ。
「ふたつめは、長期的な戦略です。鉄鉱石をこれほどの安価で売れる国はありません。圧倒的な安価で市場を独占し、競争相手を廃業に追い込んだ上で、ジリジリと値を吊り上げるつもりです」
「相変わらずエゲツないなあ。だが、そもそも採算がとれるのか?」
「我が国の人件費は十二国一安うございますからね。薄利ですが、なんとか」
「ああ・・・最貧国だからな・・・ウチは」
陽子が情けない顔で突っ伏す。蓬莱での暮らしは夢のように豊かだったのだろう。彼女は事あるごとに慶の民を憐れむが、貧困に慣れた民の目から見れば、現在の慶は驚異的な早さで復興を遂げている。まだ貧しくても、明日への希望と活力が漲っているのだ。
「焦る必要はございませんよ。まだ十年でございますから」
「そうだよな・・・。まあ慶にとってはそれでいいとしても、現在、鉄で稼いでいる雁が怒らないか?」
「それは当然、不快感を示すでしょうね。ですが、あちらは主に製鉄業で儲けていますから、石の値に本気で拘ることはないと思われます。むしろ、うちにも半値で売れと迫ってくるでしょう」
「そうだろうな。だから借財を完済するんだろう」
「ええ。負い目があると強く出られませんからね」
「十二国イチの製錬技術を教えてくれるなら、半値で売りましょう・・・か。教えてくれるワケがないな」
陽子が口を尖らせる。
「早かれ遅かれ、喧嘩を売る羽目になりますよ。まずは客の奪い合いから」
浩瀚が懐から黒檀の箱を取り出し、やおら裏返して底板を外した。二重底だ。そして、びっしりと字の書き込まれた薄紙を広げる。
「何だ、それ・・・って、あ!」
「雁鉄鋼の輸出先目録(りすと)です」
「どうやって手に入れた?!」
「雁に“親切な知り合い”が居りまして。お困りだろうからと“快く”分けてくれました」
「ウソつけ!」
「ああ、それとも小人さんが枕元に置いていきましたっけ?」
「寝言は寝てから言え! ・・・わかったぞ、その件で朱衡さんから探りを入れられたんだな。だからあんな本借りたんだろう」
「ご明察です。経済談義で煙に巻いたら、ずいぶんご立腹の様子で」
陽子が頭を抱えた。そうだ、犬猿の仲というか同族嫌悪な二人が、本の貸し借りをするなんて・・・あのとき、疑っておくべきだった。
「頼むから外交問題を起こさないでくれよ・・・」
「ご心配なく。ここに目録があること以外、何の物証もありません」
浩瀚が会心の笑みを浮かべる。
「・・・おまえを敵に回さなくて良かったよ」
「これは心外ですね。私が主上の敵になることなど、あり得ませんよ」
しかし、最も危険な味方に違いない。とは、景麒の独り言である。
「はあ・・・小松センパイは恩人だし、お隣さんだから喧嘩したくないんだけど・・・慶国復興の為には仕方ないのかなあ」
「気が進まないようでしたら、白紙に戻しますか? そうなれば、御膳のオカズが一品減りますが」
「なにい! 一品減るう!!」
「財政難の折り、主上におかれましては率先して範を示していただきたく存じます。という訳で、白米も二割減でお願いいたします」
「そんなっ、この鬼畜!! うう・・・やる! やるってば! 鉱山労働者として荒民を引き受けます、とか、朱衡さんに絶対見つからない昼寝場所を提供しますとか言って、ご機嫌を取ればいいんだろう!」
さすがに景麒が口を挟んだ。
「主上! 貴女はオカズ一品で恩人を裏切るのですか!」
「だって! 金波宮のゴハンが一番美味しいんだぞ!!」
きっちり餌付けされている。
女王の飼育係がにっこり微笑んだ。
「そう仰っていただけると膳夫の励みになります」
「うん。明日のオヤツに胡麻団子が食べたいって言っておいて♪」
――主上・・・すっかり籠絡されてしまって・・・。
景麒が袖で涙を拭う。今更泣いたって、後の祭りなのである。
「ようし。根回しはできているから、事務れべる協議はすっ飛ばして、とっぷ会談で締結していいよね。じゃあ次。次、行ってみよー!」
二人(と一匹)の夜は、こうして概ね平和に更けてゆく。
陽子が大きく伸びをした。
「んん〜。 やっと終わったあ・・・」
月はもう傾いている。
早く寝よ、寝よ・・・と回廊を急ぎ足で通り過ぎようとして、篝火に照らされた夜桜に眼を奪われた。
「うわあ・・・綺麗だ・・・」
ふと右後方の浩瀚を見遣れば、彼は陰鬱に眉を顰めている。
いつも、こうだ。この男は、桜を見る度に先代の女王を思い出すのだ。
陽子は口を開きかけて――紅唇をぐっと噛んだ。浩瀚に背を向け、ぶっきらぼうに独白する。
「予王の件は、臣が悪いワケじゃないと思うぞ」
浩瀚が驚いて陽子を見る。陽子は背を見せたまま、右拳を左掌に打ちつける。
「もし私がどこかで予王に会ったら、言ってやりたい文句が山ほどある!」
それは本当だ。どんなに辛く苦しくても、やってはならないことがある。
それから、陽子はくるりと振り返った。
「ま、どうせ三百年は後の話だけどな!」
に、と笑う。浩瀚もつられて笑みを零す。
「・・・お気遣いありがとうございます」
「うむ。スナオでよろしい」
スナオでないのはどちらなんだか。
――いつの日か、桜花を見てまた違う感慨を抱くことができるだろうか。
鮮やかな若葉色の瞳を見つめながら、浩瀚は心密かに忠誠を誓った。
<THE END>