わたしの守り神 1
饒筆さま
2011/05/09(Mon) 13:27 No.849
告白、されました。
月明かりの下で――たおやかに揺れる桜の下で。
「鈴。ずっと前から貴女を愛していたんだ。どうか僕の想いを受け取って欲しい」
嬉しかったわ。幻想的な夜の桜。ずっと夢見ていた甘い言葉。聡明で優しくて頼もしい夕暉も・・・大好き。
蓬莱のおばあさんがよく話してくれたわ。大好きな桜の下で大好きなおじいさんと結ばれたから、私はずっと幸せだよ、って。その日から、お地蔵さまの裏の桜はおばあさんの守り神になったのよ。
夕暉はその話を憶えていてくれたのね。本当に嬉しいわ。
でもね。あのね。私は・・・。
――私なんかが、幸せになれるの?
内なる声がグルグル回る。きっと無理。たぶん不可能。こんな私が、幸せになんてなれない。
結局、しどろもどろになった返事は、まるで要領を得ていなくて。彼を困らせただけだった。
「今すぐでなくていいんだ。待っているから――きちんとした返事をくれるよね?」
「うん・・・」
幸福な夜なのに。ただ項垂れるしかなかったの。
「これはどういうことですか! 説明なさい」
「も、申し訳ありません・・・」
「謝れと言っているのではありません! 経緯と理由を説明しなさい!」
女官長に大喝され、私は子鼠のように縮こまった。
朝、陽子が気に入っていた茶器を割ってしまった。(お約束) 昼前、生け花を運んでいて足を滑らせ、通りがかった台輔に花と水をぶちまけた。(これまたお約束) そして午後、春の遊園会の御衣を出すよう言いつけられて御蔵へ行き――長持に引っかかって転んだ拍子に棚を押し倒してしまい、中をぐちゃぐちゃにしてしまった。(見事にお約束)
ああ・・・私って、どうしてこうも至らないのかしら。
私の頼りない説明を聞いた後、女官長は肺腑の底から嘆息した。
「・・・為してしまったことは仕方ないわ。鈴、あなた一人で全部片付けなさい」
「はい。本当に、申し訳ありませんでした」
平伏したい気分で頭を下げる。すみません、玉葉さま。私のせいで御迷惑ばかりおかけして。十年たってもこんな役立たずのままで。
滲む涙を拭って、腕まくり。とにかく片付けなくちゃ。手近なものから脇へ移動させていると、扉の陰から後輩が二人ひょいと顔を出した。
「鈴センパイ、お手伝いしますよ」
「ええっ、でもあなたたちだって仕事が・・・」
「シッ! 少しなら大丈夫ですよ。一人で棚を立てるの、大変でしょう?」
二人揃ってにっこり笑う。ホロリと涙が出そうになった。「ありがとう」
テキパキと手伝ってくれながら、後輩は言う。
「でも本当に今日はどうしちゃったんですか? センパイらしくありませんよ?」
「そうそう。何かお悩みでも・・・あ!」
顔を見合わせ、くるりと私を振り返る。嫌な予感。にやついた二人の声がハモった。
「恋の悩みですね?!」
恋! 図星を突かれて赤面してしまった。わっ・・・冠を落とさなくて良かった。
きゃあ〜と黄色い声があがる。
「で、お相手は誰ですか」「片想いですか両想いですか」「ドコまでいっちゃったんですか〜?」
「ど、ドコって! 何もしていないわ。告白されたけれど、返事は・・・その、難しかったというか、できないままで、これからどうしようかと悩んでいて・・・」
後輩たちが急に神妙なカオになる。
「ひょっとして、シツコイ男につきまとわれているんですか」
「いますよね〜。勘違い野郎とか、根に持つオトコとか」
「ええっ? それは違う・・・」
「いいえ、大丈夫です、センパイ! 私たち、センパイの味方ですから!」
「そうですよ!センパイは優しいから相手がつけ上がるんです。みんなでビシッと言ってやりましょうよ」
ええっと・・・お願いだから私の話を聞いてくれないかなあ・・・。私がトロいのがいけないのかしら。
「あのね、心配してくれるのは嬉しいけれど、この話はここだけにして欲しいの。彼に迷惑がかかっちゃいけないし・・・」
「いいんですか、それで」
「本当に困っているなら、相談してくださいよ」
後輩たちが口を尖らせる。私は笑顔を作った。
「本当に、そういうのじゃあないのよ。ありがとう」
「・・・わかりました。じゃあ、この話は私たちだけの秘密にします」
不満そうだけど納得してくれたわ。ああ良かった。変な噂が流れたら大変だもの。
このとき、鈴はわかっていなかった。こと恋愛の話に関しては、「秘密」ほど早く広まることを。
なんとか御蔵の整頓を終え、報告した頃には、もう日が傾き始めていた。
はあ・・・今日は失敗ばかりで、本来の仕事が何ひとつできなかったわ。陽子とお茶する約束もすっぽかしちゃったし。
本当にダメね・・・私。
「あの、鈴殿」
そもそも、何をやらせてもドン臭いのよね。‘人並み’のことができるようになるまでに、他人の何倍も時間がかかってしまうし。
「ええと・・・鈴さん?」
そして、ちょっとぼんやりすればこんな始末。ああ情けないわ。こんな私を、夕暉が好きになってくれたなんて、本当に奇跡だわ。
「鈴様! 折り入って話がアリマス!!」
「はいいっ?!」
身が竦む。い、いきなり大声出さないで〜。(いや、貴女がもっと早く気付いてあげて)
恐る恐る振り向くと、よく見かける衛士がいた。あら、彼、こんなところの担当だったっけ?
勇ましい面構えに朱を刷き、衛士が言う。
「鈴殿、伺いましたよ。不逞の輩につきまとわれてお困りだとか・・・俺で良ければ力になります! いや、俺は貴女の盾になりたい!」
え? なにそれ? というか、そんなに顔を寄せて力説されてもコワイ・・・。
「いえ、あの、結構です・・・困るというより、悩んでいるだけですし・・・」
「なんと、悩んでおられる! それだけで万死に値する! 俺に任せてください。貴女の貞操は俺が守り抜いてみせます!」
て、貞操って大げさな・・・。
え。ちょっと待って。もしかして、私が夕暉に「いいわ」って答えたら、私たちお付き合いするのよね。そうしたら、私と彼はそういう関係になるってこと? ・・・・・・。いやあん、ナニ考えているの、私〜!!
ボン!と湯気が出るほど顔じゅうが熱くなって。恥ずかしさの余り、私は踵を返して走り出した。こんな顔、誰にも見せられないわ〜。
ん?背後で衛士さんがガッツポーズをしているように見えたけど、なぜかしら?
回廊を曲がった途端、今度はひとりの官吏にぶつかった。勢いで腕の中へ跳び込んでしまう。
「まあ!ごめんなさい!」
「・・・鈴殿」
驚いた顔はまだ若い。どなた? 私は知らない人だけど、私のことを知っているの? でも、あの・・・この腕、解いてくれませんか?
熱い眼差しを注がれる。
「噂を聞いて、探していました。私の手紙・・・読んでいただけましたか?」
手紙? 瞬きを繰り返す。そういえば、時々見知らぬひとから届くわね。でも、てっきり宛先間違いだと思って、全部老師に預けていたわ。
相手の視線が熱すぎて、ナナメ下方へ目を逸らす。
「ごめんなさい。手紙は全部老師に・・・」
「ああ。やっぱり。貴女は正真正銘、高嶺の花なのですね。・・・しかし、偶然とはいえ、こうして貴女の方から来てくださるとは」
男の腕に力が入り、耳元に息がかかる。鳥肌が立つ。い、嫌! 放して!
「鈴殿。私は・・・」
嫌あ〜!! 誰かっ!!
「こら!! ソコのフトドキ者!! 鈴を放せ!」
凛とした怒声と共に割り込んできたのは、鮮やかな赤と白刃の煌めき。不届き者呼ばわりされた官吏は慌てて身を離し、急いで跪礼をとった。
陽子!!
「私の鈴に何をする!」
ありがとう!さりげなく所有形なのがカッコ良すぎるわ!
「鈴の身辺に不審な者が出没すると聞いたが、それはおまえか!」
まあ! それは誤解よ。
「それは違います、主上! その方は・・・その、曲がり角でぶつかってしまって、だから、抱きとめてくださっただけ・・・なんです。ですから、どうかお咎めはなきように」
「本当か?」
緑の瞳が私を射し、私は黙って頷く。あの官吏が何をしようとしたのかは考えたくもないけれど、陽子が来てくれたから未遂だもの。それでクビになったら可哀想。
横顔に熱い視線を感じた。もう彼の顔は見ない。
「ならば、下がれ」
若い官吏はほうほうの体で去って行った。
陽子の後ろから祥瓊が歩み出て、そっと私に寄り添ってくれた。
「鈴。本当に違うの? 大丈夫なの? ごめんなさい、私、あなたが困っていることに全然気がつかなくて。今更だけど、あなたを助けたいわ。正直に話してくれる?」
「そうだよ、鈴。どんな奴かは知らないけれど、女を困らせる男になんか、気を遣う必要は無いぞ」
陽子も膝をついて、私に目線を合わせてくれる。
温かい感情が込み上げてきた。ああ、友情って素敵。
「ありがとう・・・陽子、祥瓊。でもその噂はデタラメなの。私は平気よ。困ってなんていないわ」
「でもさ、今日はなんだか様子が変だぞ? 何があったんだ?」
私は、真剣な陽子の顔を見つめた。
陽子。輝かしくて眩しいわね、あなたの面差し。この十年ですっかり王様らしくなったわ。
それから、傍らの祥瓊を振り返った。
祥瓊。本当に麗しいわね、あなたの顔(かんばせ)。もともと品が良かったけれど、この十年で本物の気高さと知性を身に付けたわ。
それに比べて、私はどうなの?
十年たっても、何の進歩もないじゃないの。
素晴らしい友人たちを前にすれば、ますます自分が情けなくていたたまれなくなる。こんな弱音、二人には吐けないわ。
私は顔を背けて立ち上がった。
「本当に平気だから。心配しないで。今は――ひとりになりたいの!」
そして再び全力で走り出した。
「鈴! 待ってよ!」
陽子が追って来る。あの俊足には絶対に敵わない。どうしよう・・・そうだわ! この先に呪を施した小路があったはず。わざと角を曲がり続けて、建物の間を抜けて、息を切らせてその場所へ。
鈴は虚空へ姿を消した。