笑顔咲ク ─壱─
Baelさま
2011/05/22(Sun) 19:58 No.1064
【お久しぶり。楽俊。】
久々の便りは鳥ではなく、辿々しい、けれど何処か奔放で真面目に一所懸命な文字が伝えてきた。
【ああ、祥瓊が怒ってる。せっかく正式な書簡の作法を教えてあげたのに、この書き出しは何なの!? だって。
勿論、私もせっかく教わったことを無にする気はないし、勉強の成果を楽俊に見てもらいたいなとも思う。でも一度書いてみようとして、くしゃくしゃに丸めて捨てちゃった。
きちんとした書簡って難しいね。
礼儀とか形式とかは必要なものなんだろうけど、それに則って書くと、景王の書簡にはなっても中嶋陽子の書簡にはならない気がする。
どちらも自分だということは分かっているけどね。楽俊には全部が中嶋陽子な書簡を送りたかった。読みにくかったらごめんなさい。
祥瓊が、それでもこんな練習用の紙は駄目よ、だって。勿論、書き直すってば。
でも、こうして執務の間にちょこちょこ書いていると、楽俊に伝えたい諸々を落とさず書けるような気がするんだ。
松伯も、字を書く練習だと言ってくれたしね。
普通の手習いだと根を詰めすぎてしまうけど、楽俊への書簡だと思うと肩の力が抜けて丁度いいらしい。だから、悪いけど付き合ってね。
ああ。でも、そもそもこちらには、こういう話し言葉を文章にする習慣があるのかな。なかったら余計に吃驚だよね。
あちらも、昔は話し言葉と書き言葉がちゃんと分かれていたんだって。
というと楽俊は興味を持ちそうだけど、文字でこれ以上説明する自信がないので、また鸞を飛ばした時にね。
あ。今、景麒が横から覗き込んで、あちらではなくちゃんと書けって言ってきたけど、無視。字画が多すぎなんだよ。
ちなみにこの、景麒って書いているのは練習です。内緒だけど。
なので、もう一回書いておこう。
相変わらず景麒はガミガミ煩いです。と、これで良し。】
「……横から読まれていて、内緒も何もねえだろうに」
くつくつ笑いながら紙を繰ると、楽俊は鼠の姿で僅かに小首を傾げた。
初夏の風が飾りのない簡素な窓から吹き込み、その髭をそよがせる。人とは違うその形から表情は読みにくいが、満足げに細まった目は正直だった。
やれやれと嘆息すると、楽俊は再び紙に目を落とした。
【それから浩瀚が、って。浩瀚の字も難しいな、冢宰って書く方がまだ簡単。
楽俊の字は書きやすくて好きなんだけど。鈴とかもね。
正直、祥瓊は苦手な、いや、綺麗でいいと思うよ? 好きだよ? 似合ってるよ? 書き難いだけで。浩瀚もね。
って、失敗した。この辺の愚痴は、後で書き直す時に書き足せば良かったとか書いたら、また怒られました。
その私を怒った、じゃなくて、叱った? 浩瀚が、楽俊に感謝していると伝えてほしいそうです。
私が路木に願った果物の件でね。
今年も無事に収穫出来たので、命名者の一人でもある楽俊には、お裾分けで送らせてもらいます。
あ。虎嘯と桓堆が喧しい。あれだけだとお腹に溜まらないから、もっと腹持ちがいいものを一緒に送るべきだ、だって。
二人はこの果物、今ひとつ好みじゃないらしい。
虎嘯はちまちま一つずつ食べて種を出すのが面倒だって言うし、桓堆は小さいし腹に溜まりません、だって。
美味しいのに。って、花を生けに来てくれた桂桂が呆れてる。桂桂は糖蜜漬の瓶詰が大好きなんだよ。
鈴や祥瓊は、これだから男の人は、だって。
でも、浩瀚や夕暉は気に入ったらしいから、個人差だよね。夕暉には糖蜜漬は甘過ぎるらしいけど。
実は松伯は、やっぱり種が面倒なんだって。
楽俊はどうですか。ああ、それと雁の大学のお友達は、何て言ってるのかな。
雁の評判は気になるので、今度、教えて下さい。
って、頼むなら、ちゃんと名前を書くべき? 正直、未だにちょっと微妙です。
確かに、路木にあれこれ願った中でも、あの果物は特に保存に向かないし。保たせるには糖蜜漬の瓶詰にするとか、とにかく手間がかかるしするもんで。じゃあ、高級食材扱いで外貨獲得用にしようって言ったのは、私なんだけどね。
で、浩瀚に、慶国産ということが分かり易い名前にしてくれと言われて、楽俊まで頼ったのも私なんだけど。
あれって、私なんかに似てるかな。
色の組み合わせは近いけど、可愛らしさで大幅に違わないか?
とか言っていたら、お茶をいれてくれた鈴に、そんなに名前書きたくないの? って呆れられた。
だから景麒。もう慶の字は書けるってば。書きにくいけど。
ただ単に私は、“さくらんぼ”っていう方が馴染んでいるだけだよ。
勿論、書けるって。だから】