咲き初めの花
さらこさま
2014/03/23(Sun) 15:58 No.55
春風に誘われるように男は王宮の園林に立った。
と言っても、そこは自分の居住する(・・・というよりむしろ監禁される?)べき宮殿ではない。
ここより北に位置する自国では、春分を過ぎたこの時期はまだまだ風が強く、すぐに溶けはするものの雪も降るのだ。
ようやく梅が咲き始めたこの時期に、こちらではもう春も盛りを告げる花が種々に咲こうとしている。
「あと十日ほど待てば、きっと城下の方も見頃でしょう」
「それを待つ・・・と言いたいところだが、そうもいくまいな」
「もうひと月もすればば、そちらでも咲くでしょうに」
くつりと笑って、陽子は隣国の王を見やった。
彼は、どことなく憮然とした顔でひと枝を眺めていた。
「こちらの春は、ひと月早いな」
「そうですね」
「あちらではな、これが咲くと、田の手入れに取り掛かるのだ」
「こちらでもそうではないのですか?」
首をかしげていると、不意に振り返った尚隆があきれ顔でため息をつく。
「これはな。もともとこちらにはほとんどない樹だ」
「えっ?」
「あっても良く似た細い枝の先に小さな花をつけるものでな。こう見事には咲かぬ」
「そう・・・なんだ」
陽子は驚いてまじまじと樹を見た。
即位して間もなく贈られた樹の苗は、今や立派に成長して、挿し木で増えて・・・あるいは祈って得られた種からも広まっているというので気がつかなかった。
そう言えば、桜は日本人が最も好む花で、友好のあかしに他国に贈られるのだと聞いたことがあったような・・・気がする。
わざわざ贈り物にする位だから、他の地域では珍しいものなのだろう。
あまりに当たり前にありすぎる木が特殊であるとは、なかなか気がつきにくいものだ。
「あっ。じゃあこの木は?」
「そのまま向こうから持ってきたのではどうにもならんのでな。うちのが種を持ち帰って、あれやこれやと理由をつけて祈ってみたら、生った」
「理由・・・が必要なんですか?」
「天がどうかは実際のところはわからん。しかし小うるさい官を言いくるめるには理由がいる」
なるほど。
王宮のこまごまとした行事は担当の官吏の世話なくして成り立たない。
勅令でごり押しするにも限度があるのは、どこも同じということだ。
「あちらでは農耕のための天啓の降りるありがたい木だと言ったのだがな・・・」
雁国では稲作をしないので水田の世話と密接な桜には、実際のところはそう意味があったわけではない。
だが、寒い地方ゆえゆっくりと育つ樹は美しい樹皮と材が取れる。
見ごたえがあって使い道があるので、関弓周辺からどんどん広まったのだと、尚隆は言った。
「さすがにこちらの人たちは逞しいな」
「だが、残念なことに実の食える梅やら桃やら杏やらの果樹程には人気がない」
「まあ、確かに。花桜の実は食べられませんね」
でも、若葉や蕾は塩漬けにすると食べられるのだった、と思いだした陽子は、下官に言伝を頼んだ。
「即物的と言えば知っておるか? 桜の下に何があるのか・・・」
「ええっと、・・・たしか、死体が埋まってるんだったかな?」
「・・・それは嫌な話だな」
「墓標か何かに使うという話があったような気がするんですが、違ったかな?」
有名な小説か何かに出てきたと思うんだけど。
遠い記憶を探るようにしている陽子に、尚隆は口の端だけで笑う。
「桜の下には、財宝が埋まっていると古来より決まっておる」
「財宝・・・?」
「金銀財宝。いわゆる軍資金やら隠し財産だな」
・・・それって、もしかして、大判小判がざっくざくっ♪の花咲か爺さん?
ひらめいたのはそれしかないが、昔話の有名なアレを告げてもいいのか戸惑ってしまう。
時代的に、ここほれワンワンとか、どうなんだろう?
アレっていつの時代の話で、元ネタは何?
っていうか、樹の下にお金を隠すって、日本的には伝統なわけ?
陽子は頭を抱えたくなった。
「俺もな、若い時分にはお宝が埋まっておるやもしれぬと、島中の桜の下を掘り起こそうとしてみたが、花のある時期にそうそう掘り返せるものでもなくてな」
「はあ・・・」
「なにしろ、山桜というのは断崖絶壁にも生えておるのでな、辿りつくのも一苦労なのだ」
それはまあ、そうだろう。
天然の桜が生えている日当たりのいい場所と言ったら、必然的に斜面が多いのだろうから。
「そういうわけで、船の着ける場所や、下から上がれる場所で、見つかりにくそうなところから探ってゆくのだがな、それらしいものはなかなかない」
「なかなか、ということは、何かあったのですか?」
「うむ。一度だけ、壺が見つかったことがある」
壺の中身は、金目のものではなかった、と尚隆は遠い目をした。
中身を問うていいものかどうか、躊躇うようなその目。
黙っていると、やがて男はゆっくりと口を開く。
「中にはな、札が入っておった」
「お守りみたいなものですか?」
「いや、和歌が書かれた板きれでな、財宝のありかを示した暗号かと思ったが、ついに解明出来なんだな」
まあ、平家の隠し財宝やら、村上の略奪品などと言っても、あるとすれば海の底に決まっておるのだがな。
自嘲ともとれる笑みを浮かべて呟いた尚隆は、急に真面目な顔になって陽子の方を向いた。
「まあ、昔話はさておき、こちらの世界の財宝はどこにあるか知っておるか?」
「・・・さあ? 強いて言うなら、佞臣どもの懐でしょうか?」
慶国では荒れに荒れた時代に消え失せた金波宮の秘宝が山とあるという。
どこまでが本当なのかは知る由もなく、もともと自分のものでもなんでもないのでたいした関心もないのだけれど、古参の官吏などからはいまだによく嘆く声を聞く。
それもまた、頭の痛い問題の一つだと言えなくもない。
「お前もなかなか辛辣なことを言うようになったな」
「恐れ入ります。先達のご指導の賜物でしょう」
相変わらず苦労しておるな、と言われて、陽子は笑った。
「まあ、私には、最初からあるのかないのかわからないような財宝より、もっといい宝がありますので」
「・・・ほう」
「ほら。来ましたよ」
示した先に、盆を捧げ持った人影が並ぶ。
鈴と祥瓊を筆頭に、陽子にごくごく近しい者たちの姿があった。
後ろの方には不承不承といった態で酒器を持たされた景麒と、涼しい貌で酒杯を重ねた盆を持つ浩瀚も見える。
咲き初めの花の下は、瞬く間に酒宴の場となった。
「桜の香りを楽しむ膳を用意いたしました。今日はここで春を待ちましょう」
塩漬けの桜の葉でさまざまな食材を巻いて蒸した酒肴やら、花の塩漬けを散らしたもの。
酒は桜色に色づく紅麹を用いた濁り酒、花を漬けこんだ蒸留酒・・・。
無論、辛口の酒もそろっている。
「これは、なかなか風流だな」
「うちには掘り出せるような金銀も宝玉も湧きませんが、私には気心の知れた友があり、仲間が居り、支えてくれる臣がおります」
「宝は、人か」
「人材こそ至宝ですよ」
あちらにいたころには、ついぞ持てなかった信頼のおける存在。
それがある幸せを誇らしく思いたい。
そう言って笑う少女の自信に満ちた貌には、玉座を背負う自信がないと泣いていた頃の面影は薄い。
蕾はやがて花開く。
時を経て。
あるいは、人の手による世話を経て。
ただそれを遠く眺め待つのは、複雑な気持ちがないわけでもないが・・・
「それもまた、一興よな」
尚隆は誰にともなく呟いて、注がれた酒を掲げたのだった。