投稿作(カップリング有か否か)
花をあなたに
ネムさま
2015/03/29(Sun) 22:20 No.67
微かに焦げた金属を混ぜたような、どろりとした臭いがした。
懐かしさに感覚が目覚めると、暗い錆色の闇の中、忍び笑いが聞こえる。
― 何をした、汕子 −
― 背を少し押しただけ。馬の無い馬車に轢かれて、潰れた ―
彼=傲濫が黙っていると、汕子は笑いを止め激高した。
― 下賤の者どもが!泰麒に手を上げて無事でいられると思っているのか!すぐに謝罪すれば、少しは考えてやっても良かったものを ―
汕子が怒りに身を震わすごとに、その輪郭が鈍く光る。しかしその光は闇を照らさず、更に暗さを深くした。
― 休め。次は俺が視ている ―
傲濫が言った。唐突に怒りを遮られ汕子は一瞬戸惑ったようだが、大人しく頷き、闇に溶けた。
傲濫は周囲を見回した。そこここに鬱金の名残を止めてはいるが、今や殆ど赤褐色に濁っている。しかし傲濫は嫌ではなかった。むしろ闇が深くなるほど、血の色に染まるほどに、呼吸が楽になっていく気がする。
あの光の世界は、真実在ったのだろうか?
あの日、傲濫は巣穴に掛かった獲物を、いつものように触手で捉え食そうとしていた。そこへ小さな二つの、何やら目が眩むようなものが後を追ってきた。
一つは薙いで振り払えた。しかし、もう一つは…
思い出す度、傲濫は身が震える。とろりとした闇に居た自分の前に絶対的な力で立ち塞がった、今まで知らなかった“光”という言葉が突如浮かび、同時にその実体が、彼の感覚全てに襲いかかった瞬間。
― 名を ―
数刻の激しい攻防の末、聞こえた問いに、彼は答えた。
― 傲濫 ―
強い衝撃の後、傲濫は泰麒の光に“繋がれて”いた。
その感覚は、例えて言うなら、彼の体を構築する粒子に、泰麒が注ぎ込む光の粒子が混じり、彼の体内の力を膨れ上がらせる― 光の力が彼をどこまでも押し上げていき、けれども、どこへ行こうとその力で彼を泰麒の元へ(無理やりにでも)引き戻すのだった。
圧倒的な力と引き換えの、絶対的服従。それは時に傲濫を苛立たせた。眠りたいのに眠らせてもらえない―それに似た辛さ。その一方で、傲濫は初めて獲物以外の“他者”の存在を知った。
自分と対等、もしくはそれ以上の力を持つそれらは、傲濫の動きに干渉し制止さえする。それでいて不思議と暖かなものを、その声音や態度で示す時がある。“信頼”とか“親愛”という言葉が頭の中に浮かんだ時、傲濫は戸惑いながらも、少しずつ受け入れて行った。
錆色の闇に漂う淀んだ空気を、傲濫は静かに吸った。心地よい。
目も眩む光で満ちていた世界は、ある日突然、光を断たれた。正体不明の敵が泰麒を襲ったのだ。
知らぬうち放り込まれた異界で泰麒は虐げられ、傲濫は汕子と共に身を潜めながら戦った。そして気が付くと、傲濫の体は、自分の思うように動いていた。昔馴染んだ闇の力が、注ぎ込まれていくのを傲濫は感じた。
自由を感じ、傲濫の中に喜びが沸き上がった。しかし何故か、独り飛び立とうとは思わなかった。
傲濫の中には依然として、泰麒の光の粒子が混じっている。光は殆ど錆びつき濁っていた。けれどもあの暖かさは変わらなかった。だから、異界の人間の血と怨嗟で膨れ上がった力を、泰麒を守るために使うことに、傲濫は疑いを持たなかった。
ふと、闇の暗さが和らいだ気がした。
そっと殻の表面に出てみると、泰麒の頭上に柔らかく揺れ動くものが広がっている。
「さくら…」
泰麒が呟く。傲濫の中の光の粒子がふわりと暖かさを増す。頭上のそれは、泰麒の光に似ている。
― いや、それよりも… ―
傲濫は思う。全てを鬱金色に取り込むような強さではなく、どこかひんやりとしながら、ただ降り注ぐように静かに落ちてくる光 ― それは泰麒の中で見た、汕子の姿だった。
泰麒の光の影に取り込まれ、すぐに泰麒の傳母という女怪に出会った。自分と同じ存在であることは、すぐに分かった。それなのに、彼女は泰麒の光の一部だった。違うのは、彼女の煌めきの粒子は、全て泰麒に注がれているということだった。
泰麒との出会いによって初めて知った光は、息が詰まるほど強く、でも暖かい。そして汕子を見て知った光は、一途でどこか切ない。傲濫はそう感じる気持ちを、言葉として探すことはしなかった。しかし、もし考えてみたとすれば“美しい”という言葉が、彼の中に浮かんできたに違いない。
そして、自分の呼吸が楽になるごとに、彼女の光が薄れていくのを見て感じる寂しさを、表す言葉が“哀しみ”だと、傲濫はいまだ知らなかった。
傲濫はそっと泰麒の足元に寄り添い、共に“さくら”を見上げた。泰麒の口元に微笑が浮かぶのが見えた。
触手を伸ばす。いくつかの光が寄り添った一房が、泰麒の肩に落ち、弾んで膝の上に止まった。小さな驚きの声が上がり、しかしすぐに、僅かな鬱金色の光が感じられた。
どこか霞んでいる春の陽を背に受け、足元に泰麒の影が落ちている。泰麒の声と光に反応したのか、影の輪郭が揺らいだように見えた。
もう一度触手を動かす。今度は泰麒の影の上に、花が一房落ちた。
僅かな沈黙。そして、落ちた花の下、影が一瞬ふわりと光った。