東国の
ミミズのミーさま
2015/04/23(Thu) 00:55 No.279
慶は夏であった。
麦州の近く摂養の園林でも木々は深い緑に覆われ、強い日差しを受けてきらめいていた。
仕事を早めに切り上げた蓮花はささやかな木陰を求めて蓮花はそこに分け入っていく。少し奥まで入った時だった。
ガサッと音がした。
普通に考えれば誰かが蓮花と同じように涼風を求めてきただけだろう。しかし。なぜか不吉な予感がする。
振り向いた蓮花は息を吞んだ。獣だ。しかもこれは・・・
「妖魔!」
逃げようとしたところで足がもつれた。いたずらに手足を動かしてもちっとも前に進まない。冷汗が吹き出した。その時。
「案ずるには及ばない。私は台輔の命が無くして襲いはしない」
妖魔が口をきいた。しかも今、何と言った?
すると後ろから何者かの気配がした。蓮花は恐る恐る振り返る。そこには別の生き物がいた。
形は鹿に似ている。金の鬣。背中の模様が不思議な輝きを放つ。それは・・・
「き、麒麟・・・」
そのまま蓮花は気を失った。
景麒はなぜ娘が倒れたのか分からなかった。持病でもあるのかと案じていると、班渠が一言。
「無理もございません」
しれっと答える使令に景麒はため息をついた。
蓮花が目を覚ますとそこは涼しい木陰で、ああ夢だったのかと胸をなでおろした。しかし。
「目が覚めたなら聞きたいことがある」
偽りようもない金の髪を無造作に垂らした青年がそこにはいた。
蓮花は飛び退って地に頭をこすりつけた。青年はそれも構わず問うた。
「桜を探している」
蓮花は瞬いた。意味が分からなかった。
「?桜・・・ですか?あの・・・恐れながら雲上には桜はないのでしょうか?」
「おそらく、あるだろう。しかし私が探しているのは下界・・・慶の桜だ」
話はほんの少しさかのぼる。
王として天勅を受けるために蓬山に行った景麒と陽子は思いがけない休養を取っていた。
吉日までには20日ばかり余裕があり、長い苦難の疲れを癒すに相応しい。しかし陽子の顔は曇っていた。景麒には理由がわからなかった。
ひっそりと歩む王の後ろからついていくと青々とした樹の前で立ち止まった。その葉に手を伸ばして王は問うた。
「景麒、慶とはどんな国だろう?」
「東の国です」
王はくつくつと笑った。
「私はあちらでそんな熱心な愛国者ではなかったように思う。それでも常世に流され、帰りたいと願った。故郷とはそういうものなのかもしれない」
王は蓬莱に帰りたいのだろうか・・・景麒は深いため息をついた。しかし。
「それでも生国と呼べるのは慶だ。私は慶の王なのに慶のことを何も知らない。足を踏み入れたのも戦の時だけだ。」
こうして、と王は優しく葉をなでる。
「こうして桜の樹を見つけると思い出すのは蓬莱の桜だ。私は・・・いつか慶を故郷と思う日が来るのだろうか」
ちゃんと愛せるだろうか。
その密やかな呟きを聞いて、いてもたってもいられなくなった。
その日の夕方に留守にする旨を言付け、慶まで駆けた。
唖然とする娘に景麒は言った。
「主上と慶をつなぐものが欲しい」
だから桜を。その樹に異国ではなく慶の民を思えるように。
あまりに完結な説明に蓮花は首をかしげた。でも少しだけ分かった気がする。
「恐れながら先王は嫌いです。私から何もかも奪ったから」
景麒は顔を顰めたが何も言わなかった。
「でも今の王様は好きです。だから手をお貸しします」
こちらへ、と蓮花は奥へ進んでいく。景麒は後について行って目を見張った。
園林の奥は一面が焼けて真黒な木々が積み重なっていたのだ。
「春に空行師が来て焼かれたんです。それより、あれを」
指さす方に目をむけると燃えて腐った木の中ほどから小さな緑の芽が出ていたのだ。あちらこちらにある。
再生の息吹。
淡い希望の光。
「あれは楓です。あれは葡萄です」
蓮花は分け入っていく。あるところまで行って足を止めた。
「ありました。山桜です。細かい種類までは分かりませんが・・・」
手巾を出してそっと根から掘り出して包んだ。
「王にお伝えください。植物も生き物も勿論、民も。皆あなたを寿いでおります、と」
王は必ず応えるだろう。景麒は確信した。