形見の花
つくしさま
2015/05/13(Wed) 12:29 No.553
朱衡は嘗て主であった男と少年の墓の前に立っていた。
王墓廟にしてはかなり質素だ、いや簡素すぎると言うべきだろう。
それでも、あの方が見たなら「こんな無駄な物を造りおって!」とのたまうのだろう。
墓前に持参した桜の一枝を供える。
主が逝ってから、毎年この季節、この桜を供え続けていた。
はるか昔、あの方が突然黄海に出奔したかと思えば、桜の苗のみを手土産に帰城したのはいつのことだったか・・・
玄英宮・執務室の中庭に植えられた桜はすくすくと育ち、毎年少しずつ開花数を増やしていく桜の若木を愛しむ様に、一人酒杯を傾けながら花見をしていたあの方を思い出す。
その木も今は苔むす大木となり、中庭に薄紅の滝を作っている。
「主上、この花をお持ちするのも今年限りとなります。お許しください」
(ほう・・・どうしてだ? 桜が枯れそうなのか?)
「いえ、確かに主上が愛でておやりの頃よりは幾分元気がございませんが・・・」
(では、墓参りに飽きたか?)
「そろそろ仙籍を返上しようと思っております。玄英宮に出入り出来なくなりますので・・・」
(官吏はお前の天職であろう。辞めてどうするのだ?)
「雁を・・・雁の民をこの目で見て歩きたいと思っております。同じ民の目で・・・」
(それは酔狂なことだな! おっと「酔狂」は成笙の字であったな・・・)
「今後も桜がご所望でありましたら、誰かに申し継いでおきますが・・・」
(いや、必要ない。あの桜の親桜はすでに九泉にあり、何時でも眺められるからな)
その時、背後に人の気配がした。
「陽子様が来られたようですね。邪魔者はそろそろ失礼致します」
(そのうちにお前が来るのは勝手だが、九泉でまで小言は聞きたくないぞ!)
「どうでございましょうか・・・ それは貴方様次第なのでは?」
(もうよい、行け! 急いで来るでないぞ!)
朱衡は深々と拝礼し、陽子に向き直ると、雁国への多大なる援助に厚く礼を述べ、
彼女を残して墓所を後にした。
朱衡は玄英宮に戻ると、新王に暇乞いを告げるため、執務室を訪れた。
しかし、部屋の主の姿はなく、中庭に面した扉から桜の花弁が舞い込んでいた。
誘われるように中庭に出た朱衡は、嘗ての主が愛した大木を仰ぎ見る。
満開を過ぎ、散り際の桜・・・
雲海上にしては珍しく少し強めの風に薄紅の花弁が舞い踊る。
「あの方は「風」だった・・・」朱衡は呟いた。
遙か東方にあるという異世界「蓬莱」から吹き込んだ、嘗て常世には無かった風。
気ままで時に突風となり、激しく翻弄されることもあったが、民を包み込む慈愛と優しさを秘め、雁国中を吹き渡った。
「王など頼るな! 民こそが国だ!」と・・・
王亡き後の荒廃をこの程度に留められたのは、あの方の伴侶であった隣国の女王の最大限の援助と、あの方と二人で軌道に乗せた「大使館制度」の賜物も大きかったとは言え、
民の踏ん張りが大きかったと朱衡は思っていた。
雁の民は「自分たちが国を守った」と言う誇りを持って、新たな王を迎えたと言えると。
桜は蓬莱縁の花だ。そしてあの方がこの国に残した形見の花。
満開までは強い風雨に晒されても耐えて散ることはなく、その美しさで魅了した後は萎れた姿は決して見せず、風に舞い、見事潔く散るのだ。
「散り際こそが美しい!」 まさに、あの方のように・・・
一陣の強風が花弁を更に舞い上げた。
花吹雪の中から、あの方と金の髪の少年の笑い声が聞こえたような気がした。
「桜とは本当に美しい花ですね! 尚隆様」