「投稿作品集」 「17桜祭」

初参加です。 浮雲さま

2017/04/02(Sun) 14:01 No.110
 初めて参加させて頂きます浮雲(ふうん)と申します。 初参加でおこがましいですが、拙作を投稿致します。ご覧頂けますと幸いです。

園 林

浮雲さま
2017/04/02(Sun) 14:15 No.111
金波宮内殿の奥、人も疎らな園林の片隅を、陽子は歩いていた。向かうのは忘れ去られた木立。こちらでは梅や桃の下に宴を催す人は多いが、この花を愛でる人は少ない。桜。故国では春の訪れを告げる花。こちらの桜は新芽が萌えるのとともに咲く。あちらでいう山桜というものだろう。山桜の木立の中程、腰かけるのに丁度よい石を見つけると、陽子は少しだけ水禺刀を抜き、刀身を見つめた。水の滴る音がする。見たいと念じるのは、ホウライ。
この木立を見つけたのはこちらに来て幾度目の春だろうか。以来毎年、この季節にここに来て水禺刀を覗き、ホウライを見る。初めてここに来たとき、林に満ちた桜の香りに、僅かに望郷の念が湧いた。本当に故国への執着を断ち切ることができたか、己を試したくて、もう見まいと決めていた故国を水禺刀に映した。
同級生たちは高校を卒業していた。毎年水禺刀を覗く度に、彼女らは人生の駒を進めていった。就職し、伴侶を見つけて結婚し、子を産み。その幼な子は、小学校に入り、中学校に入り、そしてあちらでの陽子と同じ高校生になった。満開の桜の下、母親と並んで。その桜の下に陽子が立つことは、ない。
だが、不思議と感傷に浸ることはなかった。夫に先立たれた陽子の母親が、独り桜の下に佇む姿を見たときは、流石にこちらに連れて来られたことを恨みそうになったが、数年後、空き地になった生家が映し出されたときには、すべてを受け入れることができた。
いつしか、子供たち、同級生の孫たちの成長を素直に喜べるようになった。街で見かけた子供が母親に甘えるのを微笑ましく思うように。たとえ自らの民でなくても、為政者として、民が健やかに過ごす姿を見るのは嬉しい。それほど、こちらで王として過ごして時を経ていた。
「こちらでもあちらでも、時は流れている」
そう呟いて、気づいた。生まれ育った故国が「あちら」になり、流されてきた異郷が「こちら」になってからも、長い年月が過ぎた。
思い返せば、こちらへやってきて、山野を彷徨ったのもこの季節だった。そのとき水禺刀が映したのは、あちらでの貧しい人間関係。死に瀕して見せつけられた己の至らなさ。今では、同じ水禺刀が見せる幻影を、陽子は正視することができる。それは、多くの人の助けを借りて、陽子自身が成長してきた証だ。まだまだ至らないところは多いが、以前のように過去の自分を否定して悔いることはなくなった。過去を過去として受け止め、今に活かすことができる。「ずいぶんとお変わりになった」あの景麒の言葉をいつも己にかけられるよう、日々、励む。陽子は水禺刀を鞘に収めた。
「今年もまたここにいらっしゃいましたか」
そう言って現れた下僕―こちらに自分を連れて来た、そして己の至らなさに気づくきっかけを与えてくれた己の半身―に手招きし、陽子は石の端へと体を移した。促されて、景麒は主の隣に腰を下ろした。陽子は先程見た幻影のことを話して聞かせる。大きくなった同級生の子たち、満開の桜の下で活き活きと働く彼ら彼女らの姿を。
「ホウライはまた豊かになった。ホウライと比ぶべくもなく慶は貧しいが、慶の民にも、ああして幸せになってほしい。こちらの華やかではない、が、一つ一つが輝く桜の花のように。そのためにわたしは、もっともっと慶を豊かにしたい」
そう口をついて出た言葉は、もはや失った故国を懐かしむ少女のものではなく、為政者の、国の母のものだった。ここが私の、私の治める国。
「今年もまた、昨年からご成長なさった」
「戻ろうか」
外殿へと歩む二人の背後で、また一つつぼみが開いた。
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背景画像「篝火幻燈」さま
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