「投稿作品集」 「17桜祭」

昔々 ネムさま

2017/05/05(Fri) 23:26 No.416
 #117凛さんが投稿された「戴を思わせる桜」を見てから、いろいろ捏ね捏ねしている内、 テレビで武陵源(映画アバターのモデル地ですね)の映像を見て、更に捏ね回したら、 何だか分からないものが出来上がりました。
 驍宗と阿選が仲良しだった頃のお話です。

昔 日

ネムさま
2017/05/05(Fri) 23:27 No.417
 霧が流れ出した。
 やはり気付いたのか、周囲に微かな緊張が走る。
 流れが速くなる。
 途切れ途切れにか細い幹が姿を見せ、更にその先の岩壁までが見え隠れする。
 耳をそばだてる。
 風音の向こうに、羽音のような何かが聞こえる。それに混じる、低い息遣い。
 手元の槍を握り直しながら、ふと思う。
 上からならば、ここと、あの岩壁の間に横たわる深い谷に、霧が川か龍のように流れる光景を眺められるのか、と。
 見てみたいものだと、この状況で考えている自分が何やらおかしい。
 剣の柄をひとつ鳴らす。小さな響きが次々と返る。
 そして、霧の白幕が横に引かれた。

 僅か数歩先の崖下では、まだ霧の川が凄まじい速さで流れていた。背後の麾下達と共に身構えた、まさにその刹那、流れが突如頭をもたげ、白い虎と化し、空へ跳び上がった。
 跳躍した白虎は再び降りながら、谷の上空を泳いでいた巨大な蛇に襲い掛かる。長い奇声が谷に谺し、二つに割れた長い胴体は谷底へ吸い込まれていった。
 反転した白虎=スウグとその乗り手は、その姿を追うこともなく、更に上空で様子を伺っていた妖鳥達が一斉に襲ってくる姿に、恐れもなく立ち向かう。 その最中にも、霧の川に潜んでいた空行師が次々と姿を現し、スウグと共に空を飛び交う妖魔達を切り落としていった。
 残り少なくなった妖魔達を他の空行師に任せ、こちらへ降りて来ようとするスウグの乗り手と目が合った瞬間、手元の槍を思い切り投げた。
 乗り手は僅かに身を捩じらせ、背後の妖鳥が槍に貫かれ落ちる様を横目で見ると、にやりと笑った。
「相変わらず好い腕だな、阿選」
「相変わらず、派手な現れ方だな、驍宗」
 思わず阿選が言い返すと、スウグの乗り手=驍宗が思い切り顔を顰める。それを見て阿選は思い出し、声を立てて笑った。
 自身がこれ程鮮やかなのに、この永年の友人は、賑々しいことが大嫌いだったのだ。
「こんな所に隠し鉱山とはな」
 穴から出てきた驍宗は、改めて周囲を見渡した。
 騎獣を数騎並べられる程の広さがある岩棚は、ひねこびた木々に覆われ、一見森の中にいるようだが、背後には岩壁が垂直に伸び、岩棚の先は突如宙へと続き、その下は底の見えない谷となっている。
「妖魔に襲われでもしなければ、気付かなかった」
 既に霧が吹き払われ、姿を現した前方の巨大な柱石群を見回しながら呟く阿選に、驍宗は苦虫をかみつぶしたような顔で言う。
「しかし州師は救援要請の狼煙を無視したのだろう。お前の乗騎が俺の視察先まで助けを求めに来なければ、お前達一隊は行方不明で片付けられていたぞ」
「ここが文州だということを忘れていた。鴻基にも使者を送ったのだろう」
「一応。だが、あの文州候のことだ。州ぐるみの不正など認めまい。小役人に責任を押し付けるのが関の山だ」
 そこへ背後の穴から、坑道に隠れていた採掘人達が、兵士に引き立てられ出てきた。兵士に担がれた子供の手足の細さに、妖魔に囲まれても、食糧全てが尽きるまで助けを求められなかった、彼らへの扱いが見て取れる。
「女子供も混じっているということは、どこかの里の住民全てを攫ってきたのだろうな」
 眉を顰める阿選に、驍宗も頷いた。
「賃金にうるさい土匪を雇うより安上がり、と考えたのだろう。愚かなことだ」
 驍宗の物言いに、ふと阿選は違和感を覚えた。驍宗は、崖沿いの細い道を危なげな足どりで下りて行く採掘人の群れを見ながら続ける。
「民を無尽蔵に採れる石か草と勘違いしているようだ。
里ごと民を連れて来れば、里木に子を願う者がいなくなる。然すれば民が減り、州も国も成り立たなくなる。誠に富を得ようと考えるなら、使う者に与えるものは与え…」
「お前は―」
 阿選は思わず口走る。
「お前が農場主になったならば、さぞかし家畜は肥え太り、増えるだろうな」
 驍宗の言うことは正しい。豊かな国を作り営むというのは、そういうことなのだ。しかし、驍宗を見遣ると、彼は口に手を当てて黙り込んでいる。
― 恥じているのか ―
 これがこの男の不思議なところだと、阿選は思う。誰よりも正しく物事を捉え冷厳と行動するのに、自分に“情”が欠けていることを怖れている節がある。人を超えて見えるこの男が、何故か人の持つ“情”を得ようと足掻いているように感じているのは、阿選と、おそらく彼らの年上の同僚である巌趙くらいだろう。
― お前の、その冷酷なまでの判断と行動こそが、俺の羨むものなのに ―
 気取られぬように小さく息を吐いた阿選は、ふと岩棚の端に伸びた枝を指差した。
「あれは…花か?」
 驍宗も目を眇め、か細い枝先に揺れる花の塊を認めた。
「桜に見えるが…よくこんな所に根を着けたな」
 どれほどの偶然を経て咲いたのか、岩壁と灰色がかった緑の合間で、花は白く浮き上がっている。
「すごいな」
 珍しく感に堪えぬような声で、驍宗が呟く。それに頷きながらも、ふと阿選は思う。
― この花は、本来ここで咲くべきものでは無かったのではないか ―
 谷からの風を受け、揺れ続けながら咲く花は、健気であると同時に憐れにも見える。咲くはずのない所で咲いたこの花を、強いと褒め称えるべきか、不運と同情するか、今の阿選には判断できなかった。

 気を取り直したのか、驍宗は宙に向かって力強く指笛を吹いた。すると上の方から、あのスウグが巨体に似合わぬ軽やかさで降りてきた。スウグを上から下までじっくり見直した阿選は、そっと尋ねる。
「…おい、もしやこのスウグは、文州師将軍の…」
「ああ。ちょうど視察に同行してくれていたので、緊急時だからとお借りしてきた」
 あっさり返す驍宗に、阿選はくぐもった声で更に聞く。
「何と言って?」
「“乗れるものなら乗ってみろ”と向こうが言うから、乗って来ただけだ」
 ついに阿選が噴き出すと、驍宗も笑いながらスウグを撫でる。
「やはりスウグは好いな。俺も乗騎として持ちたいものだ。出来れば自分で馴らしてみたい」
 それから二人はそれぞれ乗騎に乗り、岩棚から飛び立った。岩棚の花はいくつか花弁を散らせたが、それに気付く者はいなかった。
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背景画像「篝火幻燈」さま
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