その花を散らしたのは貴方
饒筆さま
2018/04/09(Mon) 19:57 No.296
突然の嵐が、心待ちにしていた桜花の宴を吹き飛ばした。
ごうごうと吠え、荒ぶ風。ひっきりなしに玻璃窓を叩き、悄然と項垂れる万物を洗い流す大粒の雨。優しい色に溢れていた春の庭が暗鬱なモノクロに支配され、天の乱心に蹂躙される様を痛ましく見守って――陽子は深く嘆息した。
「これはもう駄目だな……」
麗らかな青空はまた戻るだろうが、散った桜は二度と元に戻らない。
せめて午後のひとときをお気に入りの園院を眺めて過ごそうとわざわざ花殿まで出向いて来たのに、為す術もなく絶望を味わう羽目になるとは。
――ああ、残念……(がっくり)
肩と首を同時に落せば、勢い良く下を向いた鼻先が小さな茶杯に突っ込みそうになる。そのまましばらく動かない陽子へ、こぢんまりした円卓の向かいから穏やかな声がかかった。
「そのご無念お察し申し上げます――主上、どうかご尊顔をあげてくださいませ」
声の主は浩瀚――政務においては股肱の臣であり、女王(with未だ初心者マーク)にとってはあらゆる科目の老師(先生)である頼もしい年長者だ。そして、付き合い浅からぬ陽子は知っている。浩瀚がやたら優しい時は必ずその腹に一物あるのだ、と。
案の定、浩瀚は優しげな慰めの言葉を添えつつも、桜花が梳き込まれた料紙の束をそつなく差し出すものだから――陽子は正面に座す彼を薄眼で睨み据えた。
「肝心の花見ができないのに、どうして桜の詩だけ品評しなくちゃならないんだ?」
ところが敵もさるもの。武人すら震える景女王の勘気を、その右腕は淡い笑みを浮かべたまま、柳に風と受け流す。
「主上、どうかご寛恕くださいませ。今年は桜詩会への参加資格を不問にいたしました故、それはそれは盛況でございまして……応募数もさることながら、大いに競い合う中でなかなかの名作が出揃いました。奮って詩を献上した者にとって、主上が御目を通してくださることこそが最高の栄誉でございましょう?せめてこちらに厳選いたしました十傑だけでも、ご感想と評価を賜りたく」
にっこり。完璧な弧を描く口元と、笑みの形は成しているのに笑っていない双眸が、「抵抗は無駄だ」と宣告してくる。
ぐぐっ。陽子は苦い息を呑み込んだ。
「……わかった……」(ぶっすぅ)
どうせ外は嵐。楽しい花見は来年までおあずけ。ぽっかり空いた時間を無為に過ごせるほど暇でもなく、この茶杯を飲み干したらまた執務に戻らなければならないのだから、詩とお菓子を味わいながらしばらくまったり過ごすのがこの状況下では最善の選択かもしれない。
だが、それではこの苛立った気が済まない。
陽子は円卓に肘を付き、再度浩瀚を睨み据えた。そしてその小憎らしい笑顔に一矢報いる。
「じゃあ浩瀚、おまえが読み聞かせてくれ」
二人きりだからこそ切り出せる、子供じみた交換条件だ。浩瀚は相好を崩す。
「承知いたしました」
では、と長い指がおもむろに一編を取り上げ、きりりと締まった唇から深みのある声が流れ出すのを見届けてから、陽子は静かにその翠瞳を伏せた。