「続」 「戻」 「目次」 「玄関」

月 影げつえい (4)

* * *  6  * * *

 尚隆の態度が怪しいとにらんだ六太は、密かに使令に命を下していた。案の定、もう寝る、と言って退出した尚隆は、真っ直ぐ客庁に向かった。
 使令の報告を受け、六太は尚隆の堂室に駆けつけた。さすがに真夜中に女性の堂室に乗りこむのは憚りがあったからだ。なかなか戻ってこない尚隆を苛々しながら待っていた。

 尚隆は後宮を持たなかった。遥か昔、倭にいた頃には、国人の跡継ぎらしく妻妾がいたらしいが、ろくに会ったことも無い、と笑っていた。本人いわく、「家だの恩義だのを背負って悲壮な顔をした女より、若さまと賑やかしてくれる女のほうが楽しい」そうだ。
 それはこちらに来てからも変わらなかった。玄英宮に後宮を置いたり、女官に手をつけたりはしたことがなかった。暇を見つけては関弓に降り、妓楼で遊んだり、街中で女を引っかけたりしていた。
 六太は呆れて溜息をついたが、実害がないので放っておいた。なんといっても尚隆は雁国の王である。王は天命を失わぬ限り好きにしていいのだ。

 しかし、今回は見て見ぬふりはできない。相手は隣国の女王になろうとしている人物なのだ。たわむれに手を出していい浮かれ女とは訳が違う。しかも、成人前の娘なのだ。いったい尚隆は何を考えているのか。六太は理解に苦しんでいた。
 思い起こせば、尚隆は陽子を最初からずいぶん気に入っているようだった。陽子が玉座を拒否したことを、かなり残念がっていた。六太は迂闊にも、隣国の内乱が収まりそうもないことを残念がっているのだと誤解していた。そのわりに、倭に帰るなら延麒に送らせる、などと軽く約束しているのを変だとは感じていた。疑うのが遅すぎた。もう間に合わない、六太は痛む頭を押さえた。

 尚隆が戻ってきたときにはもう夜が明けていた。六太の怒声にも尚隆は全く悪びれなかった。それどころか、天啓が下りた、と臆面もなく笑った。埒が明かない。六太は頭を抱え、尚隆の堂室を後にした。
 六太は客庁に向かった。陽子が心配だった。尚隆は陽子に手を出したことを否定しなかった。天啓発言は、自らの行為を正当化するためだ、と六太はにらんだ。尚隆は脅迫などしていないと言ったが、六太は信用しなかった。陽子は、まだ十六だ、と言っていた。初心な小娘に見えた。海千山千の尚隆にかかっては、いちころだろうと危惧した。泣いていたらどうしようと、六太は本気で思った。

 予想通り、陽子は眠ってはいなかった。窓が開いている。露台に向かうと、陽子は欄干に凭れ、雲海を見つめていた。その細い背は毅然としていた。
 六太はかける言葉を失った。ゆっくり歩み寄る。おそらく気づいているだろうに、陽子は振り返らなかった。六太は黙って一緒に雲海を見つめた。
 やがて六太はぽつりと呟いた。
「ずいぶんすっきりした顔してるのな……」
 悲壮な覚悟をしていると思っていたのに。陽子はそんな六太に笑みを見せた。 
「受け入れる覚悟ができたから」
 その顔は晴れやかで、揺るぎなかった。昨日までの鬱屈した様子が嘘のようだった。どうしてその気になったんだろう、あんなに悩んでいたのに、と六太は不思議に思った。その疑問は口をついて出た。

「それって、うちの尚隆ばかに無体なことされたからか?」

 陽子は目を見開き、六太を見た。その眼はどうしてそう思うの、と問うていた。六太は目を逸らして口籠もる。
「お前、少しだけど、血の臭いがする……」
 陽子の顔が見る間に真っ赤になった。六太は深い溜息をつく。
「ごめんな。莫迦だ莫迦だと言ってけど、ここまで莫迦だとは思ってなかった。あいつ、よりによって天啓だとか言い出して──
尚隆なおたかが? そう言ったの、延麒に?」
「──六太でいいよ。胎果の誼だ」

 陽子は、なおたか、と呼んだ。

 六太は気づいたが、知らぬふりをした。そうか、と納得した。尚隆の言うことも、あながち冗談ではないのかもしれない。ショウリュウ、ではなく、なおたか、と呼べと言ったのは、おそらく本人だろうし、少なくとも陽子にはそう呼んで欲しいのだろう。そういえば、尚隆はいつも小松尚隆なおたか、と名乗っている。発音しづらいせいか、誰もそうは呼ばないが。
 驚くべきことだが、それくらい尚隆は本気なのだ。そして、陽子はそんな尚隆を受け入れた。それならば、六太が口を挟む問題ではない。前例のないことだが、二人で超えていくだろう。
 六太はくすりと笑った。
「ああ、言ったとも。お前があいつの運命だとな。天命に逆らえぬ麒麟の気持ちが分かった、とかぬかしたぞ」
 尚隆の声色を真似た六太に、陽子はくすくす笑った。念のために訊いてみた。
「お前笑ってるけど、あいつに脅迫されたわけじゃないのか?」
「お願いはされたけど、脅迫じゃない。第一、そんなことしたらまずいんじゃないの?」
 陽子はあっさりと言い、爽やかに笑った。こいつ結構分かってるじゃないか、と六太は感心した。そう、他国の王に脅迫されるような人物に天命が下るわけはない。どんなお願いをされたのか気になったが、それを訊くのは遠慮しようと思った。
「それならいい。取りあえず、あの尚隆ばかをよろしく。でたらめな奴だから、かなり迷惑をかけると思うけど」
「それを聞くと不安になるな。何かあったら力になってくれる?」
「任せとけ」
 全然不安そうに見えない口調でそんなことを言う陽子に、六太は悪戯っぽく笑った。こいつはもしかして大物かもしれない。あの訳のわからない尚隆に求められて、受け入れることができるのだから。
「言っておくが、お前、尚隆の特別だってこと、内緒にしておいたほうがいいと思うぞ。なんたって、前例がないからな」
 六太は陽子に忠告することは忘れなかった。不用意に明らかにすることは、いらぬ混乱を起こしかねない。陽子は真顔で頷いた。
「……心しておく。これから、戦を仕掛けなくてはいけないしね。だけど、──特別って何? こちらではそう言うの?」
 陽子は、はにかんだ笑みを見せた。六太は頭を掻いた。
「言葉の綾ってやつだよ、あんまり気にしないでくれ」
 尚隆が玄英宮に女を連れこんだのは初めてだから、とは陽子にはとてもじゃないが言えない。
「尚隆にとって、お前は特別なんだ。でなけりゃ、俺の運命、とは言わねえよ」
 六太は真顔で言った。これは本心だった。陽子は神妙に頷き、呟いた。
「──運命って、どういうことだろう……?」
「さあ? 尚隆に訊いてみな」
「答えてくれると思う?」
 六太は肩を竦めた。やっぱりね、と陽子は溜息をつく。六太は陽子の背中を軽く叩いた。こいつ結構尚隆を把握してるな、と感心したが、口では違うことを言った。
「陽子、そんなんでめげてちゃ、尚隆とつきあっていけないぞ。あいつ、ほんと訳わかんねえ奴だからな」
「……五百年の重みを感じるなぁ」
「おれはあいつの臣だからな。仕方ない。でもお前は、そこまでつきあってやることないぞ」
 六太の蹙めっ面を見て、陽子は声をたてて笑った。六太も一緒に笑った。陽子は大丈夫だ、と安心した。
「さてと。またあとでな」
 六太は陽子に手を振り、出て行こうとした。
「六太くん」
 その背に陽子が声をかけた。振り返った六太に、陽子は頭を下げた。

「──ありがとう」

 六太は破顔した。尚隆が気に入ったのがこの娘でよかった、と思った。
 今回のサイト改装にて改めて読み返し、 うちの六太ってほんとに苦労性だなと思いました。 六太が味方でよかった、と陽子は後々ずっと思うのでございます……。

2007.12.04. 速世未生
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
「続」 「戻」 「目次」 「玄関」