「続」 「戻」 「連作慶賀」 「玄関」

慶 賀

* * *  承 ── 哀切  * * *

「いくらなんでも、蹴り出したのはやりすぎじゃない?」
「そうよ。陽子にとっては伴侶でも、あの方は隣国の王なのよ」

 人払いの済んだ景王陽子の執務室。客人を追い出して戻ってきた主の怒気に、下官は心底驚いていた。狼狽した下官に呼ばれてやってきた祥瓊は呆れ顔だった。同じく呼び出された鈴も隣で頷いた。しかし、陽子は顔を蹙めたままだった。

「いや、まだ気がおさまらない! あのひとは蹴り出されて当然のことをしたんだ」

 烈火の如きその怒り、それはこの女王には珍しいことだった。しかもその怒りの対象が、普段は仲睦まじい伴侶とくれば、首を傾げる他に仕様がない。祥瓊は訝しげに訊ねる。

「いったい延王が何をなさったというの?」
「──言いたくない」

 陽子は頬を朱に染め、口を引き結んだ。その子供っぽい仕草に、祥瓊と鈴は顔を見合わせた。ここまで意地を張ると、陽子はしばらくつむじを曲げたままだ。祥瓊は深い溜息をついた。鈴は肩を竦めると、陽子に新しく熱い茶を注いだ。
「──仕方ないわねぇ、まったく……」
「取りあえず、お茶菓子は置いていくから、少し頭を冷やしなさい」
 鈴と祥瓊は陽子を宥めるようにそう言った。そして二人は仕事の続きに戻っていった。
 独りになった陽子は溜息をつく。周りに誰もいなくなると、怒りは急速に冷めていった。

「──久しぶりに会えたのに。尚隆なおたかの莫迦……」

 己の伴侶は隣国の王。いつも一緒にいられるわけではない。しかも、慶では陽子の側近数人にしかその事実を明かされていない。前国主が宰輔に恋着して国を傾けて以来、慶では女王の恋はご法度だった。胎果である陽子は、それを知らなかった。
 陽子は何も知らぬままこの世界に連れてこられた。わけも分からぬまま、襲いくる妖魔と戦った。長い旅の果てに辿りついた雁で、陽子は尚隆と恋に落ちた。

   王と王の恋など前例がないとは知らずに──。

 陽子が登極した当時、五百年の栄華を誇る隣国雁とは対照的に、慶は荒れた国だった。落ち着かない国を残して国主景王が留守にするわけにはいかない。必然的に延王尚隆が景王陽子を訪うことが多かった。
 金波宮を訪れたとき、伴侶は隣国の王として掌客殿に迎えられる。そして、夜更けにそっと陽子の堂室に忍んでくるのだ。そんな関係がずっと続いている。
 今回も久しぶりに会った伴侶と、甘く楽しい時を過ごしていたはずだった。それなのに、尚隆は突然笑みを浮かべつつ陽子に無理難題をふっかけた。
 尚隆はいつも、陽子を困らせては楽しむ。長い付き合いだから、それはよく分かっている。分かっているけれど。今回、尚隆は陽子の我慢の限界を超えることを言ってのけた。

 ──そんなことができるわけがない。そんなことが許されるわけがない。
 
 尚隆にとっては簡単なことなのかもしれない。しかし、陽子は、自信がなかった。まだ、自信がもてない。

 ──官の目が、民の目が、怖い。

   女王が恋をするなど、国を滅ぼす気か──そう謗られるのが、怖い。

 知らず、涙が零れた。泣くこと自体久しぶりだった。それくらい、陽子にとっては辛いことだった。
 そう、延王尚隆は全て承知だった。王と王の恋など前例がないことも、慶の前国主が景麒に恋着して国を傾けたことも。全てを知って尚、陽子を伴侶に望んだ尚隆。

 私は、あなたみたいに強くない。

 そう呟くと、余計に哀しくなった。あちらにいるとき信じていたように、愛するひとと幸せな結婚をすることなど許されない。慶東国の国主景王と呼ばれるこの身の不自由さを、陽子は誰よりも知っていた。
 そして、愛する伴侶は、隣国の王。王と王が結ばれることなど、前例がない。祝福されることのない罪深き恋なのだった。

 ──公になど、できるわけがない。

 そう呟き、陽子は再び涙を零した。

2006.01.28.
 「11111打記念企画」小品連作「慶賀」第2話をお送りいたします。 如何でしたでしょうか。
 このお話、はっきりと定まってはいませんが、陽子登極40〜50年後くらいを想定しております。
 怒りまくっていた陽子主上、落ち込んでしまいました……。 うまく浮上できるといいのだけれど。

2006.01.29. 速世未生 記

背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
「続」 「戻」 「連作慶賀」 「玄関」