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昏 闇 (4)

* * *  7  * * *

 腕の中で小さく震える華奢な身体。その温もりを感じながら、尚隆は微笑を浮かべた。怖けながらも真っ直ぐに見つめ返す翠の瞳。その輝きは、尚隆が隠す昏い深淵に灯りを点す光だった。そんな娘の双眸を、尚隆は優しく覗きこんだ。

 お前を、怖がらせるつもりはない。お前を、奪うつもりもない。お前とともに在りたい。そして、お前に受け入れてほしい。

 想いを籠めて、その朱唇に口づけた。微かに震えながらも、娘はそれを受け入れた。軽く触れては離す口づけを、何度も繰り返す。輝かしい翠玉の瞳を閉じた娘は、ただの頼りない少女だった。

* * *    * * *

 潤んだ翠の宝玉は、隠されていた暗闇を露にしていた。その深い淵を覗きこみ、尚隆は囁く。
「俺がお前に何をしてきたか、忘れたわけではあるまい。──それを知ったら、お前の半身や側近は、俺をお前から遠ざけるだろうよ」
 尚隆は伴侶に昏い笑みを向ける。尚隆の内に降り積もる暗闇を、伴侶は受けとめ続けてきた。昏い深淵に灯りを点す、運命の女。
 しかし、伴侶は静かに首を振った。そしてまた、淡い笑みを見せる。
「──私の暗闇は……罪深い……。その浅ましさは、あなたをも巻きこんでしまう……」
 微かに呟く伴侶は、尚隆から顔を背けた。国などどうでもいい。尚隆にそう言わせたことを、伴侶は恥じている。

 そうではない。そうではないのだ。いったい、どう言ったら伝わるのだろう──。

「お前は生真面目だな」
 尚隆はやんわりと微笑む。伴侶は己の浅ましさをますます恥じ、身を固くした。その生真面目さが、王を追いこむのだと、尚隆は知っている。
「いいか、己の暗闇を受け入れろ。それもお前なのだ。──呑まれるな。お前がお前であるために。お前が王であるために」
 延王尚隆の言に、景王陽子は黙して頷いた。尚隆は、王の顔を見せる伴侶をじっと見つめ返した。その瞳に現れた暗闇は、未だ伴侶を離さない。

 ──それでも尚、お前はその暗闇を疎むのか。それを我儘だと拒むのか。

 目を背ければ背けただけ、その闇は濃くなるというのに。そして、王の輝きを、呑みこもうとするというのに。
「お前はそれを浅ましいと言うが……俺は、嬉しいぞ。──お前は、いつも俺を受け入れるが、俺を求めたことはなかった」
 伴侶の耳許に、掠れた声で囁く。それは常には口にすることない、男としての本音だった。
「──あなたこそ……私に、何も望まないでしょう……?」
 伴侶は微かに、問いかけとも、呟きともつかぬ声を漏らす。尚隆は伴侶にそれ以上何も言わせなかった。熱く口づけると、その冷えた身体を抱え上げ、臥室に戻った。
 伴侶はいつも、尚隆を受け入れる。当たり前のように抱きしめる尚隆の腕を、拒絶したことがない。しかし、伴侶が自ら尚隆を求めたことはない。淋しい、そう言うことすら稀だった。それでも。
 腕の中の女は、ひたむきな眼をして見つめてくる。ああ、お前はここにいる。そう、お前は俺のもの。どこにも行かせはしない。熱く抱きしめる尚隆に、華奢な身体はしなやかに応えた。
 昏い闇が見せる夢になど、負けはしない。夢も見ずにすむほどに、ずっとずっと抱きしめる。そして──朝が来ても、離したくない。これほど強くそう思ったことはなかった。
「──夜が明けるよ……」
 窓の外を見やる伴侶が、物憂げに声をかけた。いつも、暁の頃、伴侶に別れを告げる。身支度を整え、名残を惜しむ伴侶に口づけを落とし、残月とともに掌客殿に戻るのだ。
 しかし、空が白んできても尚、伴侶の身体を抱き続けた。朝が近づくにつれて、伴侶はまた儚い顔を見せる。朝陽とともに融け去ってしまいそうな伴侶を、置いていく気にはなれなかった。尚隆は大きく息を吸い、伴侶を見つめて言った。

「──掌客殿には戻らぬ」

* * *  8  * * *

 瞳を閉じ、小さく震えながらも、その身を預ける娘を、尚隆はそっと牀に横たえた。優しい口づけを繰り返し、豊かな緋色の髪を梳く。
 髪のひと房に唇をつけた。そのまま、耳朶に、首筋に、肩に、唇を滑らせていく。緊張に身を固くしていた娘の身体から、徐々に力が抜けていった。

* * *    * * *

「──尚隆(なおたか)
 伴侶は苦笑を隠さない。そんな伴侶に、尚隆は揺るぎない笑みを向けた。
「もう、よいではないか。俺を伴侶と明かしても」
尚隆(なおたか)……それはできない」
 伴侶は僅かに眉根を寄せて言った。淡い笑みは影を潜め、女王の勁い瞳が戻ってきた。
「慶は女王の恋を許さない。──あなたも知っていることじゃないか」
「国は落ち着きを取り戻している。──そろそろ、民も女王の恋を認めてくれるだろうよ」
「──尚隆(なおたか)
 伴侶はゆっくりと首を横に振った。そして、怒りを含んだ瞳で尚隆を見つめる。
「簡単に言わないでほしいな。ここはあなたの国ではないのだから」
「──だから、簡単に言える。慶は俺の国ではないのだから」
 笑みを湛えて尚隆は応えを返した。伴侶を怒らせることは承知の上だった。淡い笑みよりも、怒りに紅潮した顔のほうが、よほど陽子らしい。そうだ、戻って来い。生真面目な涙よりも、怒りを露にした瞳のほうが、ずっと美しい。
尚隆(なおたか)!」
 怒りを孕んだ叱責の声とともに飛んできた平手。それを尚隆は軽々と受けとめた。そのまま牀に押し倒し、伴侶の顔を覗きこむ。そして、おもむろに繰り返す。
「掌客殿には、戻らぬ」
「──延王尚隆、我儘も大概にしていただきたい。私の我慢にも限度がある」
 肌も露な姿で男に組み敷かれていながらも、伴侶は女王の矜持を見せた。その威厳に逆らえるものは、そういないだろう。それでこそ、我が伴侶。尚隆は微笑した。
「限度を越えると、どうなるのだ?」
「──私に、そこまで言わせたいか?」
 翠の瞳が怒りに燃えあがる。しかし、伴侶は無駄に抗うことをしない。尚隆は、あえて細い手首を掴んだ手に力を籠める。
「参考までに聞いておこうか」
「──早々にご帰国願おう、延王尚隆」
 怒りに燃える双眸とは裏腹に、景王陽子は冷たく静かに宣告した。延王尚隆はそれを聞いて喉の奥で笑う。女王の愛すべき勁い瞳が戻ってきた。
 視線が絡みあう。どちらも目を逸らさない。やがて、視線を合わせたまま、尚隆は伴侶に問いかけた。
「──俺が掌客殿に戻れば、お前は機嫌を直すのか?」
「あなたが、これ以上、我儘を言わなければ」
 景王陽子は憮然としたまま応えを返す。延王尚隆は苦笑を浮かべ、大仰に溜息をついた。
「──仕方ないな、戻るとするか」
 尚隆の応えに、伴侶は明らかにほっとした顔を見せ、小さく息をついた。欲望をそそる表情だ。相変わらず、詰めが甘い。そういう顔は、安全を確保するまで見せてはいけないのに。伴侶を組み伏せたまま、尚隆は人の悪い笑みを向ける。
「だが、その前に──」
 油断した伴侶の唇を奪う。抗う隙を与えぬまま、容赦なくその肌を愛撫する。伴侶の意に反して、身体は尚隆の手に敏感に反応していた。開かれていく己の身を抑えられず、伴侶は悔しげに涙を滲ませた。
「──卑怯、だよ……!」
「──まだまだ甘いな」
「……!」
 気の強さを取り戻した伴侶に、尚隆は征服欲を刺激された。喘ぐまいと堪える伴侶を攻め立て、尚隆は己を解放した。

 空はかなり白んでいた。尚隆は身支度を整え、ぐったりと横たわる伴侶の頬に口づけた。伴侶は顔を逸らし、口も利かなかった。尚隆は苦笑を浮かべ、消えゆく残月とともに掌客殿に戻った。

2006.08.23.
 中編「昏闇」連載第4回をお送りいたしました。 相変わらず、切迫したままでございます。
 「尚陽対決」、「黄昏」に比べると、陽子主上にも貫禄がありますね。 大人になったな〜と、私が感慨に耽っております。
 最後まで、よろしくお願いいたします。

2006.08.24. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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