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昏 闇 (6)

* * *  11  * * *

 熱を帯びる翠玉の瞳を見下ろしながら、尚隆はゆっくりと身体を動かした。小さく喘ぎ、のけぞった娘の細い喉に軽く口づける。娘は切ない吐息を漏らし、潤んだ瞳で熱く尚隆を見つめた。

* * *    * * *

「随分早いお帰りだな」
 帰国した尚隆に、六太が目を丸くして驚いていた。確かに、そうかもしれない。一度玄英宮を出ると、日頃の鬱憤晴らしとばかりに、長く帰らないことが多いのだから。

「追い出された」
「はあ?」

 軽く笑う尚隆に、六太はますます目を見張る。そんな六太に構わず、尚隆は溜まった仕事を片付けに執務室に向かった。

 積み上げられた書簡を仕分けしながら、尚隆は次の手を考える。後宮を用意すると言った尚隆に、景麒は驚きながらも反対しなかった。陽子の胸に巣食う暗闇の正体を、半身である麒麟は理解しているようだ。
 さて、陽子はどう出るか。尚隆は微笑する。怒れる女王の次の手を待つことにしようか。
「──で、何やってそんなに怒らせたんだ?」
「さあ?」
 帰国後二日ほど経ったとき、六太が蹙めっ面で現れた。六太の問いに、尚隆は軽く肩を竦めた。陽子から鸞が来た、と六太は眉根を寄せる。
「当分出入り禁止だからお前を寄越すなって。あと、くだらん用事で正式訪問しないように見張っとけ、だとよ」
「手回しのよいことだ」
 そうきたか、と内心思い、尚隆は鷹揚に笑った。六太に釘を刺すとは、我が伴侶もなかなか考える。案の定、六太は轟く怒声を上げた。
「お前なー、他人ひと事みたく言ってんじゃねえよ。おれはあんなに怒った陽子は初めてだぞ」
「奇遇だな、俺もだぞ」
「怒らせた本人が何言ってんだよ」
 軽く答えると、六太は深い溜息をついて頭を抱えた。尚隆は大きく破顔する。
「──陽子は困った顔が可愛いのだ」
「──お前、それ、すんごく悪趣味だぞ」
 そう諫めつつも、六太は納得したようだった。尚隆は独り言のように続ける。掌客殿に戻らない、と言っただけだ。そう嘯くと、六太は、それはまずいぞ、と顔を蹙めた。
 そんな六太に構わず、尚隆は呟く。公式訪問の理由でも取り繕うか、と。六太は目を剥いた。
 そう、公式訪問ならよい、と伴侶は断言した。くだらない用事ではなく、正当な理由であれば、臣下の手前、景王たる陽子も拒めまい。尚隆は憤る六太を遮り、耳許で囁いた。
「いいか、六太。──玄英宮に後宮を用意する」
「ええっ? お前、本気か!?」
「無論、本気だとも。だから、陽子に求婚しに参ることにする。どうだ、正当な理由だろう?」
 そう断じ、尚隆はにやりと笑う。六太は感心したように大きく頷いた。それから、眉根を寄せ、ぶつぶつとひとりごちた。
「なるほどなぁ。それは、陽子の側近連中と折衝したほうがいいだろな。でも、景麒が何て言うかなぁ……」
 それを聞いて、尚隆は人の悪い笑みを浮かべた。景麒はもう了解している。冢宰も、もう水面下で動き始めているだろう。女王の王気が怒りで燃え立っているうちに、ことを進めてしまいたいはずだ。
「それは、お前の腕の見せ所だろうよ」
「──何言ってんだよ。おれを頼るな、この莫迦殿が!」
 六太は飛び上がって怒声を上げる。尚隆は全く動じずに、意地の悪い顔をして続けた。麒麟のくせに主の言うことを聞けぬと言うのか、と。脅迫かよ、と六太は恨めしげな顔を向ける。
 細かな手配は六太に任せたほうが、金波宮とのやりとりも円滑に進むだろう。頭で理解していても、景麒には尚隆に対する蟠りがあるはずだ。
 勅命だ、と断ずる尚隆に、六太は抵抗を止めない。しかし、陽子のためだ、と駄目押しする尚隆に、六太もとうとう折れた。
「分かったよ! やればいいんだろ、やれば!」
 六太はやけくそ気味に卓子を叩いた。尚隆は喉の奥で笑い、満足そうに頷いた。

* * *  12  * * *

 触れあう肌の温もりとともに、互いの呼吸が、鼓動が、想いが、ひとつに合わさってゆく。見つめる娘の潤んだ翠玉の瞳に、何もかも吸いこまれ、融けあってゆく。
 不思議な高まりと安らぎに包まれ、尚隆は己を解放した。果てた尚隆を抱きとめる華奢な腕は、まだ熱を帯びていた。

* * *    * * *

 怒れる女王が、再び暗闇に呼び寄せられる前に。延王尚隆は手配を急ぐ。六太は景麒との折衝を首尾よく終わらせ、意気揚々と報告しにやってきた。
金波宮あちらさんと話がついたぜ! 思ったよりも抵抗がなかったぞ。──何かあったのかなぁ?」
「──さあな。あちらの事情が変わったのだろう」
 尚隆は六太に陽子の暗闇を告げる気はなかった。陽子の友でさえ知らぬその闇。それは、恐らく陽子の半身たる景麒も、朧げに垣間見ることしかない昏い深淵なのだ。
「で、話はどう纏まったのだ?」
 話を元に戻すと、六太は得意げに告げた。金波宮の受け入れ態勢は整ったので、早急に正式訪問要請願う、とのことだった。尚隆は薄く笑い、書簡と鸞を準備させた。
 陽子はまだ怒っているという。それでよい。正式訪問を受けさせられ、大袞を着ることになり、伴侶は更に機嫌を損ねることだろう。その怒りを、更に後押しする言葉を送ろう。尚隆は、麗しき伴侶を思い、鸞に一言、語りかけた。

「──絶対、お前を泣かせてやる」

 そして、延王尚隆はくすりと笑う。怒れる女王が戸惑い、躊躇い、そして涙ぐむ姿を目に浮かべて。
 二国間を書簡が行き交い、担当の下官は忙しく走り回る。全ての手配が整った吉日、延王尚隆は慶東国に向けて旅立った。

 豪奢な大袞で正装した麗しき女王は、この上なく不機嫌な顔で延王尚隆を迎えた。久しぶりに見せるその姿の華やかな美しさに、尚隆は満足して頷いた。そして、笑みを浮かべ、おもむろに語りかけた。
「そなたのために後宮を用意した」
「──は?」
「これから玄英宮を訪うときは、そなたの宿舎は後宮だ。景王陽子は延王尚隆の伴侶なのだから」
「──」
 何気なくそう告げる延王尚隆に、景王陽子は目を見張り、絶句した。怒れる女王は、予想通り無防備な顔を曝す。尚隆はその反応に微笑した。
「というわけで、今日から俺は掌客殿には行かぬ」
「はい、延王の仰せのままに」
 尚隆の言葉を受けて冢宰浩瀚が恭しく頭を下げる。陽子は呆気に取られたままだった。
「──話が全く見えない……」
「景王陽子、今回、俺はそなたに求婚しに参ったのだ。なに、慶の方々には快い受諾を貰ったぞ」
「うそ……」
 尚隆は陽気にそう言い、破顔した。陽子は瞠目し、絶句した。困惑した陽子は冢宰に視線を投げる。
「主上は人としての幸せを望んでも構わないのですよ。お望みを仰ってくださいませ」
 冢宰浩瀚は景王陽子に優しい目を向け、そう言い切った。官吏たちは皆、等しく頷き、恭しく頭を下げた。
 景王陽子は躊躇いがちに己の半身に目を向ける。いつも無愛想な景麒が、ふわりと微笑み、頷いた。
 大袞で正装した景王陽子は、両手で顔を覆ってしまった。延王尚隆はゆっくりと己の伴侶に歩み寄った。そして、その細い肩にそっと手を置き、悪戯っぽく笑う。
「絶対、お前を泣かせてやる、俺はそう言ったろう」
「──あなたというひとは……まったく、いつも……」
 景王陽子は少し震える声で尚隆を責めた。その抗議を無視し、尚隆は笑い含みに問うた。
「陽子、お前の返事を、まだ聞いていないのだが?」
「──私の返事を聞く前に、全てを終わらせてしまったくせに」
「──お前は、嫌か?」
 頑なに顔を上げず、答えを避ける陽子に、尚隆は少し心配になって問いかける。陽子は小さくかぶりを振り、微かに呟いた。
「──いいえ」
 尚隆は陽子の手をそっと取り、その顔を覗きこんだ。輝かしい翠の瞳を潤ませ、陽子は尚隆に微笑を返す。そして端然と頭を上げ、晴れやかな笑顔で周りを見渡した。

「──みな、私の願いを叶えてくれて、ありがとう……」

 そう告げると、景王陽子は初めて臣の前で涙を零した。その清らかな涙に、もらい泣きする官が多かった。尚隆は微笑し、公に認められた伴侶を、そっと抱き寄せた。
 延王尚隆の求婚を受け喜涙を流した麗しき女王は、続く慶賀の宴で晴れやかな笑みを見せる。長の年月に渡り、秘密の恋を見守り続けた女王の友、女史と女御もそっと目許を拭っていた。
 女王の半身、景麒は穏やかに微笑み、全てを手配した冢宰も、涼やかな笑みを見せた。尚隆と目が合うと、冢宰浩瀚は慇懃に目礼を返した。尚隆は穏やかに笑い、頷いた。
 そして、尚隆は艶やかなる女王に目を移す。その細い身体が放つ紅の光はいや増して輝き、見る者の目を奪った。もともと鮮烈な美しさを持つ女王が正装すると、その輝かしさに誰もが絶句する。そんな美貌の伴侶を、尚隆も満足げに眺めたのであった。

2006.08.28.
 お待たせいたしました。 「4万打」記念企画、中編「昏闇」連載第6回をお送りいたしました。
 60枚くらいかな、と思いながら書いておりましたが、ここで丁度60枚です……(溜息)。 ──次がラストになるはずです。もう少々お付き合いくださいませ。

2006.08.29. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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