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TRcatさま「5000打記念リクエスト」

対 決 (下)

* * *  2  * * *

「ま、そういうことだな」
 主の問いに答えたのは延麒だった。
「六太」
 あっさりと主の言葉を肯定する延麒に、延王は渋い顔を向ける。が、延麒はそれに頓着することなく続けた。他国に干渉しないのが慣例だなど言い訳にすぎない。戴と雁の間には虚海があるからだ、と。
 主は唖然とした顔で延王と延麒を見比べた。浩瀚は再び息を呑む。延王は眉根を寄せ、何かを言おうとした。しかし、延麒はその前に大きく手を振り、延王を軽く睨めつけた。つまらない言い訳をするな、と。
 延麒の説明を、浩瀚はよく理解できた。浩瀚でもそうするだろうと思われることだった。

 結局、問題は荒民なのだ。他国から荒民が流れてくれば、国情に係わる。だから国境を接している隣国の動向を気にし、手助けもする。しかし、戴との間には虚海がある。海を越えて流入してくる荒民は少ないのだ。

「雁大事というわけだ」
 主は口許を歪め、くっと皮肉に嗤った。その言葉に延麒は心得たように頷く。
「そういうこと」
「──俺は雁の王だぞ」
 主と延麒のやりとりに、延王は声を荒げた。雁の王が雁大事で何が悪い、と。延王のその剣幕にも、延麒は軽く鼻を鳴らすのみ。それどころか、苦笑を浮かべて主に同意を求めた。
「こいつは、御覧のとおりだ。お前だけでも、何とか努力してやってくれないか、陽子。おれにできることは協力する」
 なんとか、ちびを助けてやりたい、と延麒はしみじみ語った。泰麒はこんなに小さかったのだ、と。主はそんな延麒に微笑む。
「できる限りのことはする」

 主らしい応えだと浩瀚は思った。目の前で困っている者を見捨てる主ではない。どんなに難問を抱えていたとしても、主はその時にできる限りの手助けをしようと試みるだろう。
 しかし、延王は眦を吊り上げ、卓を叩いた。そして主に大喝した。
「慶はまだ安寧には程遠い。それを景王自らが、自国をおいて他国のために労を割くというのか? それこそ思い違いだぞ」
 誰もが身を縮めるその迫力にも主は動じない。主は笑みさえ湛え、軽く言った。

「胎果の誼だ、放っておけない」
「胎果の誼で忠告してやる。お前はそんなことをしている場合ではない」
「では、雁なら動いてくれるのか?」

 怒声を上げる延王に、主は間髪を容れずそう問うた。延王は、ぐっと言葉に詰まった。主はにやりと笑みを浮かべ、延王をじっと見つめる。
 浩瀚は、勝負あった、と心の中で呟いた。が、賢明にも面に表すことはなかった。

 延王はその後も己の負けを認めず、無駄な抵抗を試みた。しかし、勝利を確信した主は、尚も追撃の手を緩めなかった。そして、延麒が面白がって主に加勢するものだから堪らない。聞くも可笑しいやりとりがしばし続き、浩瀚は噴き出すのを堪えるのに苦労した。
 延王は主と延麒を見比べると深い溜息をついた。そして、恨みがましい目つきで主に言った。
「恩義のある俺に、脅迫まがいの真似をする気か」
「同じことだろう」
 その子供っぽい所作に、主は失笑した。そして幼子を諭すように語った。雁は北方で唯一安定した豊かな国だ、と。主の言葉に浩瀚も頷く。北方の国々に何かが起これば、誰に止められようと民は雁を頼る。荒民となり、国境を越えて雁に流入する。無力な民には、それしか術がないのだ。

 主は己の両手を見つめていた。そのあまりに華奢で小さな掌。主がそれを常にもどかしく思っていることを、浩瀚は知っている。だからこそ、己にできる最大限の手助けをしたい、と浩瀚は思うのだ。
 目を上げた主は、勁い意志を輝かせた瞳を隣国の主従に向ける。慶にそんな余裕がないことは分かっている。だが、戴をこのまま放置もできない。何故なら戴の民の行く末には、慶の民の行く末もかかっているからだ。主はそう明言した。
 誰もが主を凝視した。浩瀚も驚いた。主はいったい何を考えているのだろう。
 主は気高い笑みを見せて続けた。玉座は永遠ではない。己が斃れた後、慶の民がどうなるのか。それは戴の処遇にかかっているのだ、と。そして主は己の臣である景麒と浩瀚、遠甫を見つめた。
 そんな場合ではないと諌められても戴を救う気は変わらない。それは戴の民だけではなく、慶の民のためでもある。主はそう断じた。主上、と景麒が諌めるような声を上げたが主は首を振った。

 道を失う気はないが、何が起こるか分からない。王がいなくても民が救われるような道を敷いておきたい。

 そう明言した主を、浩瀚は声もなく見つめた。それは誰もが同じだった。
 唖然とした顔で主を見つめる延王と延麒に、主は真摯な目を向ける。戴を救おうとすれば慶の復興が遅れ、民が慶を見捨てて雁に逃れるかもしれない。先だってはとうとう巧も斃れ、慶が戴が巧が雁を頼ろうとする。雁一国で救済に当たろうとすれば荷が重いのは当然のこと。
 ずっと考えていた、と告げる主に、浩瀚は驚きを隠せなかった。胎果でこちらの常識を知らぬ主を補うことばかり考えていた。胎果の主が蓬莱で行われていることをこちらに取り入れようとしていたとは。
 王が斃れた国のための義倉が各国にあればいい、という画期的な発想。そして更に、困った者が駆け込む窓口を作れないか、と主は続ける。浩瀚は鳥肌が立つのを感じた。

 ──この方は、なんと大きな志を持っているのだろう。

 稀代の名君と誉れの高い延王尚隆を相手に、堂々と己の意見を述べる主。浩瀚は誇らしさで胸が一杯になった。覿面の罪が何であろう。そんなものはどうにか超えてみせる、浩瀚は思わずそんな気持ちにさえなった。
「陽子は面白いことを考えるな……」
 延麒が半ば呆れたようにそう言った。主は軽くかぶりを振った。自分が考えたことではなく、あちらにあった仕組みだと。そして主は己の伴侶に真っ直ぐ輝かしい瞳を向けた。清麗な女王は、その真摯な願いを隣国の王に訴える。
「誰もやったことがないのなら、やれないものか試してみたい。諸国に依頼して力を借りることはできませんか」
「俺にそれをやれとぬかす気か」
 延王は主に蹙めっ面を向けた。主の煌めく双眸が延王の瞳を捕らえた。主は苦笑気味に畳みかける。

「私がやっても構いません。もっとも、私のような青二才が言いだしたのでは、どこの王も振り返ってはくれないかもしれませんが」

 主から目を逸らし、延王はむっつりと黙りこんだ。やがて吐き捨てるように不平を言いはじめた。そんな延王を、延麒が呆れたように見つめ、決めつけた。お前が疫病神だからだ、と。延王はますます顔を蹙めた。
 息を詰めて見守っていた浩瀚は、ふと身体の力を抜いた。そろそろ、勝負がつく頃合だ。延麒は全面的に主の味方をしている。そして、延王はとっくに心を決めたように見える。しかし、素直にそれを認める方ではない。
 顔を蹙めたまま、延王は深い溜息をつく。そして憤懣やるかたないといった様子で言った。

「……泰麒を捜す。俺が采配すればいいのだろう」
「ありがとうございます」
 主は晴れやかな笑みを見せた。そして偉大なる隣国の王に向かって、優雅に一礼した。
「この借りはのちのち、必ず返させていただきます」
「いつの話だ」
「それは、もちろん」
 延王は苦虫を潰したような顔を見せ、主に問う。主は己の伴侶に、茶目っ気たっぷりの笑みを送った。
「延王が斃れたときに。雁が騒乱に巻きこまれるときまでには、慶を立て直しておくと約束します。安心して頼ってください」
「そりゃあいいや」
 延麒が大笑いした。景麒は、主上、と諌める声を上げた。浩瀚と遠甫は顔を見合わせ、苦笑いした。そして、延王は嫌そうな顔をして横を向いた。延麒がその背中を叩いた。
「一本取られたな、尚隆。さあ、諦めて働け」
 延麒はそう言ってにやりと笑う。延王は深い溜息で応えるのみだった。
 その後、冢宰浩瀚は細々とした手配をするために、景王陽子とともにその場を辞す必要があった。景麒は延麒と話し合うために、遠甫は延王を労うために残った。腕を組み、むっつりと押し黙る延王と、明るく手を振る延麒に恭しく拱手し、浩瀚は主とともに堂室を退出した。

* * *  終 章  * * *

 扉を閉めてから、浩瀚は主に拱手した。
「お見事でございました、主上。首尾よく延王のご助力を得ることができましたね」
「首尾よく──というより、ほとんど脅迫だよなぁ」
 主は肩を竦め、くすりと笑った。浩瀚は微笑する。主が尊敬する隣国の王の助力を、脅迫でもぎとるとは思わなかった。
「どんな手をお使いになったのですか」
「──それは、内緒、だよ、浩瀚。ふふ、お陰で延麒の協力を得たわけだけどね」
 頑張った甲斐があった、と小声で呟き、主はにやりと笑う。悪戯っぽいその笑みには少し翳があった。

 浩瀚は小さく溜息をついた。──やはり、主と延王の間に何かがあったのだ。延麒が主に味方するような出来事が。あの緊迫感は並みではない。それはあの場にいた誰もが認めるところだろう。
 しかし、二人の王は、互いに一国の王として、対等に議論を交わしたのだ。主は延王を伴侶として見ることはなかった。そして延王も主を甘やかすことはしない。隣国の王として当然のことを諭していた。その上で、主は延王を言い負かしたのだ。
 浩瀚は軽く首を振る。二人の間に何があったのか、浩瀚は深く考えることを止めた。それは主と主の伴侶であるかの方の問題なのだから。

 そして浩瀚は、先に立って歩く主の細い背中を、眩しげに見つめる。主はその勁い意志をもって、稀代の名君と称えられる隣国の王を動かした。己が主と決めた女王は、どんどん王らしく成長していく。
 王朝の黎明を乗り切り、慶に輝かしい朝日が昇るところをこの目で見たい──。浩瀚のそんな願いは、紅の鮮烈な光を纏う麗しき女王によって叶えられつつある。今度は己がこの女王のひたむきな願いを叶える力になりたい。浩瀚は己の主の背中にそう誓ったのだった。

2005.12.20.
 お待たせいたしました。 TRcatトラネコさまによる 「5000打記念リクエスト」でございます。
 お題は「黄昏の岸 暁の天」より、 「陽子が尚隆に『借りは必ず返す』と言った幕間で、延麒か浩瀚の視点」でした。
 すっかり読まれているな〜というような、私好みのお題をありがとうございました! 楽しんで書かせていただきました。 必然的に本編の長編では浩瀚でない視点で書くことになります。 これまた楽しみであります……! 
 如何だったでしょうか? お気に召していただければ幸いです。

 長編「黄昏」 第9回の浩瀚視点でございます。 よろしければ本編もお楽しみくださいませ。(2006.09.15.追記)

2005.12.27. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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