黄 昏 (2)
* * * 3 * * *
延王尚隆と延麒六太は、予告したとおり正午きっかりに金波宮の禁門に到着した。門前で景王陽子が苦笑気味に迎え出た。
陽子について歩きながら、尚隆は詳しい説明を求めた。陽子は戴の州師将軍、李斎が駆け込んできた経緯を語った。
李斎は満身創痍で金波宮禁門に現れた。その無残な姿に、閽人は問答無用で李斎を追い出そうとした。そんな、閽人を出し抜いて禁門の中に入り込んだ彼女は、大僕虎嘯に助けられた。そして、景王陽子に戴を救ってほしいと嘆願して倒れたのである。
生死の境を彷徨った彼女は、結局右腕を失ってしまい、正寝で養生している。そろそろもっと世話の行き届く場所に移す予定だ、と陽子は締めくくった。
尚隆も六太も、その将軍から現在の戴の話を聞きたかった。もう一度洗いざらい戴の話を調べたが、分かることは数少なかったのだ。
陽子に導かれ、内殿についた。そこには冢宰浩瀚と宰輔景麒、太師遠甫が待ち受けていた。彼らとともに書房の一角、積翠台に落ち着いた。
「李斎の話によれば、泰王も泰麒も行方不明だ、ということらしいんですが」
「のようだな」
尚隆は短く応えを返し、腰を下ろした。そして再度調べた結果を語る。蓬山に泰果はない。故に泰麒は死んでいない。鳳が鳴いていない以上、泰王が死んだとも考えられない。荒民からの情報も諸説あるが、謀反があった、というのが一番可能性が高いようだ、と。
陽子は頷く。李斎の説明とも一致する、と。泰王は内乱を制圧するために出かけ、消息を絶ったきりで詳細不明だそうだ。
尚隆は眉根を寄せる。出征先で何かがあったのかもしれない。死んではいないが無事でもない。捕らわれているのか、或いは潜伏しているのか。いずれにしても、戴は逆賊が牛耳っており、泰王は玉座を取り戻したくとも、それができない状態にある。そういうことなのだろう。泰麒はどうしたのか。
やはり詳細は不明だが行方が知れない、と陽子は応えを返す。王宮で鳴蝕が起こり、白圭宮は甚大な被害を受けたらしい、と。
「……鳴蝕があった?」
黙して聞いていた六太が不審そうな声を上げた。その顔はいつになく深刻だった。陽子は頷く。それ以降、泰麒は行方不明だと。
嫌な感じだ、と六太は言った。麒麟はよほどのことがなければ鳴蝕を起こすことなどない。鳴蝕があって姿を消したのではなく、異変があって鳴蝕を起こしたのではないか。六太は難しい顔で続ける。六太の言葉に、景麒も黙して頷いた。
では泰麒はあちらにいるのか、と陽子が問うた。断定はできないが、と六太は答える。ただ、異変から逃げるためにあちらに行ったのならば、すぐに戻ってくるはずだ。六年も戻ってこないところを見ると、まだ何かがある。六太はそう続けた。
陽子は驚き、そして尚隆を見た。それは当然の反応だろう。
「こういう場合は延王、どうなるのです?」
「──どうなる、とは」
「ですから──」
陽子は尚隆を真っ直ぐに見つめ、問いかける。もし泰王が亡くなっていれば泰麒が次の王を選定する。もし泰王が生きていても泰麒が亡くなっていれば彼も後を追うことになる。その場合には蓬山に泰果が生って新しい戴の麒麟が生まれ、王を選定する。
尚隆はその問いに頷く。陽子は続ける。泰麒は死んでいないから次の麒麟は生まれない。泰王も死んだとは思えない。故に泰麒は新しい王を選定する必要がない。
そう言って尚隆を見つめる陽子に応えを返す。それで全てだ、と。
「泰王も泰麒も存命なのだから、理屈の上では戴に政変はない」
「けれども大量の荒民が流れてくるくらいです。戴は今、酷い状態なのでは」
陽子はそう言い募る。その推測が杞憂ではないことを尚隆は知っている。そうだな、と肯定し、少なくともその沿岸に妖魔が出没しているのは確かだ、と続けた。かつては多かった荒民も、このところ、ほとんどない。
是正する方法はないか、と陽子は更に問うてくる。正当な王がいる以上、偽王とは言わない、と尚隆は前置きする。偽王を討つには戴の民が起つ、というのが唯一の方法になる、と答えるにとどめた。
それができれば李斎は慶を頼ってこなかったのでは、と陽子は反論する。その、予想通りの反応。陽子は、まだ若い。尚隆は内心溜息をつく思いだった。かもしれぬ、と肯定しながら尚隆は陽子の次の言葉を待った。
陽子は続ける。延王に来てもらっても、有効な情報はほとんどない。燕朝で蝕が起き、甚大な被害が出たことすら伝わっていない。それは事情に明るい重臣や中央にいた民が脱出できていない証では。それだけ戴の状況は酷い、と。
尚隆も六太も黙してその言を聞いた。そして陽子は尚隆が予期した通りの言葉を吐いた。
「李斎も、戴の民には自分たちを救う手段がない、と言っていました。とにかく、せめて人を遣って泰王と泰麒の捜索だけでも──」
「それだ」
尚隆は陽子にみなまで言わせず声を上げた。陽子は面食らった顔をした。尚隆はおもむろに語る。
「戴について分かったことなど、あの程度だ。それならばわざわざ伝えに来るまでもない。俺はそれを止めにきた」
「それ?」
陽子は怪訝な顔をする。──やはり、分かっていない。尚隆は大きく息を吸った。
「いいか、何があっても、王師を戴に向かわせてはならぬ」
尚隆は陽子をじっと見つめ、ゆっくりと噛んで含めるようにそう告げた。陽子は驚き、翠の眼を瞬かせるばかりだった。
* * * 4 * * *
「……どうしてです?」
「どうしてもだ。そういうことになっている」
「私は延王の助勢を受けて慶に戻ったのだと思いましたが?」
「それは違う」
景王陽子は簡単に人の言うことを鵜呑みにする女ではない。それを分かっているからこそ、延王尚隆は語気を強くした。
「お前が、俺に助勢を求めてきたのだ。国を追われた景王が雁に保護を求めてきた。俺は王師を貸したにすぎん」
「……それは詭弁に聞こえます」
「詭弁でも何でもいい。それが天の理なのだ。そもそも軍兵を率いて他国に入るのは覿面の罪と言う。王も麒麟も数日のうちに斃れる大罪ということになっている」
やはり直接訪れて正解だ、と思いながら尚隆は説明する。延王尚隆が語っても尚、懐疑的に首を傾げる女王に、文を返すだけなど無謀だ。
そして、天の理について、臣の前で懇々と説明するわけにはいかない。それに、尚隆と六太がこの五百年で学んだ天の摂理を、一言で説明するのは無理がある。
困惑して周囲を見る陽子に、太師遠甫が遵帝の故事を語って聞かせた。昔、才国に遵帝という王がいた。隣国の氾王が道を失ったため、範の民を憐れんで王師を出した。王師が国境を越えて数日の後に麒麟が斃れ、遵帝も身罷った。
「しかし、それは……」
陽子は納得しない。ますます首を傾げ、言い募る。尚隆は首を振り、その言を遮った。
「天のすることに是非を言っても致し方ない。たとえ侵略でなく、討伐でなく、民の保護のためであろうと、軍兵を他国に向かわせてはならない、ということなのだ。心情的には非がなくとも、天の摂理から言えば大罪。──しかも、遵帝の後、才の国氏は斎から采へと変わった」
そう断じて尚隆は一同を見渡す。陽子を説得しなければならない。他の連中はどう見ているのだろう。景麒は驚いた顔をしていた。遠甫は遵帝の故事も熟知しているようだ。浩瀚は、黙して聞いている。その表情からは内心を窺うことができない。──食えぬ男だ。
「遵帝が登遐なされて、通例通り、御璽から斎王御璽の印影が消えた。次の王が登極したところ、御璽の印影は采王御璽に変わっていた、ということだ。御璽を変えたのは天の御業、つまりはそれだけの大罪だったというわけだ。国氏が変わるなどということは、滅多にあることではない。その滅多にないことが起こるほどの罪だった」
「では、見捨てろと」
尚隆の説明に、陽子は気色ばんだ。落ち着け、と尚隆は手を挙げる。
「そうは言っていない。ただし、困っている者がいるのだから助けてやれば良い──というような、簡単なことでないのは確かだ。ことは慶の国運に係わる。くれぐれも早まるな」
「見捨てろと言っているのも同然です」
陽子は激しく言い募った。あれほど酷い状態で駆け込んできた李斎を、保身のために捨て置くことなどできない、と。
「勘違いするな。お前は慶の国主であって、戴の国主ではない」
「しかし」
強い口調で断じる尚隆に、陽子は尚も食い下がろうとする。尚隆は片手を挙げてその言を遮る。
「荒民の中には、こう言う者もいる。泰王は弑された、泰麒もまた弑された。そして、それを行ったのは、瑞州師の劉将軍だ、と」
「……まさか」
陽子は目を見張る。そして一瞬黙し、小さく呟いた。尚隆は軽く息を継いだ。
「泰王も泰麒も死んだとは思えぬ以上、単なる噂の域は出ない。だが、荒民が逆賊の名として挙げたのは、劉将軍が最も多かったことは覚えておく必要がある」
冷静にそう語る尚隆を、陽子は激しい目で睨めつけた。黙して怒りの炎を噴き上げるその双眸を、尚隆は真っ直ぐに受けとめた。
「劉将軍の話を聞きたい。──確認のために」
「──分かりました」
景王陽子は抑えた口調でそう答え、延王尚隆から目を逸らした。二人の王の緊迫したやりとりに、口を挟むものはなかった。
2006.07.18.
お待たせいたしました、長編「黄昏」第2回をお届けいたしました。
早速始まる「尚陽対決」でございます。如何でしたでしょうか?
とりあえず、しばらくは皆さまにご心配かけることはないと思います。
ただ、いつまでこの余裕が続くでしょうか? 乞うご期待!
2006.07.21. 速世未生 記