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黄 昏 (7)

* * *  13  * * *

 ──頼む、折れてくれ。もう、止められぬ。自分では止められぬのだ。──俺は、お前を、虐げてしまう。お前を、傷つけてしまう……。

 牀に陽子を組み伏せた尚隆は、胸の中でそう呟いた。涙を滲ませながらも、必死で尚隆に食らいつこうとする勁い瞳。そう、陽子が引かぬことは、分かりきっていた。それでも。

 ──お前を、喪いたくないのだ。

 この切迫した想いを、尚隆はなんとか陽子に伝えたかった。
 王には、してはならぬことがある。覿面の罪がそのひとつ。破ればたちどころに命を失う大罪だ。尚隆は、天の存在を疑問視しながらもその摂理を熟知していた。故に、なんとしても陽子を説得したかった。しかし。
 太師邸を飛び出した陽子は、日が暮れても戻ってこなかった。誰もが陽子を捜していた。唯一、陽子の居場所を知ることができる景麒は、何も語らずに仕事に戻った。それが陽子の意思なのだ、と尚隆には察しがついた。

 陽子は尚隆を避けている。

 そんなことは分かっていた。だからこそ、冷静に説得するつもりで、待ち受けていたのだ。それなのに、反抗的な陽子の態度に、怒気を抑えることができなかった。
 陽子は組み伏せられて尚、引く気を見せない。瞳を潤ませながらも、その視線は勁いままだった。愛しみ、守り、育ててきた鵬雛たる伴侶は、無邪気に己の命を危険に曝す。その成長に驚きながらも、尚隆はこれ以上陽子の無茶を許す気はなかった。

「ああ言えばこう言う……。全く、口の減らない奴だ。──お前には仕置きが必要だな」
「──お叱りは覚悟の上です」

 陽子は静かに応えを返す。輝く翠玉の双眸を燃え上がらせて。その炎は、尚隆の怒りに火をつけた。

 俺は、お前を、喪いたくない──。

 華奢な手首を掴む手に力が籠もる。痛みに顔を歪ませながらも、目を逸らさない伴侶。昏い欲望が、尚隆の身の内から沸々と湧きあがる。

 この清廉な女王を、己で踏みしだき、蹂躙してしまいたい。己の欲望のままに抱きしめ、口づけ、印を刻みたい。

 そんな昏い想いを、ずっと心の深奥に隠してきた。女としては稚い、まだ十代の娘。この腕の中で微かに震える華奢な身体を、愛しんできた。大切に守り育んできた。それなのに。

「殊勝な物言いだな。──泣いても許さぬぞ」

 尚隆はそう言って、押さえつけていた陽子の腕を離した。そのまま袍の襟元に両手を伸ばし、陽子の服をゆっくりと開いていった。
 陽子は息を詰め、身を固くしていた。月光の下に、滑らかな肌が曝されていく。その様を、尚隆は薄く笑みを浮かべ、じっと眺めていた。やがて、陽子は大きく身を震わせ、露にされた胸を隠した。その動きが、二人の間の危うい緊張を破った。
 獲物を定めた猛獣のように、尚隆は陽子に襲いかかった。

 嫌、止めて、怖い──。

 見開かれた潤んだ瞳が叫んでいる。しかし陽子は唇を噛みしめ、その言葉を発することを必死に堪えた。その姿は、尚隆を更に加虐に駆り立てた。

 嫌だと言え。止めてと乞え。怖いと叫べ。その勁い瞳を閉じ、女王の誇りを投げ捨てて、懇願せよ。

 嫌だなど、口にするはずもない。力に屈するわけがない。女王の誇りを手放す女ではない。

 せめぎあうふたつの想いが、尚隆の胸で渦巻いていた。

 ──これほどまでに己に歯向かう女など、踏みしだいて滅茶苦茶にしてしまいたい。
 ──これほどまでに己に阿らない女だからこそ、ここまで心惹かれるのに。

 仕置きを覚悟する伴侶に、尚隆は胸に秘めていた想いを全てぶつけていた。何も知らぬ伴侶にとっては、それは陵辱以外の何ものでもないだろう。烈しく伴侶を抱きしめ、尚隆はその柔肌に己の印を刻みつけた。

「──よく耐えたな」

 烈しい昂ぶりが去った後、尚隆は穏やかに言った。力なく横たわる陽子は、応えを返さなかった。
 いつも果てた尚隆を優しく抱きとめる華奢な手は、己の顔を覆っていた。尚隆はその手を取り、陽子の顔を覗きこんだ。陽子には、尚隆の手を払う力さえ、残されていないようだった。
 閉じた瞳から涙が零れ、唇は震えていた。尚隆はその朱唇にそっと口づけた。唇を離したとき、陽子は微かに呟いた。

「──怖かった……」
「怖くなければ仕置きにならぬだろう」
 
 そう囁くと、尚隆は、もう一度唇を重ね、身支度を整えた。臥室を出て行くその背に、陽子は毅然と声をかけた。

「──延王尚隆、忘れないでほしい」

 陽子は尚隆を号で呼んだ。その断固とした呼びかけに、尚隆は振り向いた。王の顔を見せる陽子の濡れた双眸が、静かに燃えていた。

「甘んじて仕置きは受けたが、私が受け入れなければ、これはただの暴力だ」

 抑えた口調に秘められた、烈しい想い。尚隆は一瞬真顔になった。

「──もとより承知だ。お前もよく覚えておけ。これが俺の本気だ」

 苦笑を浮かべて言い放つと、延王尚隆は踵を返す。背に女王の勁い視線を感じつつ、尚隆は堂室を出て行った。

* * *  14  * * *

 苦い想いを抱きつつ、延王尚隆は寝静まる回廊を歩く。涙を湛えた勁い翠の瞳に、まだ見つめられているような気がした。

 己を頼る者を助けたいと願う、純粋な女王──。その真っ直ぐな瞳に、邪な者は耐えられないだろう。戴国将軍李斎の複雑な胸中を思い、尚隆は溜息をつく。
 李斎は、豊かな雁ではなく、あえてまだ落ち着かぬ慶を訪ねた。その理由はただひとつ。景王陽子が、戴国宰輔泰麒と同様、年若き胎果だからだ。最初に話を聞いたときから、尚隆はそう思っていた。
 陽子に説明されるまでもない。李斎が語る戴の状況は、悲惨を極めている。それは、今はもう少なくなった戴からの荒民の数からして分かる。しかし、常世には他国への干渉を許さぬ条理がある。

 覿面の罪──国主の要請なき援助は、してはいけないのだ。

 延王はそれを熟知している。しかし、玉座に就いたばかりの景王は知らないかもしれない。追いつめられた李斎がそう考えても不思議はない。
 戴を救うために、慶を滅ぼしても構わない。李斎がそこまで考えたかどうかは定かではない。しかし、泰麒と年の近い胎果の女王なら、救いの手を差しのべてくれるかもしれない。そう思えばこそ、李斎は命を懸けて虚海を越えたのだろう。
 そして、年若き女王の真摯な対応に、李斎は己の行動を恥じたに違いない。尚隆の目から見ても、李斎は邪な思いを抱き続けられる人物ではなかった。
 兵を動かしてはいけない、慶を沈めてはいけない。李斎は陽子にそう告げたという。それはきっと、そういうことなのだろう。だからこそ、陽子は李斎を──戴を救いたいのだ。

(──理を知る者だからこそ、力になりたいのです)

 静かな口調に烈しい想いを秘めてそう言った女王。その強い意志を曲げることなど、所詮できはしない。尚隆は自嘲の笑みを浮かべる。

 掌客殿に帰りつくと、六太が尚隆を待ち受けていた。腕を組み、仁王立ちした六太は、怒りに満ちた声を上げる。
「尚隆──。お前、いい加減にしろよ。陽子に無理を強いるな、と言ったろ」
「何のことだ」
 尚隆は真顔でそらとぼける。そんな尚隆を、六太は眉根を寄せて睨めつけ、諫言した。
「お前が向きになるほど、陽子は逆らうんだぞ」
「分かっている。だが、それでも言わねば伝わらぬ」
 軽く笑いつつ尚隆は応えを返す。六太は顔を蹙め、おもむろに問うた。
「お前のことだ、どうせ口で言わずに手を出したろう。──まさかとは思うが、叩きのめしたわけじゃねえだろうな?」
「加減はしたぞ」
 六太の言葉を否定するつもりはなかった。飄々と答える尚隆に、六太は額を押さえて嘆息した。
「──お前って奴は……」
「どこへ行く?」
「──決まってんだろ!」
 そのまま踵を返そうとする六太を、尚隆は引き止めた。六太は怒声を上げて尚隆を睨めつける。
「今行っても無駄だぞ」
「なんでだよ」
 足を止め、六太は訝しげに問う。尚隆は人の悪い笑みを向けた。
「恐らく、起き上がれんだろう。もう少し休ませてやれ」
「──尚隆!」
 六太は目を見張り、再び怒声を上げた。尚隆はそれに構わずに続けた。
「だがな、陽子あれは威勢のいい啖呵を切ってくれたぞ」
 尚隆は楽しげに破顔した。
「貴様の指図は受けん、とな」
「笑いごとかよ……」
 聞いて六太はがっくりと肩を落とす。尚隆は笑みを湛え、のんびりと告げた。
「何をしでかすか分からんが、陽子あれの思うとおりにさせるしかあるまい。条理に触れぬ程度にな。お前も覚悟を決めておけ」
「──おれは最初からそう言ってるだろ!」
「会議が楽しみだな」
 渋い顔で言い立てる六太に、尚隆は太い笑みを見せた。六太は肩を竦め、大きく嘆息した。

2006.08.25.
 お待たせいたしました、長編「黄昏」連載第7回をお届けできました!  ──やきもきさせてしまってごめんなさい。 (少しはやきもき解消されるとよいのですが……)

2006.08.25. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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