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真 意 (5)

* * *  5  * * *

 舞い踊る紅の輝きに、ひと目で魅せられた。臆せず見つめ返す勁い瞳に、図らずも心奪われた。今もその想いは変わらない。いや、伸びやかに花ほころぶその美しさに、より強く惹きつけられている。

 愛しい女は、隣国の王。

 慶東国国主景王陽子は、延王尚隆の五百年に渡る暗闇に灯りを点した。小さくとも輝かしい、紅と翠の灯りを。
 その真っ直ぐな翠の眼差しを受け止められる者は、どれほどいよう。その輝きに呑まれずにいられる者など、いるのだろうか。並みの者ならば、女王の輝かしく勁い瞳に耐え切れず、膝を折ってしまうだろう。しかし。
 かつて、丸腰の女王を弑逆せしめようとした者がいた。微行中の女王の目を、それと知って見つめ返した者もいた。今このとき、心乱した女王が、何か事件に巻きこまれていたとしたら──。
 景王陽子が姿を消してから、時が移ろっていた。手がかりは、未だ掴めぬまま。
 待つ時間というものは、悪い想像ばかりを掻き立てる。陽子は、いったいどこへ行ってしまったのか。涙を湛えた翠の瞳が胸を過った。
 王は泣いてはならぬ、と教えた。泣くならここで泣け、と。武断の女王が陽子に戻って涙を見せるのは、尚隆の胸でだけ。それなのに。

(お前が泣かせたりしたら、行くところがなくなるだろ!)

 瞳を潤ませて走り去る伴侶の背を守るように、六太の罵声が響き渡る。返す言葉はなかった。あれから六太は何も語らない。物問いたげな目で見つめるだけ。尚隆はただ自嘲の笑みを浮かべることしかできなかった。
 無為に思えるこの時間を、いつまで過ごせばよいのだろう。尚隆は次第に増大していく焦燥にじっと耐えていた。

「──延王」
 考えに沈む延王尚隆の足許からくぐもった声がした。尚隆ははっと我に返り、六太を見つめた。六太は首を振り、黙して尚隆の足許を指差す。
 延王、と尚隆の号を呼ぶからには、六太の使令ではないということだ。とすると、それは景王陽子に憑いている使令。
 女王の傍を離れぬはずの姿を見せぬ護衛が、単独で現れた。それだけで、陽子に何事かが起きたと分かる。尚隆は足許に鋭く問うた。
「班渠か。陽子は」
「風来坊の太子とご一緒です」
「──利広、か」
 班渠の短い応えを聞いて、尚隆は内心の動揺を隠す。奏南国第二太子、卓郎君利広。年経りているだけに性悪な、武断の女王をも手玉に取ることができる男。その一見爽やかにさえ見える笑みが胸に浮かんだ。
 そして、太子がかつて若き女王に何をしたかまでをも鮮明に思い出す。しかもそのとき、堯天で、利広は尚隆を避けて姿を晦ましたのだ。尚隆は我知らず立ち上がった。
「──お急ぎください」
 班渠は想像を裏切らない一言で尚隆を促した。そう、班渠はあのときも女王の傍にいたはずだ。ならば、これから何が起こるか予想できているだろう。今は一刻を争う。尚隆は即座に六太に手短な指示を出した。
「六太、お前はここを引き払い、玄英宮に戻って待機しろ」
「分かった」
 六太は即答する。緊迫した空気を感じ取ったか、それとも事情を察したのか。六太が尚隆の有無を言わさぬ命を拒むことはなかった。
 ひとつ大きく頷き、尚隆は足早に妓楼を出る。そして、遁甲する班渠の先導で伴侶の許へと急いだ。

「班渠、いったい何があったのだ?」
 景王陽子はもう既に賓満を憑ける必要がないほど剣の腕を上げている。故に冗祐が憑くことはなくなった。しかし、剣だけでは済まぬこともある。景麒は今でもお忍び好きの主の傍には常に班渠を憑けていた。そして、隠形する班渠は、命を受けなければ女王の傍を離れるはずがないのである。
 班渠は陽子が妓楼を飛び出してからのことを尚隆に語った。当て所もなく歩いた末に、風来坊の太子に呼び止められたことを。
 女王は太子との再会を、驚き、喜んだ。そして、太子と懐かしげに語り合ったという。その後、太子は女王を屋台に誘い、二人は他愛のない会話と食事を楽しんでいた。
 そろそろ送っていくと申し出た太子に、女王はまだ帰りたくないと言った。それを了承した太子が、居場所を報せたほうがよいと女王に助言した。そして、女王はそれに従い、渋る班渠に重ねて命を下し、使いに出したということだった。

 なんと狡猾な誘導を──。

 班渠の説明を聞き終えて、尚隆は思わず眉根を寄せる。そして、確かめておかなければならないことを訊ねた。
「帰りたくない、と陽子が言ったのか?」
「御意。但し、君はどうしたいの、と問われてのお答えにございます」
 班渠の簡潔な応えに尚隆は顔を蹙める。明らかな誘導尋問だ。尤もらしい言葉で女王を納得させ、唯一の護衛を引き離すとは。尚隆は班渠に念押しした。
「──では、陽子は今、利広とふたりきりなのだな?」
「御意」
 班渠の応えは短い。しかし、低い声には危惧が滲み出ている。それは、班渠が太子の思惑を理解しているからに相違ない。
 班渠を追い払った利広が、素直に陽子を帰すわけがない。そして、恐らく陽子は未だ利広の意図に気づいてはいない。しかし──。
 利広の真意を知ったとして、陽子に何ができるだろう。護身用の水禺刀を陽子が利広に向けることは、恐らくない。そして、剣を使わぬ戦いに、陽子が勝てるとは思えない。
 朗らかな笑顔と爽やかな弁舌を武器とする強かな太子。百戦錬磨の太子が純粋な女王を籠絡する様が、尚隆の目の前に浮かんで消えた。

 急がなければ。

 尚隆は黙して足を速めた。

2008.09.30.
 大変お待たせいたしました。「3周年記念」中編「真意」第5回をお送りいたしました。 短期集中といいながら、前回アップから半月以上も経ってしまい、申し訳もございません。
 口を閉ざしたがるかの方の語りを書きとめる作業はなかなか難儀でございました。 次回はもう少し早めに出せるとは思いますが、気長にお待ちくださいませ。

2008.09.30. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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