真 意 (6)
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あの僥倖を、何度も夢に見た。いつかまた会いたい、と願っていた。そして、めぐり会ってしまったら、己はどうするのだろう、とも思っていた。
恋しい女は、神なる王。
気まぐれな旅の途中での思わぬ再会に、利広の胸は高鳴った。至高の存在である女王は、利広に懐かしげな笑みを向ける。男装の女王の変わらぬ美しさ、純粋さに、利広は改めて心惹かれた。
見つめていたい。触れてみたい。心のままに──。
利広は翠の瞳を覗きこんで諫言し、よろめく華奢な身体を支えて手を繋いだ。己の想いを素直に示し、利広は着実に望みを叶えていった。
来た途を戻りながらも、女王をそのまま帰す気など更々なかった。この再会は天の配剤。千載一遇のこの機会を逃すわけにはいかない。利広は内心を隠し、穏やかに笑いかけた。
「元気が出たようだね」
「──利広のお蔭だよ」
鮮烈な紅の女王は、陽光の笑みを湛えて利広に感謝を告げる。利広は爽やかに笑って女王に偽らざる本音を伝えた。
「そう思うなら、ご褒美をくれないかなあ」
女王は、利広の求める褒美が何か分からずに、可愛らしく小首を傾げる。無論、それは利広の予想と違わなかった。
「近道を行こう」
そう声をかけて、女王の手を引いた利広は、人通りの多い広途から目立たない串風路に入る。純真な女王が、己を助けた利広を疑うことはない。利広は何気なく辺りの様子を窺う。広途の喧騒は聞こえるが、ひと気は全くなかった。
利広はにっこりと笑んだまま、繋いだ手を強く引いた。あ、と小さく声を上げ、女王は利広の胸に倒れこむ。利広は華奢な身体をしっかりと抱きとめた。そのまま、その朱唇に口づけを落とす。何度も夢に見たように。女王の唇は、夢よりも柔らかく、花びらのように瑞々しかった。
軽く触れた唇を離すと、女王は何が起きたか分からない、というような貌を見せた。相も変わらず殺気を伴わない攻撃には疎い。無論、女王が剣を抜くことはなかった。
武断の女王は、剣を振るわぬ戦いの存在を、すっかり忘れてしまっているのだろうか。あの日、利広が何をしたかまでも。
「憶えておおき、陽子」
くすりと笑い、利広は子供に言い聞かせるように、優しく女王を諭す。勿論、女王に密着させた身体を離すことなく。
壁際に追いつめられた女王は、利広の豹変に目を見張る。色が失せたその美しい顔に、利広は己の顔を近づけた。そのまま視線を捉え、利広は微笑する。そして、おもむろに口を開いた。
「見ているだけで満足する男など、いはしない。見つめたい、口づけしたい、素肌に触れたい、ひとつになりたい──もっと狂わせたい、もっともっと……。男の欲望は、限りない」
ゆっくりと語りかけながら、利広は女王の逃げ道を塞いでいく。そして、唇を震わせている女王に、胸で密かに問いかけた。
何故、好いた男がいながら、他の男についてくるのか。何故、そんなにも無邪気に、隙を見せるのか。何故、己を陥れた男に、再び気を許せるのか。
──分かっている。それは、伴侶である風漢が、「そのままの陽子」を愛しんでいるからだ、と。
たっぷりと愛情を注がれて、すくすくと育った鮮やかな紅の花。剪定されることなく、素直に、伸びやかにほころびようとしている美しき花。
しかし、陽子は女王だ。手厚く守られる温室の花ではない。風に耐え、雨を糧とし、光を浴びて咲き初める、野生の強き花だ。そして、風漢は、野に育つ花を、あるがままに愛でている──。
だからこそ、無慈悲に手折ってみたくなる。惜しみなく向けられる笑顔を、奪ってみたくなる。
伴侶の素行の悪さに傷ついた女王を、抱きしめて慰めたい。その想いは嘘ではない。無論、恋しい女を傷つけたいわけでもない。ただ──。
利広は硬直した女王をゆっくりと搦めとる。耳朶に熱く口づけて囁く。震える身体から徐々に力が抜けていく様を楽しみながら。
「──でも、君はもう、よく知っているかな、そんなこと」
君は、女だ。王である前に、若く美しい女なのだ。男を惑乱させる魅力を持つ、ひとりの女。
だが、主の御前に跪く男たちは、誰もそれを語らない。その目を覗きこむことができる男は、それを決して悟らせない。
そう、だから──教えてあげる……。
見開かれた瞳が怯えている。が、逃がすつもりなどない。もう一度、この手で全てを確かめたい。利広は微笑し、女王の耳許で囁いた。
「──君が悪いんじゃないよ、陽子。私は、君が私に手をくだせない、と知っている」
「嫌だ、止めて──利広、離して」
女王は、初めて利広を拒絶した。女王の拒否にすぐさま応えてその身を守る使令は、今ここにいない。唯一の護衛は、女王自ら出した命を受けて傍を離れた。女王にそれを促した利広は、くすりと笑う。
「こんな機会を、私が逃したりすると思うかい」
天の配剤とも思えるこの再会。千載一遇のこの機会を、逃すつもりはない。そのために、着々と布石を打ってきたのだから。
弱々しい抵抗は、却って利広の欲情をそそる。小さく抗う女王を抱きすくめ、利広は躊躇うことなくその朱唇を味わう。女王たる勁い視線を受けとめて己を求める男を、景王陽子は拒めない。利広は、それをよく知っていた。
唇を離した利広は、女王の翠の宝玉を覗きこむ。何もかもを吸いこむ力を持つはずの勁い瞳は、怯懦の影を落とし、戸惑う少女のものとなっていた。それでも涙を見せることない女王に、利広はしみじみと告げる。
「──君は、変わらないね。危ない、と、前も警告したのに」
あのとき、男に隙を見せるな、と忠告した。その瞳でじっと見つめることは、男を惑わせる誘惑だ、とも。そして、それが何を齎すかも、無防備な女王に、身を以って教えたはずだった。
澄み切った翠の宝玉の、あまりにも無自覚な誘惑。その誘いに他意はなく、邪気もない。だからこそ、こんなにも酔わされる──。
さあ、堕ちてこい。
利広は妖しく笑う。そして、怯え惑う瞳を覗きこむ眼に力を籠めた。利広の本気に、女王は呑まれかけている。見開かれた瞳と噛みしめられた唇が、それを如実に物語る。
もう少し。その目を閉じたら、それが合図。
「そんなことしたら、血が出てしまうよ」
しなやかな身体を柔らかく抱きしめ、耳朶に甘く囁きつつ、利広は揺れる女王を誘惑する。
目を閉じろ、強い瞳でそう命じながら。
2008.10.03.
「3周年記念」中編「真意」第6回をお送りいたしました。
利広の真意に絶句中でございます。
黒くてごめんなさい。
2008.10.04. 速世未生 記