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真 意 (8)

* * *  8  * * *

「──陽子!」

 延王尚隆の怒気漲る声に、揉みあう二人の動きが止まる。太子はゆっくりと振り向いた。そして、熱く冷たい目で尚隆を見つめる。しかし、尚隆が太子を見たのは一瞬だった。自由を取り戻した女王が、後ろも見ずに駆け出したからだ。

 やっと見つけた伴侶を、また見失ってしまう──。

 今、利広に感ける暇はない。尚隆は瞬時にそう判断を下す。そして、翻る緋色の髪だけを見つめ、身構える太子の前を素通りした。
 そのまま、逃げる華奢な後姿を追いかける。背に太子の強い視線を感じてはいた。が、形振りを構っている場合ではなかった。

 やがて、尚隆は走り去ろうとした伴侶に追いついた。手を伸ばし、細い腕を掴む。そして、よろけて倒れそうになった身体を抱きかかえた。しかし、ようやく捕まえた伴侶は激しく抗う。その、涙に濡れた瞳が叫んだ。

 ──嫌、触らないで、と。

 声なき声の、なんと雄弁なことか。それでも、叩きつけられた拒絶に怯んでいられないことは分かっている。尚隆は華奢な身体を抱きすくめ、その朱唇を強引に奪った。伴侶は抵抗を止めない。身を捩り、重ねられた唇をもぎ離し、尚隆を睨めつける。

「私は誰のものでもない!」

 伴侶はきっぱりと言い切る。涙に潤みながらも変わらず勁い女王の瞳が、だからその手を離して、と叫ぶ。それなのに──。

(──あなたは私のものではない)

 そう聞こえてしまうのは何故だろう。勁さと脆さの間で揺らぐ翠玉の明眸に魅せられる。常に王で在ろうと努力する隣国の若き王。延王尚隆が己の伴侶と定めし唯一の女。そんな誇り高き女王の勁い視線を真っ向から見返し、尚隆は低く囁く。

「──それを、俺が分からぬと言うのか?」
 こんなにも、お前に捉われているというのに。だから、この手を離しはしない。

 見開かれる翠の瞳。その眦に滲む涙が零れた。絡みあう視線。しかし、先に目を逸らしたのは、やはり伴侶のほうだった。
 小さく震える肩を折れんばかりに抱きしめ、熱く口づける。瞳を閉じた女王は、もう抗うことなかった。尚隆は少し安堵した。逃げ出した伴侶を、やっとこの手に捕らえた、と思った。しかし。
 きつく抱きしめれば抱きしめるほど、華奢な身体から力が抜けていく。まるで、魂までも一緒に抜けてしまったかのように、伴侶は生気をなくしていった。尚隆は伴侶を抱く力を緩め、頬を伝う涙を拭う。閉じられた瞳から、涙はあとからあとから溢れた。
 再び抱きしめて口づけても、伴侶は身体を硬くするだけだった。尚隆は心閉ざす伴侶をじっと見つめる。その後ろに女王の護衛が姿を現した。尚隆は首を振り、視線で使令を制す。班渠は微かに頷き、再び女王の足許に消えた。
 このままでは埒が明かない。尚隆は伴侶の腕を無造作に掴み、すたすたと歩き出す。伴侶は無感動にそれに従った。手近な舎館に入り、手続きを済ませる。そして、伴侶を房室に押しこみ、後ろ手に扉を閉めた。
 臥牀に腰掛けた伴侶は、黙して俯いている。尚隆もまた黙って伴侶を見つめた。どんな言葉も受け付けようとしない、頑なな態度。しかし、そこまで歳若き伴侶を追い詰めたのは己だ。尚隆にはその自覚があった。言葉が届かないのならば──。

 俺を見ろ。

 尚隆は伴侶を臥牀に押し倒し、己の服を脱ぎ捨てた。しかし、帯を解き、袍の襟を開いても、伴侶は声も上げず、尚隆を見ようともしない。抵抗はしないが、ただただ身を硬くし、尚隆を拒絶していた。それは、何ゆえか。

 ──わけを知りたい。

 胸の内を曝すまでは、逃がしはしない。華奢な手首を掴んで見下ろすと、横を向いた伴侶の睫毛が微かに揺れた。尚隆はおもむろに問う。
「──何故、逃げぬ?」
「あなたが捕まえたんじゃないか──」
 伴侶は視線を合わせずにそう答えた。抗う気はないが、心を許したわけではない。女王の矜持を滲ませるその応えに、尚隆は低く笑う。
「大人しく捕まる女ではあるまいに」
 挑発的にそう言って、伴侶の手首を掴む手に力を籠める。伴侶は涙が滲む目を上げ、ようやく尚隆と目を合わせた。

 そうだ、俺を見ろ。

 伴侶は潤んだ目で尚隆を睨めつけ、鋭く言った。
「──ずるい言い方だな。逃がすつもりなど、始めからないくせに」
 無論、逃がす気などない。伴侶の揶揄には答えず、尚隆は薄く笑って頷いた。そして、零れた涙を唇で拭い、再び顔を逸らす伴侶の首筋に口づける。伴侶は喘ぎ声を堪えた。心閉ざしても、身は拒まない。いや、拒めないのだ。それを知っている尚隆は、伴侶の耳に密やかに囁く。
「ひとつ教えてやろう。──お前が俺を拒めないのは、お前の躊躇いより俺の求めのほうが強いからだ」

 お前が本気で俺を拒めば、俺は、お前に触れることすらできない──。

 言外の意味に、伴侶は気づくだろうか。気づかなくていい。伴侶の想いより、尚隆の想いの方が、より強いことになど。
 目を見張る伴侶に、尚隆は不敵な笑みを見せる。そしてまた、熱い口づけを落とした。
 伴侶は諦めたように目を閉じる。涙が止め処なく溢れていた。尚隆は己の唇でその涙を拭う。未だ頑なな伴侶の心の如く、ほろ苦い味がした。それでも、この涙を味わう者は、尚隆だけ。

 独りで泣くな。俺にぶつけろ。全て受けとめるから。

 そんな想いを籠めて、柔らかな肌を唇でなぞる。首筋を、肩を、鎖骨を。そして、辿りついた胸許を強く吸い上げた。
 無反応だった伴侶が、小さな声を立て、身を捩った。ささやかな抵抗を封じこめ、尚隆は伴侶の肌を存分に味わう。
尚隆なおたかっ!」
 伴侶は狼狽したように尚隆の名を呼んだ。己の刻んだ所有印を眺め、尚隆は低く笑った。
「──こんなところを、俺以外の誰が見ると言うのだ?」

 お前は利広を拒んだ。それが答えなのだろう? 

 伴侶は頬を染めて背中を向けた。背にかかる髪を掻き分け、そこにも口づけを落とす。幾つもの紅い花を散らしながら、背筋をなぞった。
 微かな喘ぎ声とともに、伴侶の背が仰け反る。掴んだ手首を離し、後ろから抱きしめた。そして、ゆっくりと優しい愛撫を繰り返す。伴侶の身体から、徐々に力が抜けていった。

「──陽子」

 愛している。お前だけ。俺のもの。逃がさない。離さない。身も心も全て、この腕に閉じこめてしまいたい。口に出せぬ想いを籠めて、伴侶の名を何度も呼ばう。

 やがて、伴侶は振り返り、細い腕を伸ばす。そして、尚隆に縋りつき、己の唇を重ねた。

 お帰り。

 胸でそう呟いて、尚隆は熱く甘い伴侶の朱唇を貪った。


2008.11.14.
 大変長らくお待たせいたしました。 やっと「3周年記念」中編「真意」第8回をお届けできました。 もう短期集中という言葉は封印いたします……。
 今回も、言葉が出てまいりません。  察してくださると嬉しく思います。

2008.11.14. 速世未生 記
背景画像「幻想素材館 Dream Fantasy」さま
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